明慧法会|深い渓谷の大法徒(一)
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2021年4月1日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 一、苦難の前半生

 私は深い渓谷にある貧しい農民の家庭に生まれました。生まれてから、苦難がずっと伴っていました。私には姉がいましたが、生き残ることができませんでした。祖母は鬼神を信じており、私より上の子供は生き残れず鬼神に連れ去られると考えていました。私を生かすために、私に非常に悪い名前を付けました。私は生き残りましたが、体が弱く、気管支炎、髄膜炎、両肩関節周囲炎、低血圧、心臓病、痔疾患などがありました。毎年旧正月の元日から、私はオンドル(訳注:土やレンガで造った寝台に煙道を設けて暖をとる北方の暖房法)に半年以上横になり、1日も楽な日を過ごしたことがありませんでした。

 私はいつも他の人には見えないものが見えました。私の家の壁に1枚の絵があり、その絵の中に1人の女の子がいました。私の病気が重い時はいつも、その女の子が嬉しそうに歩いてきました。5歳のある時私の病気がひどくなり、自分と女の子が一緒に出ていくのが見えました。私は飛んでいき、虹の雲や青い空を飛び越え、ある大きな大きな庭に辿り着くと、中にはいろいろな花が咲いていて、さらに多くの木があり、木の上は新鮮な果物がいっぱいで、誰も監視していませんでした。私は「(果物は)摘みません」と言い終わると、白いひげを生やした老人が現れ、老人は右手にちり払いを持ち、ちり払いを左腕の上に乗せて「私はここにいます」と言いました。しばらくすると、その老人は「あなたは戻らなければなりません」と言いました。私はやってきた鳳凰に乗って戻りました。戻ってからも、私は依然としてオンドルの上に横たわり、苦しみで3日間息を切らしていました

 結婚する時、私の夫は「屍体」と結婚するのだと誰かが言いました。私はいたるところで線香をあげて拝み、神を求め佛を求め、どこかで寺の活動があれば、どんなに遠くても、いつも行き、崇拝しない「神」も、求めない「佛」もありませんでした。しかし今回(訳注:鳳凰に乗って戻ってから)は、私の病気がよくならないばかりでなく、人の「病気を診る」ことができるという変な病気も抱えこみました。誰が来ても私が少し診るとその人の病気はよくなりました。私はお金に執着せず、他人から何も欲しいとは思いませんでしたが、病気を診てもらいに来る人はどんどん増えました。他の人の病気を診て治し、人は去っていきますが、私の病気はどんどん酷くなり、いつも息切れしていました。ある時、また息切れがして、本当に死ぬのではないかと家族はみな思い、私の葬式の準備を始めました。1時間以上経った後、私は再び意識を取り戻しました。このようにして、私は45年も死の淵でもがいてきました。

 その後、私は幸運にも法輪大法を修煉しました。師父は「あなたがこの法を得るためには、相当苦労しました。あなたが自分の前半生で苦労してきたのは、全てこの法を得るためだったのかもしれません。これはあなたが知っていることです。まだ、あなたが知らないこともあります。あなたの幾つかの前世、ないし更に長い間に苦労したこと、苦難を受けたことは、全てこの法を得るためだったのかもしれません。また、この法を得るために、更に大きな苦難を受けた人もいます。これはあなたが知らないことです」[1]と説かれました。私は師父のこの説法がとても心に入り、私を心の奥底で目覚めさせ啓示してくださったと感じました。この法を読むたびに、私は思わず涙がこぼれました。

 二、師父は死神の手から私を救出してくださった

 前世紀の90年代(訳注:1990年代)、法輪大法が私の地区で伝えられ、だんだんと山間地帯の人も耳にするようになりました。ある人が私に「法輪功は効果があり、どんな原因不明の難病も治すことができます」と紹介しましたが、私は信じませんでした。「どんな神に求めても、誰もみな私のことを気にかけず、すべての方法を試しても、みなうまくいかなかった」と思いました。私には生きる希望がなく、すでに老いぼれ、死神が私を迎えに来るのを待っていました。

 1999年正月の2日目に、親戚がきて「山の下で法輪功の講習会が行われており、多くの人が来ており、みなすばらしいと言っているので、行ってみませんか」と言い、家族も私に勧めました。私はオンドルの上に横たわり、元気なく家族を見つめ、家族たちもみな私の答えを待っていました。しかたなく、私は「行ってみましょう」と家族たちに約束しました。

 旧正月の9日目に、私は家族の付き添いのもと、山を下りて法輪功を求めに行きました。講習会はすでに始まっており、私がそこに着いた時、残りは3日間だけでした。その部屋に入ると、私はある種のとても強いエネルギーを感じすぐに精神が呼び起こされました。

 部屋の中には多くの人が座っており、法輪功の師父の済南での説法録音を聞いていました。輔導員が私に坐禅を組むように言い、私が足を組むとすぐ坐禅ができ、私は師父が殺生の問題を説かれるのを拝聴しました。「私は以前多くの生命を殺したのではないか? 今はそれらの生命がみな私の借金の取り立てに来ているのではないか? 病気がこんなに多いのは、借りを返しているからではないか?」と今までわからなかったことが急にわかるようになりました。私は聞けば聞くほど夢中になり、聞けば聞くほど聞きたくなりました。私は全神経を集中し、完全に師父の説法の中に溶け込んで周囲の一切をすべてみな忘れていました。

