師父に見放されていないと堅く信じ 魔難を乗り越える
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文/内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2021年2月11日】数年前のある夏、私は化学工場で28日間働いた後、体調を崩して辞職しました。帰宅後、脱力感に苛(さいな)まれ、歯茎の出血が止まらず、固まった血を吐いては、また出血を繰り返しました。しかし、全く怖くありませんでした。なぜならば、私の母は大法弟子で、修煉によって多くの病気が治ったのを知っていたからです。

 私は毎日起床した後、師父の説法の録音を聴き、他の時間はずっと横たわって休んでいました。一週間後、熱が出たので、病院で検査するようにと家族に連れて行かれましたが、拒みませんでした。病院の診断結果は「重度の再生不良性貧血」でした。わかりやすく言うと、骨髄が血を造れない状態でした。その時、各血液の項目が基準範囲を大きく下回っており、血小板は1000/μLしかなく(正常値の最低基準は12万/μL以上)、ほぼ0に近かったため、出血が止まらなっかったのです。

 医者は全力で治療して命を救うと言って、強く入院を勧めました。本当は入院したくなかったのですが、家族が心配して帰らせないので、流れで入院することになりました。その後、医療関係に従事している友人が家族にこの「病気」は非常に深刻なものだと伝えました。それで、家族はいろいろな人に頼んで、私を天津市にある大きい病院に転院させました。母(同修)を除き、家族はみんな私が知らないところで良く泣いていたそうです。

 私は眼底出血が止まらず、その血を自動吸収できないため、目が霞んでよく見えませんでした。この過程で、私は恐れることなく、師父が見守ってくださっていると堅く信じていました。

 転院してから約1カ月後、私の「病状」が良くないことから、家族がまた伝(つて)を頼って、病院で数個所しかない無菌病室に移ることになりました。私は絶え間なく注射と点滴を打たれました。その間、私は毎日、mp3で師父の説法を聞きました。その後、夜の点滴が不要になったので、みんなが寝静まったあと、私はトイレに(トイレだけ監視カメラがないため)に入り、煉功しました。力が入らないため、良く転びました。煉功するたびに全身汗だくでした。

 私は基本的に毎日学法と煉功をしました。母は私に『洪吟』の暗唱をするようにと教えてくれました。私は一度も自分の身体の状態を「病気」だと思ったことはなく、乗り越えなければならない関門だと考えていました。

 この関門は偶然ではないことだとわかっていました。私はよくゲームをしていて、非常になまけていました。更に、金額は少ないのですが、会社で同僚と賭け事も2回程したことがありました。自分が俗世間の娯楽を求め、間違っていたと気づき「この関を乗り越えるには、必ず法に基づいて向上しなければならない」と思いました。

 入院期間中、あるはずの様々な合併症や薬の副作用は一切私にはありませんでした。例えば、血小板のない人の体には大きな出血性紫斑があるはずですが、私の体には数個の出血点しかありませんでした。また、薬の投与で多くの人は高熱を出し、食欲不振になり、さらには胃腸潰瘍などの症状が現れるのですが、私の身には全く現れず、医師も信じられないと驚いていました。

 学法を通して、私は薬を止めた方がよいと思い始めました。自分は大法弟子であり、師父が見守ってくださっているので、薬を飲む必要はありません。注射も打ちたくないので、どうしたら打たなくて済むかを考えました。そこで「この注射を打つと体調が悪いので、打たないでください」と医者に伝えました。その後、注射を打った後で検査したところ、まさか本当に不整脈になり、師父が助けてくださったのだと気づきました。

 それから、私はこっそり薬を飲まないようにしました。毎日飲んでいる数十種類もの薬代で一日に数百元もかかっていました。私は正々堂々と薬を飲まないことを伝えるべきだと思って「私はもう薬を飲みません」と言いました。それで、父は過度に心配し、姉から電話がきて、担当医と主任医師もみんな、順番に私を説得しました。しかし、私は「自分の体なので自分が一番わかってます」と言い、頑なに飲みませんでした。それで、家族と医者は諦めるしかなく、私はすべての服用薬を止めることになりました。担当医から「薬を飲まなければ治癒率が大幅に下がるよ」と言われましたが、私の心は全く動揺せず、師父と大法を堅く信じました。

 しばらくして「自分は修煉していて、大法弟子なのだから、入院すべきじゃない。病院を出たい」と思い、母に「一つやりたいことがあるの。どうすればよいのかわからない」と相談しました。母は「正しいことと思うのならば、やってみては」と答えたので、私はすぐに「退院したいことだ!」と言い出しました。「それはだめよ、やっと少し落ち着いたのに」とまさか母ですら同意してくれませんでした。「正しいと思うならやっていいとさっき言ったよね」と言い返しました。「この言葉はきっと師父が母の口を借りて私に言ってくださったのだ」と私は思ったのです。

 「家族の心配を気にして、情に縛られてはだめだ」と思い、退院を強く要求しました。私の血液はRh(-)という珍しい血液であるがゆえ、家の近くの血液バンクにはこのような血液がなく、もし自分で造血できないのであれば、生命を維持することは難しいのです(通常であれば、回復に一年かかり、それから輸血を止めることができる)。私は「師父が守ってくださっているので、絶対に大丈夫だ」と心から思って、心配してくれる家族に「家に帰れば、回復するかもしれない」と言いました。

 帰宅後の初めての血液検査で、回復の兆候が見られました。半年後、血液のすべての項目が正常になりました。しかし、父は心配して、私を連れて天津市に検査しに行きました。担当医と主任医師が来て、私に「本当に薬を飲んでいなかったのか?」と尋ねたので、私は「はい」と答えました。「じゃ、もう飲まなくて大丈夫だ。本当に奇跡だね」と医者たちは言ったので、父もやっと胸をなでおろしました。

 私が入院していた2カ月間、私のいた無菌病室の闘病仲間の数人が相次いで亡くなりました。病院は対外的に治癒率が60%と謳っていましたが、自ら退院した私を除き、誰1人として治癒して退院した人はいませんでした。

 師父のご加護のもと、私は大きな病業の関門を乗り越えることができました。

 以前は全く精進していませんでしたが、ずっと自分は大法弟子だと思っていました。この病魔の関門で、私は師父が守ってくださるので、絶対に大丈夫だと堅く信じていました。闘病中も学法と煉功を続け、正しい念があったからこそ、師父の慈悲なるご加護によって、生死の関門を乗り越えることができたのだと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/2/419329.html)
 
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