文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2021年6月9日】(前文に続く)
私の娘
中国共産党(以下、中共)が法輪大法を迫害し始めてからは、私は夜になってから、法輪功の資料を配布しに出かけました。夜は暗いので、1人では心細いため娘に頼んで一緒に配りに行ってもらいました。娘は肝が大きいし、配るのも早いだけでなく、帰りに資料を持って自分の村でも配布しました。
その後、娘の家族は山東省の威海に引っ越しました。ある年、娘は多発性二重腎嚢胞と腎臓結石の病気に罹って、病院で手術を受けた後、医師から「もう治療できない」と言われました。 それを聞いた娘は大泣きをしましたが、絶望の中、娘は法輪大法を思い出したのです。娘は法輪大法だけが自分の命を救うことができると信じたのです。
娘が「実家に帰って母と一緒に法輪功を学ぶ」と言うと、中共の嘘の宣伝に洗脳され、大法を信じない婿の両親は猛反対しました。娘は夫に「病院で治らないと言われこの状態になったのに、それでも最後に母に会わせてくれないの?」と懇願して了承を得た娘は戻ってきました。帰りの列車の中では70代のお爺さんに席を譲ってもらい、娘は横になって休みながら帰ってきました。
娘が帰ってきた翌朝、私は娘を支えて起こし、煉功をさせました。大法は本当に奇跡的なのです。娘は学法し、煉功してから数日で病気が治りました。そして私と私の姉が、市場で買い物をした帰り、娘が迎えに来てくれました。娘は二人分の荷物を背負うと、私たちの前をさっと歩いていましたが、全然疲れませんでした。
その後、娘の家に行った時、娘婿の両親は「〇〇さん、法輪功は本当にすごいですね。嫁の病気は治らないと聞いて、とても悩んでいました。うちの息子は、病気の嫁のことが気になって、毎日会社から戻ってきては様子を見ていました。 嫁は、あなたと一緒に法輪功を修煉すれば治ると言っていましたが、私たちは全く信じていませんでした。 結果的に彼女は治りました!」と言いました。 それ以来、家族全員が大法を支持するようになりました。
私が娘の家にいた時、娘が料理をしようと台所に入った途端、家族のみんなが「法を勉強しなさい、煉功をしなさい」と言い、料理を娘にさせませんでした。法輪大法は彼らに、そして家族にも幸せを与え、彼らの大法への感謝の気持ちは言葉で表現できないほどです。
私の息子
私の息子は、法輪大法にとても賛同しています。夜中に資料を配りに行くのは怖いので、息子によく一緒に行ってもらいました。ある冬の夜、2人で資料を配りに行ったのですが、息子は私にこの村で配るように言うと、息子は郷政府の村に行きました。そして、郷派出所のドアに資料の1部をはさみ、郷政府の庁舎のドアを開け、資料の1部を中に置きました。息子が外に出た時、街灯がついていました。
その時、派出所から3、4人の警官が出てきましたが、資料を手にして堂々と庁舎から出てきた息子を見ても、誰もが黙って何も言いませんでした。
法輪功の資料を村で配布したある日、村の食料品店に大勢の人がいて、法輪功について話したり、中には誤解していることを言ったりする人もいました。それを聞いた息子は、「法輪功のどこが悪いですか? 法輪功は誰かを害したのですか?」と怒って問い詰めました。一正が百邪を圧するのですから、皆が直ぐに静かになり、そして大笑いして、誰も大法の悪口を言わなくなりました。
息子は歩いたり、バスに乗ったりする時、法輪功の話をしている人に出会うと、法輪功迫害の実態を伝え、また、法輪功の素晴らしさや、なぜ中共が法輪功を許さないのかを説明するのです。
息子は街の建設現場でとび工の作業員として働いています。仕事をしながら息子は「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」を唱え、周りの同僚たちも「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」を、大きな声で唱えました。
2人の義理の子供
私には2人の義理の子供がいます。この子たちの家に来てから、私は自分の子供のように接してきました。 この子たちの2人の嫁ともずっと仲良くしています。私は義母ですが、私たちの間に隔たりはありません。私が修煉者であり、大法の基準に従って修煉しているので、彼らは私から法輪大法の素晴らしさを感じ、皆が法輪大法に賛同しています。
