修煉の至る所に奇跡がある
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文/山東省の大法弟子 凝梅

 【明慧日本2021年6月2日】師父は「神を修めているので、必ず神にまつわる奇跡が存在しています」[1]とおっしゃいました。

 私は今年58歳で、2012年にやっと修煉を始めた大法弟子です。私は修煉過程において、幾つかの奇跡を体験しましたので、ここに書いて同修達と交流します。私は大法の修煉を始めたのが比較的遅いので、大法に対する理解がまだ深くないため、法に符合しない所があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 一、法輪大法に出会う

 我が家の近くに老人が住んでいます。私は彼が大法弟子だと知っています。隣人の中での評判がとても良かったのですが、しかし私はやはり彼との距離を置いていました。邪党の欺いた宣伝の下で、私は法輪功は政治に参与していると思っていました。当時党員だった私は、彼と関わってはいけなかったからでした。

 その時、娘は大学を卒業して、実習をしていたので、よくその老人の家に遊びに行っていました。私と娘の関係はずっとあまり良くなかったし、娘を構うこともできず、娘をそのままにしていました。しかし、私は、娘の性格がますます良くなっているように感じ、私に口答えするのも少なくなっているのに気付きましたが、少し不思議だなと思っただけで、特に気にしませんでした。

 ある日、娘は、おじいさんが私を家に誘っていると言いました。私は行きませんでした。その後、娘はまた何回か言いました。私はそれでは行こう、しかし警戒を強めて、彼に引っ張られてはいけないと思いました。

 行ってから、娘が既に法輪功を学んでいたのが分かりました。老人は私に大法の真相を伝え、大法は宇宙の大法で、佛法であり、人に心を修め善に向かわせ、真・善・忍に基づいて良い人になるように教えていると話しました。何故か、自分の「警戒心」が無くなり、むしろ彼の話に同意しました。娘の性格が良くなったのも大法を修煉したからだと分かりました。

 家に帰って、その日の夜に夢を見ました。我が家のドアを入ってすぐそばの白い壁に佛像があり、上に丸い輪もあり、夢の中で、私はこれが真の佛であると分かりました。家の前に雨上がりでとてもぬかるんだひとすじの道があり、歩くのが大変でした。道のそばにある先生が立っていて、私を連れて中に入ろうとしました。目が覚めた後、先生はまさにその老人であると分かりました。これは私に法輪大法を学ぶようにと教えているのか、と思いました。不思議なことに、心の中に抵抗がないだけでなく、少し楽しみさえ感じていたようでした。まだ修煉をしていませんが、しかし師父は既に私を見守ってくださっていました。

 私と姑はずっとそりが合わず、ある時、夫は病気にかかった自分の母親に会いに行きました。私は彼がドアを出るのを見て、彼に聞こえないと思い、手を振って一言罵りました。予想外に口から言葉が出た途端、私は、片足が前でもう片方は後ろ、手は振っている姿勢のままそこに固まってしまい、全身が動けなくなりました。この時私は老人の言った真・善・忍の法理を思い出し、もしかするとこれは大法の師父が私が悪事を働くのを見て、私を気にかけてくださっているのではないかと思いました。心の中から突然一種の強烈な大法をもっと知りたいという願望が湧き出てきました。夫が帰るまで、私はやはり庭で固まったままでした。夫は私を抱いて部屋の中に入り、病院に連れて行って検査をしましたが、何の病気もありませんでした。

 2日後、老人はまた娘を通じて私を呼び、私に師父の広州説法のDVDと『轉法輪』という宝の書籍を渡し、煉功音楽もありました。縁があるのか、私は読んですぐ引きつけられ、1日3講を読み、朝晩は煉功の教材に従って2回煉功しました。

 十数日後のある日、私が「衝灌」(チョングワン、第3式の功法)を煉功している時、師父がまさに私の目の前に立たれ、手を伸ばされ、私のお腹に法輪を植え付けて下さるのをはっきり見ることができ、私は法を得ました。

 後なって、この邪悪が狂ったように迫害をしている時期に、私がやはりこの万古未曾有の大法を得られたのは、どれほど幸運であるかを知るようになりました。

 二、師父は私の体を調整してくださった

 師父は「われわれはここでは、病気治療などはしませんが、煉功できるようにするために、学習者の身体を全面的に調整します」[2]とおっしゃいました。

 私は修煉する前は胸椎、腰椎ともに問題があり、痛くなると薬で和らげる必要がありました。修煉したばかりだったので、修煉者は薬を飲んで業を押し込むのではなく、業を消去するという法理に関してまだよく分かっていませんでした。ある日、胸椎、腰椎にまた反応が生じました。学法グループで法を学んだ後、私がこの問題を話すと、ある同修が、修煉者は薬を飲まないと言いました。当時、その話を聞いた後、明らかに体が苦しいのに、薬を飲ませないなんて、と心の中に反感の気持ちが生じました。

