青年の大法弟子:自我への執着を取り除く
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年6月19日】最近の関を乗り越えた体験を紹介したいと思います。正しくない部分は、慈悲なるご指摘をお願いします。

 法輪功迫害の真実について人々に話をしに行きました。受け入れてくれた人には、大法のお守りを渡しました。このお守りは、私の家からかなり離れたところに住んでいるAさん(同修)が作ってくれたものです。彼女はBさんの家によく行くので、私はAさんに、Bさんの家にお守りを持って行って、置いてもらうように頼み、私はBさんの家に受け取りに行くことにしました。ここで問題が発生しました。Bさんは協力してくれず、お守りを渡すことに対して厳しく反対する言葉を投げかけてきました。Bさんは、私のためのお守りを、Aさんに無理やり持ち帰らせてしまったのです。

 事情を知ってから、私に最初に生じた念は、排斥と反発でした。同時に、私は、「真相を伝えることがどれほど難しいことか、あなたにはわからないのか? 綺麗な記念品は人に好まれるが、相手に配ったとき、私達は十分気をつけているのに、なぜあなたは渡してはいけないと言うのか? あなたは説教が好きなのか?」と思いました。

 しかも、Bさんから「会って話しましょう」と言われて、私はさらに動揺してしまいました。Bさんと話したくありませんでした。私は怒りを覚え、不当に扱われたと感じ、バランスを崩しました。私の反応は、修煉者としての心理状態とはかけ離れていました。内に向かって探すことを忘れ、Bさんがいかに間違っているかばかりを考えていました。

 数日後、私は自分自身に問いかけました。「なぜ私はこんなにも動揺しているのだろうか? 人々に事実を明らかにするためにお守りは必要なのだろうか? 私の執着は何だろう?」

 私は落ち着いて、自分の内面を見つめ直す必要があると思いました。私は人から批判されるのが好きではないことに気づきました。私はいつも最終決定権を持ちたいと思っていました。また、他人を見下していました。だから、Bさんが私を助けようとせず、さらに批判したとき、私は動揺しました。お守りがあるときは配り、ないときは何もしないのですか? 自分のやるべきことを続けてやるべきです。そう思った私は、法輪功迫害に関する資料を50部持って、あるマンションに配りに行きました。

 エントランスに着くと、すぐにドアが開きました。エレベーターを待っていると、後ろの人が「ドアを開けるにはパスが必要ですよ」と言っているのが聞こえました。師父が私を励ましてくださっているように感じました。その日は、すべてがとてもスムーズに進みました。終わった後、もう1人の修煉者と会って、人々の意識を目覚めさせるために他にもできることがあるのではないかと話しました。

 私たちは協力して、午後には、袋一杯の資料を人々に直接配りました。また、12人が中国共産党の組織から脱退することの手助けもしました。私はこの関門を乗り越え、自分の心性を向上させることができたと感じました。師父が私を加持してくださったので、より多くの人々を目覚めさせることができました。師父、苦労して按排してくださってありがとうございます。私の心性を向上させ、観念や人間の執着をなくす手助けをしてくれた同修に感謝します。

 二、さらに執着を取り除く

 最初にこれらの執着を取り除こうとしたとき、すぐにはできませんでした。まだまだ改善の余地があると思いました。そこで、師は別の機会を用意してくださいました。

 旧正月に人々に事実を説明するとき、私は通常、新年のカレンダーを渡します。そのカレンダーを私が作って、ある修煉者の家に持っていくのです。その修煉者と私が一緒になって配るのですが、3、4日で100枚以上配ることもあります。

 ある日の夜、この同修の家にカレンダーを届けました。次の日に行ってみると、Aさんが何人か連れてきて、カレンダーを一枚一枚バラバラにしたそうです。Aさんが言うには、穴が内側に寄りすぎていて、ページをめくるのが少し難しいとのことでした。

 分解されたカレンダーが2つの箱に積み上げられているのを見たとき、私は我慢できませんでした。思わず「えっ!」と言ってしまいました。私は「全ては彼ら次第なのか。めくるのが難しいからといって、めくられないわけではない。バラバラにしたのを、なんでちゃんと戻さないのか? 私達はカレンダーを配らなければいけないのに、今配るものは何もない。私たちの時間を無駄にしたのではないか? こんなにたくさんのカレンダーを一人で作るのは簡単だと思っているのだろうか?」と思いました。

 もし、彼らが分解したカレンダーを持ち去っていたら、私はあそこまで怒らなかったかもしれません。何日も続けてそのまま放置してしまったので、私はバラバラになったカレンダーを見て余計に腹が立ってしまいました。

 私は「ここ数日、私は冷静に法を学ぶことも、真相を伝えるために出かけることもできないほど、心が乱れていました。しかしこの怒りは、私が手放さなければならない別の執着を示しているのではないか」と考えました。心が落ち着くとすぐに、カレンダーを回収して自分で直そうと思い、同修の家に行きました。私が行ってみると、カレンダーはなくなっていました。

 この関門はすぐには乗り越えられなかったのですが、最終的には乗り越えたと思います。

 2つの関門を乗り越えることで思い出したことがあります。何かに直面したときには、物事の表面的な善し悪しにとらわれず、自分の考えを改め、大法の原理である「真・善・忍」を貫く必要があります。この点について、私は非常に不十分でした。師父の恩に報いるためにも、今後は心性を向上させるよう頑張り、人間的な観念を一刻も早く排除していきたいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/20/422324.html)
 
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