法を暗唱して妨害を取り除き、大法との機縁を大切に
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2021年5月16日】私は日本人学習者です。大法の修煉を始める前は、20代にして体調が悪く甲状腺の病気、婦人科系疾患、不安障害などを患っていました。この苦しさから少しでも逃れるため、お酒や買い物に走り、夫とは夜中まで喧嘩することもありました。このような状況の中、母から『轉法輪』と神韻チケットをプレゼントしてもらいました。

 初めて神韻を見た時、涙が止まりませんでした。正直言って、内容はあまり覚えていないのですが、なぜこんなに涙がでるのか自分でも不思議でした。

 そして眠気に襲われながらも『轉法輪』を読んでいくうちに、人生の中で知りたくても答えが得られなかった疑問が解けました。なぜ人生は苦しいのか? 人間って一体何なのか? 私は誰なのか? 私は「こんな苦しい世界にはもう生まれたくないから、三界を出るために修煉しよう」と思ったのを覚えています。

 初めて一人で煉功した次の日、体が軽く階段を上がっても全く重力を感じませんでした。頑固な便秘も治り、服用していた薬も全部捨てて病院に行くのをやめました。座禅していると体が固定され、15分間くらいロケットのように宇宙の中を突き抜けていくような感覚も体験しました。

 このようにして師父の導きの下、この上ない貴重な大法と機縁を結ぶことができました。

 修煉を始めて数カ月後、まだ法の貴重さを心から認識することができず、そこまで精進していなかったため、旧勢力に足を引っ張られました。夫が常人なので私も「最大限に常人社会に符合」 [1]しても問題ないと言い訳し、夫と一緒に海外のシリーズドラマを見始め、止まらなくなりました。たかがドラマだからと軽視したことで、怖いほど魔にコントロールされ、全く学法に集中できなくなり、法を疑うようになりました。このような状況が数週間続き、必死に抵抗しましたが、もう自分では修煉に戻ることができなくなっていました。

 ある日、夢の中で崖が崩れ、私より下にいた人は皆落ちていきました。大法との縁が切れるギリギリのところにいたのだと思います。それと同時に卵巣が痛みだし、修煉をしっかりしていないから「病気」になったのだと思い、もう修煉者の状態ではないからと病院に行きました。すると医者からレントゲン写真を見せられ、病が消えたと言われました。こんな状態でも師父は私を見捨てず「精進しなさい、修煉に戻りなさい」と私の背中を押してくださっているのが分かり、涙が止まりませんでした。翌日、卵巣の痛みも引いていきました。

 私の最大の執着心は、恐怖心です。小さい頃から異常なほど恐怖心を持っていました。この恐怖心の裏には自分は苦を舐めたくなく、安逸を求め、メンツを失いたくないなどの心が隠れていて、さらには恐れる心があることにまた恐れるのです。この恐怖心は今でも完全に取り除けたわけではなく、薄くはなってきているものの、正念が足りないときはまた狂ったように私を妨害してきます。旧勢力に妨害されることを恐れ、あたかも旧勢力に妨害されないために、三つのことを行なわなければいけないという状態でした。

 自分を「法を正す時期の大法弟子だ」と律し、衆生を救い済度する師父のお手伝いをさせていただくという位置に置くのではなく、自分の執着の中で怯え、自分のためだけを考え、妨害されないために修煉しているのです。中国の大法弟子はいつ連行され、ひどい拷問にあうか分からない厳しい状況下でも、自分の命を顧みず、衆生を救っているのに、私は一体何をしているのか? なぜこんなに正念がないのか? と悲しくなりました。

 この状態を突破し正念を出すには、法の暗唱しかないと思い、法を暗唱し始めました。この一念が起き『轉法輪』を開いた時、頭の中で何かが震えているのが分かりました。観念や業力も生き物なので、消滅されるのを恐れて抵抗していたのでしょう。法の暗唱の仕方としては、一節を一通り暗唱するまでは次に移らないという方法で暗唱していました。しかし、段落と段落の繋がりもうまく理解できず、心から法に同化したいという気持ちよりは、むしろ「義務」になってしまい、また恐怖心から逃れるために暗唱するという求める心があり、プロジェクトも忙しくなったので、断念してしまいました。

 3月に入り、暗唱について同修と交流した時「一段落を完璧に暗唱したら次に移るようにしたら、最初はそれでいいよ。続けることが大切よ」とアドバイスを頂きました。今回は速さを求めず、本当にミクロのところまで法が届くように集中し、一つ一つの言葉を暗唱するように心掛けています。するとエネルギーが体の中で動いているのがわかり、言葉の内涵を見せてくださり、とても幸せを感じます。歩いている時、電車に乗っている時、家事をしている時、暗唱したところを思い出し復習します。暗唱するのに時間がかかる段落もあり、何回暗唱しても間違えてしまうところもあって、自分に苛立ちを感じる時もありますが、そのような時は焦る気持ちとスピードを求める心を取り除くようにしています。

 師父は次のように仰いました。「以前皆さんに教えたのですが、すべての字の背後に幾重にも重なり合った佛、道、神がいます。師父がすべてのものをこの法の中に詰め込んだという言葉を皆さんは理解することができません。皆さんは現在、人間の考えでこの言葉を理解することができません。何でも得ることができますが、あなたがどのくらい心を込めたのか、皆さんの心の状態がどうであるかによります」 [2]

 修煉は自分に頼るしかありません。心を込めて、心性を修め、しっかりと自分を修煉者として律することができれば、自ずとその法理を見せてくださいます。法を暗唱する前は学法が「任務」となってしまい、雑念が入ったり、眠くなったりしていました。法を暗唱し始めてから法を学べることを幸せに感じ、エネルギーに包まれ、大法の奥深さや貴重さを体得できました。暗唱する時間が一番幸せに感じます。

 最初は修煉体験を書くことを躊躇していました。私は同修みたいな文章は書けないし、発表できるわけもないと思っていたからです。しかし、この修煉体験を書く過程もすべてが修煉の中にあると悟りました。書いている際に無意識に自分を実証しようとしたり、表面の文字に気を取られたりしました。発正念をしてこのような心を取り除き、純粋な心で修煉体験を書くことに努めました。また修煉体験を書くことで、大法の厳粛さを再認識することもできました。

 この数年間の修煉を振り返ってみると、師父が常に側で見守ってくださり、励ましてくださっていると感じます。私にはまだまだ取り除かなければならない執着心や、乗り越えられていない関が沢山あります。今後師父が残してくださった集団煉功や集団学法の環境、そして多大な苦心を払われ伸ばしてくださったこの時間を大切にし、精進していきたいと思います。

 個人の体験であり、法に符合していないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。最後に師父のお言葉で、同修の皆さんと一緒に励まし合いたいと思います。

 師父は私たちにこう告げられました。「一つの生命が歴史の昔から今日まで歩んで来たのは何のためでしょうか? ほかでもなくこの一瞬のためです。歴史の大河の中で、この時間は一瞬なのです。消極にならないで、自らを奮い立たせてください。あなたは修煉者です。衆生はあなたに救われ済度されるのを待っています!」 [3]

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『ヒューストン法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』

 
(中国語://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/15/424422.html)
 
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