 私を学法へ導いたその老人は、思いやりで私に医薬品の杜仲(トチュウ)を1箱を渡してくれて「飲みたかったら飲んでください」と言いました。私は1個取り出してみて、心の中で、飲むか飲まないかとためらい、最後に飲まないと決め、やはり師父に従おうとしました。まさにこの正しい選択で、師父は私にどのように私の体を調整してくださっているかを見せてくださいました。

 ある日、私が站樁(第2式の功法)を煉功していると、師父は私の天目を開いてくださいました。まさに師父の「天目が開いてから、一つの方向から同時に人の四つの面が見え、前から後、左、右が見えます。さらに一つ一つの断面をスライスするように見ることができます」[2]とおっしゃった通りでした。私は天目で、私の体の後ろ、そして体の左から右へ一つ一つの断面をスライスするように見えました。腰椎の位置に着いた時、他の空間で腰椎が命門の所から折れていたのを見ました。私が天目で右から左へ一つ一つの断面をスライスするように見ていた時、腰椎がすでに繋がれたのが見え、胸椎も同じように繋がれました。師父がどのように繋がれたかを、私に初めから最後まではっきりと見せて下さいました。

 師父は「その空間の身体が怪我をしたのですから、不具にならざるを得ないのではないでしょうか?」[2]とおっしゃいました。私は心の中で師父に無限に感恩し、私はもし私が大法を修煉しなければ、もしかすると本当に麻痺でベッドの上に横たわり、起きることができなかったと思います。師父が私を救ってくださったと思いました。同時に、私も修煉者はなぜ薬を飲まないのかを真に認識できました。

 三、法を正す修煉の道を歩む

 大法の修煉を始めてから、大量の学法を通して、私は大法弟子の使命は、まさに師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度する事であると分かりました。法を得たその年の元旦の夜、私は娘と車で出かけ、紙でナンバープレートを隠し、電柱に旗を掛け、道程はとても遠く、近隣の県まで行きました。政府の建物の周囲にも真相を伝える内容のカードを掛け、川岸の湿地に沿った公園の中に一通り全部掛け、警察署の前の公園にも行って真相資料を貼ったり掛けたりしました。夜、郷里から今住んでいる所まで20kmぐらいで、私達は毎回いつも途中にも貼りました。師父が法を正される最後の最後に、私達は大法の修煉に入ることができ、これはどれほど幸運なことでしょうか。大法を実証するために、怖がる心が生じたことはありません。

 我が家にも家庭資料点を作りました。往年神韻の原盤が持ちこまれた後、私と娘は昼から晩まで録画しました。私達は修煉を始めたのは遅いのですが、努力して勇猛精進し、夜0時に発正念をする時、師父が私に向かって笑って下さるのを見ました。我家の階下のある家は当時現職の警察署長と仲間で、出した音が彼に気付かれないように、息子もテレビの音量をとても大きくして、助けてくれました。

 息子の学校が始まるその日の朝、私はある夢を見ました。私達は資料を作っており、1階の女性がドアの隙間から中を覗いていたので、私は彼女に、私達は人を救い、人々に法輪功迫害の真相をはっきり伝えてうぃると教えました。彼女は何も答えず、振り返ってすぐ彼女の夫と何かを話していましたが、何を話したか分かりませんでした。彼女の夫は武装警察を連れて私達に向かって来ており、続いて私は目が覚めました。これは私にここは危険だ、とヒントを与えてくれていると認識しました。

 私が息子を送って、階下に着くとすぐに、階下の女性が駆け寄って来て私に「あなたの息子は学校が始まりましたか?」と聞きました。私は「はい」と答えました。心では、彼女は私達の一挙一動に全部関心を持っていると思いました。私は、息子を送ってから、家に入らず、そのまま同修の家に行って、今朝見た夢と階下の状況を話しました。同修は、「私達が修めているのは宇宙大法で、人類を救っています。1人の常人に悪い心が生じて、大法を破壊することは許されず、彼女が念を発したら、私達はすぐそれを解消するべきです」と言いました。

