文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月6日】数日前、夫は友人に頼み事をしました。夫の友人は「大丈夫だよ、何とかするから、任せてくれ」と承諾してくれたのですが、実際に事を処理しに行くと、手伝ってくれませんでした。しかも、夫に「大丈夫です、大変なことだから、やはり手間がかかります、私も同じことを体験したことがあります」と夫を安心させたのです。そんなに手間がかからないのに、他人のために楽をしようとすることは、この行動の裏に嫉妬心があるのではないかと私は思いました。
このことに気づいてからは、自分が何かをするとき、何かを考えるときに、このような心理状態になっているかどうか、内に向けて探しました。他の人がスムーズに物事を進めていくと、心のバランスが崩れてしまいます。他の人が苦しんで頑張っているのを感じて、初めて心が晴れやかになるのです。もう少し詳しく言うと、他人に楽をさせたくない、自分の考えに合わせて初めて満足感が得られる、つまり自分の観念で他人を測っています。
この心理状態は、他人をベースに考えるのではなく、「私」をベースに考えることであり、それは利己的です。さらにその先にあるのは「簡単に成し遂げたことには威徳がないだろうから、難しくしてしまえ」という旧勢力の考え方です。旧勢力が大法弟子を迫害するのは、この出発点にあるからです。
この嫉妬に気付いてからは、多くの悪の現れや人のために費やすことができないことも、同様に嫉妬が原因であることが分かりました。さらに言えば、嫉妬の根源は私心です。うわべはどうであれ、肝心な時には私心が頭をもたげ、自分のための出発点であり、目的であって、他人のことを考えず、ましてや他人のためにはならないのです。
修煉者として、大法の要求に基づいて内に向けて探し、自分を正していれば、それは私心を取り除く過程です。師父は、自分よりも他人を優先にし、他人のための生命になる、無私無我という正覚にまで修め遂げることを私たちに求められています。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】