博士課程の教授-「あなたはとても運がいい」
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 【明慧日本2021年2月28日】『中国からの投稿原稿』「あなたはとても運がいい」ーー学術的な権威である博士課程の教授が、海涛さんに送って来た5つの言葉なかのひとつです。これは、海涛さんが特定の大学に合格した! という事を意味しています。この教授が新入生を募集する最後の年でした。

 海涛さんは温室育ちの子供ではありません。むしろ、彼は小さい頃から同年代には想像もつかないような経験をしました。彼の両親は法輪功修煉者で、父親の修煉前後の変化を目のあたりにしました。非常に短気で怒りやすい人から優しいお父さん、思いやりのある夫に変わったのです。海涛さんはこれをきっかけに、大法修煉に対して興味が湧きました。彼は親から学んで坐禅をし始め、そしてとても長い時間、座り続けることができるようになりました。やがて、小さい時から風邪を引きやすい彼の体が健康になりました。

 その年、中学生だった暑い夏休みの時、一家の平穏な暮らしが突然中断されました。父親は数回警察と職場の人によって不当に拘禁され、母親も何度も職場の人に呼ばれ「話がある」(訳注:実際には修煉の放棄を強要すること)と脅かされました。その天地を覆い尽くさんばかりの嵐の時期に、迫害を受けている法輪功修煉者の家族の一員として、海涛さんも同様に風雨の洗礼に耐えました。

 真相を伝えるために、海涛さんの家には常に法輪功迫害の実態の資料がありました。海涛さんはこれらの資料を読むのが大好きで、一度で読み終わらなかったので学校に持って行き、夜寮に帰ってからも続きを読みました。ところが思いがけず、先生が彼の資料を見つけて没収してしまいました。

 その迫害の最も深刻な時期、法輪功を学び、煉功している子供は退学させられ、学位授与試験に参加できず、卒業できないなどなどクラスメートたちからも差別されました。中国ではこのようなことが多く起こります。その晩生じた突然の出来事は、高校1年生にとって、ただ先生の「処分」を待っている過程でも、息苦しいまでの恐怖を前にした人を潰すには充分でした。

 その時から、海涛さんの学習成績は飛躍的に向上し始めました。以前、彼はクラスの最下位から数えて数人目でしたが、すぐにクラスのトップ10の中に踊り出ました。それらの因果関係、善と悪には報いがあることを信じない無神論者は彼の進歩に対してそうは思わず、「偶然」、「万に1つの幸運」だと思うかも知れませんが、彼らのその後の人生の道を説明することが出来ませんでした。

 大学に入った後、彼の品行と能力の高さに惹かれて、数人の女性のクラスメートから同時に言い寄られました。しかし、彼の心はそれに動揺しませんでした。母親は彼に、大法弟子は流れに身を任せてはいけないと戒めました。彼は大学2年生の時から大学院の受験勉強を始めました。忙しい勉強の中で、彼は常に学法を忘れませんでした。彼には、大法が正しく導くことができると分かっており、繁雑な社会の中で良し悪しが分かるようになり、彼に苦しい勉強の中で冷静な心と健康な体を保持させました。当然なことですが、彼は優れた成績で有名大学の大学院に入りました。

 3年後、海涛さんは某大学の博士課程の院生になろうと決めたのですが、彼と教授は相当な難関大学を選びました。その専門分野において、その教授はとても権威ある学者で、受け入れる学生に対する成績への要求が極めて高いばかりでなく、経歴や人脈がなければ、入れる可能性がとても低かったのです。

 海涛さんは自分の大法の中で得た智慧を信じました。彼は母親が教えてくれた大法修煉者の心得、体験談を読み、多くの法を得た子供が大法の中で恩恵を受け、学習成績がとても良く、そして彼自身も体験をしました。またある子は大法を修めていなくても、常に心からの九文字法輪大法は素晴らしい(法輪大法好)、真・善・忍は素晴らしい(真善忍好)」を念じれば、自分の前向きなエネルギーを高め、それはとても良い試験結果を得ることができました。海涛さんは大法の中おっしゃった「做(な)して求めざれば」[1]を思い出し、ひたすら努力して、結果に執着しませんでした。

 海涛さんの母親は北京に来ました。海涛さんの指導教授に大法の真相を伝えようと、幾つかのお土産を持ち、その化粧箱の下に大法の真相資料を入れました。母親は、我が子が合格できるかどうか構わず、人を救うのが最も大事だと思いました。2つの贈り物を2人の教授に贈りました。

 第1次試験が終わった後、面接がありました。面接では、試験で合格した16人の中で6人をふるい落とすのです。しかし、海涛さんの筆記試験の成績は、彼らの中で格別に優れてはいませんでした。初めに面接を受けた数人の受験生は、みな幾つかの質問を答えた後すぐに終わったのですが、海涛さんの番になると、その博士課程の教授たちはわざと彼の漏れ(落ち度)を探そうとしているかのように、次から次へと、なんと彼に17、8個の質問をしたのです。目の前の多くの厳粛な教授を相手に、海涛さんの心は非常に穏やかでした。その後彼は次のように話しました。質問された多くの専門知識にあまり馴染みがありませんでしたが、なぜか絶えず智慧が湧いてきて、全ての質問に流暢に答えました。

 博士課程卒業後、彼は順調に一流都市の官公庁に入り、卒業したばかりで副処級の階級で、さらに高額の支度金を得たのです…国の体制の中で、共産党への加入はまず避けて通ることのできない道です。しかし、海涛さんは自分の官職昇進のために自分の良知を売りたくなかったので、決して正法である大法を迫害する共産党に加入せず、ある民主党派に加入して政治的な検閲に対処することにしました。

 海涛さんの博士課程の教授は、このように善良で、熱心で、控え目な、道徳性の優れた学生を受け入れたことはないと述べました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道中」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/15/420138.html)
 
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