2人の孫娘は、小さい頃から私と一緒に煉功をしていて、師父の『洪吟』の中の多くの詩を暗唱することができます。嫁が食事を作って呼びに来た時に、2人の孫と煉功をしているのを見ると直ぐにドアを閉めて、邪魔をすることはありません。私たちの煉功が終わってから、孫にご飯を食べさせるのです。
長男が仕事に出るときには、大法のお守りを身に付けます。次男も一緒に法輪功の資料を配ったりします。ある日、次男は工事現場で作業をしていて押し倒され、膝が地面に接触して負傷し、大きく腫れてしまいました。膝に水が溜まって滑膜炎になった次男は、家に帰って薬を塗って治療しました。腫れは引いたのですが、歩く時にはまだ痛みがありました。一緒に煉功しようと誘ったのですが、断られてしまい、仕事に行きました。数日後、次男は膝がまた腫れ上がって、目が窪んで痩せて帰ってきました。
今回は、「一緒に煉功しましょう」と誘ったら、次男は快く引き受けました。そして、私は彼に『轉法輪』を読み、煉功をするように導きました。 2~3日後、煉功の時に「お母さん、体に火がついて燃えるように熱い 」と言いました。数日後には、膝は完全に回復しました。
師父は私を救われ 私は衆生を救う
私の命は、師父が与えられたものであり、大法弟子として、大法から恩恵を受けるばかりでなく、大法を実証し、真相を伝え、より多くの人々を救わなければなりません。
最初の頃は、資料を配布して人を救うという方法をとっていました。修煉が深まるにつれ、「対面して真相を伝え、人を救いたい」と思うようになりました。最初、話す勇気もなかったので、物を売るという名目で一軒一軒を回り、子供服や手袋や靴下などを売りました。人の家の玄関まで来て、少し恥ずかしい気持ちがあったので、なかなか入る勇気がありませんでした。私は「物を売るのに、何を怖がっているの?」と自分を激励しました。庭に入ると物売りだなどとは言わずに、真相を伝えました。このようにして、少しずつ、少しずつ切り開いていきました。
その後、私は物を売るのをやめ、資料を持って直接行くことにしました。今日はこの同修と、明日は別の同修と組んで、2人で協力して真相を伝えました。
ある日、同修と一緒に大きな村に行きました。ある食料品店の前に20人以上がいたので、少し躊躇しながらも、「正念を持って向き合おう」と思いました。私はひょうたんのお守りと法輪功に関するパンフレットを1人ずつ配り、三退を勧めました。
私が彼らに法輪功迫害の実態を伝えていた時、突然、白いシャツを着た若い男性が食料品店から出てきました。男性は、カッコよく立派な雰囲気のある人で、彼が出てくるとみんなの視線が彼に集まり、みんなから「彼にも話してあげてね」と言われました。私は慈悲心を持って、笑顔で若い男性に小冊子を渡し、三退を勧めました。男性は三退に同意しました。
すべての人に伝え終えたあと、1人の男性がパンフレットを持って「お前は共産党に反対しているのか」と言いました。私はその話題に乗って、まるで集会でのスピーチのように、皆の前でもう一度説明しました。
話し終えると、そこから離れました。すると、白いシャツを着た青年が突然手を挙げて、「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。私も振り返って手を挙げて「法輪大法は素晴らしい!」と大声で言いました。その時私は、「衆生は救われるのをずっと待ち望んでいるのだ」と感じました。
大法弟子として、責任は重大であると分かっています。長年来、私は緩めることなく、衆生を救うために尽力してきました。私は、村の一軒一軒を回って真相を伝え、同修と一緒に市場で伝えています。時には1日に100人以上を脱退させることができ、少ない時には数十人を脱退させることができます。中国国内の迫害環境の下で、さまざまな危険に出遭うこともありますが、師父に見守られ無事に乗り越えることができました。
もし私が法輪大法を修煉していなければ、家族や社会の負担になっていたことでしょう。 法輪大法を修煉することで、私と私の家族は多くの恩恵を受けています。師父が健康な体と、幸せな人生を与えてくださいました。
私の家族全員が師父の慈悲なる救い済度のご恩に感謝しています。
(完)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』