 四、洪水の後の奇跡

 2018年、郷里で洪水が起こり、部屋の水位は窓枠にまで達し、全ての物が全部水浸しになりました。水が引いた後、帰って泥を片付け、疲れて休む所がなく、夕方、やっと寝室のドアを開けました。ドアは逆流水が運んだ雑貨でびっしりと塞がれていましたが、部屋に入って見ると、私は呆気にとられました。当時、水位はベッドより30数cm高かったのですが防振ベッドの上は非常にきれいで、ちっとも濡れていなかったのです。

 私はベッドの上に横になって、思わず涙を流しました。「師父、あなたはいつでもどこでも弟子を見守って下さっています。師父は弟子が帰って休憩が必要なことを知られ、弟子に休む所を残してくださいましたね。同時に、衆生にも大法の奇跡を現わしてくださいました」

 翌日、次姉が友達を連れて来たのですが、彼らも、あまりにも不思議で、自分の目で見ていなかったら、誰も信じられなかったようでした。その友達は腕を広げて「何を使ってここを全部覆っていたの?」全く信じられないと言い、私に「あなたは神仙の姉さんですか?」と聞きました。私は法輪功を修煉していて、奇跡を私達に見せてくださったのは師父だと話すと、彼も本当に信じました。

 まだエピソードがあります。泥を片付ける過程で、我が家は人数が少ないのに、スペースが広いので、時間がかかっていました。以前、私達学法グループはいつも午後に集団学法をしていましたが、今は昼に時間が取れず、学法はちっともできず、非常に焦っていました。ある朝、煉功を終えた後、また二度寝をし、夢を見ました。とても長い会議テーブルがあって、それを囲んで皆で宿題をしていましたが、他人はみな終わったのに、私はちっともできていませんでした。日も暮れかかってきたので非常に焦り、「家に持ち帰って夜にやればできるかな?」と思いました。私のそばに先生が立っていて、彼が「家に持ち帰ってしてもいいですよ」と言ったところで、目が覚めました。

 故郷に帰って、晩ご飯を食べ終わったばかりで、2人の同修が我が家に来ました。私は彼女達に状況を話し、彼女達と一緒に行って法を学びました。この時から、私は昼は働き、夜は学法し、これも師父が私を悟らせてくださり、私を落後させないためでした。

 五、小さな事を大切にし、師と法を敬う

 ある朝、私がパジャマを着て坐禅をし、しばらくすると他の空間の佛が左前で、私の左の膝の方に向けて蹴ろうとしましたが、本当には蹴りませんでした。私は、心でどこを間違えたのかと思い、考えてみましたが、間違った所を探せませんでした。さらにこの佛はまた右前に来て、私の右の膝のほうも続けて蹴ろうとしましたが、やはり本当に蹴りはしませんでした。しかし、私の心の中は逆に落ち着かなくなり、必ずどこかがよくできていない、そうでなければこうならないと思いました。私が頭を下げて見ると、元々着ているパジャマは両膝を覆っていませんでした。ああ! 原因はここにありました。私は急いで服1枚を持ってきて膝に被せ、これで大丈夫になりました。

 この件から、私は次のように悟りました。私達が学法、煉功するのに、他の空間で、いつも師父の法身と多くの護法神が見守られ、私達は必ずある程度、ちゃんとした服を着るべきで、あまり露出したものは避けた方が良いのです。小さな事ですが、これも師を尊敬し法を敬う一つの現れです。

 これで私は次のようにも連想しました。私達が平素、集団学法をする時、遅く来て早く帰り、勝手に脚を伸ばし、途中外に出たり、常人の中での事を話したり、大法の書籍を勝手に置き、勝手に捨て、家で勝手に横になって、寄りかかって法を学び、法を聞き、ある時は学法するのに水を飲み、何かを食べる等々、全て師と法を敬わない現れではありませんか? 私達は全て気を付けて正すべきです。

 師父は次のようにおっしゃいました。「皆さん考えてみてください。私は以前、何度もあなた達にこの本を大切にすべきだと強調してきました。それが如何に貴重であるかを知らないとき、あなたがこの本を大切にしなくても、もちろん、あなたの間違いとは見做しません。しかし、あなたが既にこの本にどれほど深い内涵があるかを知ったとき、まだこの本を敬うことなく、ぞんざいに扱うならば、それはまた別のことで、そんなことをしてはいけません」[3]

 あっという間に修煉して8年が経ちました。8年間、また多くの奇跡が私の修煉の中で現れ、これは師父の私への励ましであると私は知っています。法を正す事がすでに最後になり、修煉の時間は多くありません。師父ご安心ください。私はこの最後の時に必ず勇猛精進し、三つのことをしっかり行い、法を正す進展に追いつき、師父について家に帰ります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『ヨーロッパ法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/20/422304.html)
 
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