 師父の説法を聞き終わり、輔導員が私に「聞いてみてどうでしたか?」と聞きました。私は「とてもよかったです! 私は来るのが遅すぎました!」と言いました。輔導員は「大丈夫です、本とカセットテープもありますから」と言いました。私はさらに多くの問題を尋ね、輔導員と長い時間話し、輔導員は彼の家に私を連れて行き食事をさせてくれました。3日後、講習会は終わりました。

 その3日間は、100年の年月にも勝るものでした。私は人が変わったようになり、私は二度と憂いの顔を見せず、元気がなくなることはなく、病気になったからといって死ぬこともなく、絶望的な人間ではなくなりました。私には活力があり、元気があり、心身にみな大きな変化が発生したと私は感じ、心には言葉では言い表せないほどの喜びがありました。私は12冊の『轉法輪』をお願いし、村に持ち帰って人々に法輪大法を紹介する準備をしました。

 私は学校に行ったことがなく、字は少しも読めず『轉法輪』を義兄(夫の兄)に読んでもらうしかありませんでした。義兄は「釈迦牟尼」のところまで読んだ時、「この言葉がわかりません」と言いました。私は「見せてください」と言い、見るなり、「これは釈迦牟尼ではありませんか?」と言いました。義兄は驚き、私も不思議に思いました。私は1日も勉強したことがないのに、師父の説法録音を3日間聞いて、私は字が読めるようになりました! 私は大変うれしくなりました! 不思議すぎました! これはみな師父が私に与えてくださったものでした!

 師父は私の病気をすべて消してくださいました。数十年も病魔を患い、墓に片足を突っ込んでいた人間を、師父が死神の手から救い出してくださったのです。私は心の中で言葉で言い表せないほど喜びました。

 三、不思議なことが何度も起こる

 輔導員の家で五式の功法をマスターしました。私は山から帰ってきてから、毎日煉功しました。第五式の功法を煉功したばかりの時、私は浮き上がり、少しうれしくなり、また少し怖いと感じました。そこで、また私はしばらくしてから上がり、しばらくしてからまた下がり、このように私は煉功中上がったり下がったりしていました。師父が説法の中で説かれていた現象と同じでした。それからはどんなに忙しくてもどんなに疲れていても、私は煉功をやめたことはありません。弾圧が最も厳しい歳月の中で、私はずっと煉功を堅持しました。

 私はこの山村でしょっちゅう病気になることで有名でした。今は法輪功を学び、全身の病気がすべてなくなりました。この不思議な話は、すぐに村に広がりました。私はもう人の病気を診ませんでした。誰かが病気を診せに来ても、私はその人たちに法輪功を学ぶように教えました。山村の人はみな素朴で好奇心旺盛で、多くの人が皆やってきました。

 私たちの山村は平原ではなく、山の人々の家はすべて山の上に建てられており、隣人とは、山の上と下で話をしましたが、互いにいつもはっきり聞こえました。しかし会わなければならない時は、時間をかけていつも曲がりくねった山道を歩き、一つの村にいくつもの頂があるので、何かを伝える時は容易ではありませんでしたが、私たちの村でもすぐに三十数人の人が法輪功を学びに来て、付近の村からも多くの人が煉功を学びに来ました。

 私の経済条件はあまりよくありませんでしたが、私は必ずこの法を伝えるということをしなければなりませんでした。私はまず他の人からお金を借り、数十元を使ってラジカセを1台買い、さらに山を下りて大法書籍をお願いして暗記しました。その時は交通が不便でしたが、どんなに苦しくても、私はかまいませんでした。このようにして、法輪功は交通が不便な深い山岳地帯で、勢いよく広がり、ほとんどの人々がみな知っていました。法輪功を学ぶ人は、毎週いつも倍に増えました。お金がかからず、煉功後に体の病気がなくなり、健康になるので、誰が来ないというのでしょうか!

 特に私たちのこの貧困な深い渓谷では、病気を診てもらうのは非常に難しく、お金があれば病気を診てもらえますが、お金が無いので医者に行く余裕がない人たちは病気になることもできませんでした。今(訳注:2020年11月)は、お金もかけずに病気治療と健康保持のための良い方法があり、これは体を強くする霊験あらたかな妙薬と同じであり、山村の人々はみな歓迎したので、功を学びに来る人は次々にやって来ました。

 1999年7.20以後、私は同修といつも夜に一緒に出かけて真相資料を配りに行きました。ある時、私たちはS渓谷に真相資料を配りに行きました。戻ってくる時、すでに夜中の3時でした。私は歩いているうちに、ふわふわと浮き上がりました。みんなが認めている走るのが最も速い男性同修も、その日はどうしても私に追いつくことができませんでした。その男性同修は「私はどうしてあなたに追いつけないのだろうか?」と言いました。私はふわりと浮き、まるで飛んでいるかのように前に向かって漂っていたので、誰も私に追いつくことができませんでした。このような不思議なことが私の体に時々起こりました。

 その当時、私たちは水を汲みに山を下って行かなければなりませんでした。ある時、私は桶の水を二つ運びながら、山の下から山の上に向かって歩くと、ふわりと浮き上がったように感じ、少しも重くありませんでした。ある婦人が「あなたに負担をかけてしまいますが、まるで雲の中を歩いているかのようで、本当に山道を歩いているのでしょうか!」と言いました。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法一』「北京国際交流会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「大覚」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」

 (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/14/414816.html)
 
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