文/中国の大法弟子 寧寧
【明慧日本2021年6月22日】私の母は1997年、私が5歳の時に法輪大法の修煉を始めましたが、これは確かに私にとって最大の幸運でした。
母は毎日、同修の家に行って法を学んでいました。私は母の「小さな尻尾(しっぽ)」となり、どこへでもついて行きました。母や同修たちが声を出して法を読むのを、私は座って聞いていました。
また、同修たちは私に『轉法輪』という本をくださいました。私は読むことはできませんでしたが、手に持って見ていました。同修たちが母に大法の五式の功法を教えているとき、私もそれを学びました。動作は正確にすぐ覚えました。また、母が『洪吟』の詩を朗読するのを何度か聞いているうちに、暗唱できるようになりました。
ある日、町で集団煉功があり、母は私を家に置いていく予定でした。もちろん、私は一緒に行きたかったので、泣き叫びました。母は仕方なく私を連れて行きました。煉功場では最前列に陣取ったことをよく覚えています。第二式の功法(法輪樁法)を最後まで休まずにできたのは、そのときが初めてでした。
子供の頃、私はとても熱心に大法を学びました。大法のことは僅かしかわかっていませんでしたが、日常生活で守るべき基本的な原則、「真・善・忍」は常に覚えていました。子どもたちにいじめられたときも、この貴重な三文字を思い出しては我慢し、それを気にしませんでした。その時、私は学校のみんなに、母が法輪大法を修煉していること、大法は素晴らしいことを話しました。先生たちも私が修煉者であることを知っていました。
しかし、平和な時間は長くは続きませんでした。1999年7.20、法輪大法への迫害が始まりました。私はいつも大法の素晴らしさを知っていました。母は天安門広場での焼身自殺の真相をすぐに私に話してくれました。
しかし、なぜ人々が大法の創始者である李洪志師父や大法をあのように誹謗中傷するのか理解できませんでした。先生や校長からは「修煉をやめなければ退学させるぞ!」と脅されました。当時、私は何も知らなかったので、同意しました。今となっては後悔しています。それ以来、学校でよくいじめられましたが、自分が大法の修煉者であることを決して忘れたことはありません。「真・善・忍」の原則に従わなければなりません。
母は2002年までに天安門広場に3回行き、法輪大法の無実を訴えました。母は5回不当に拘留され、3回洗脳班に送られ、2回労働教養所に入れられ、死ぬほどの迫害を受けました。
母への迫害は、私と家族にも大きな被害をもたらしました。当時、私は小学5年生でした。中国共産党が広めた嘘は、私の先生やクラスメートを蝕んでいきました。彼らはテレビで宣伝されているように、修煉者は悪い人間だと思っていました。先生たちは、理由もなく私を罵倒したり、罰したりしました。成績は良かったのですが、私は毎日、教室の一番目立つところに立たされ、罰せられました。
母が逮捕され、家が荒らされた後、誰も私に法の勉強や煉功を勧めてくれませんでした。父はすでに不機嫌で、警官がよく家に来て私たちを脅していたので、ますますイライラしていました。そのような環境下で、私は次第に修煉しなくなりました。
私は常人となり、「真・善・忍」を忘れてしまったのです。私は父と毎日喧嘩をしながら育ちました。父に対し、母の解放を求めないことを恨み、父が不機嫌になると私に八つ当たりするのを恨みました。中学、高校、そして大学でも、私は最も問題の多い、反抗的な少年になりました。この反抗期は、他の同級生たちよりもずっと長く続きました。
実は、私が高校2年のとき、母は「療養のための一時出所」で家に戻って来ました。父が母を背負って家に入ったとき、2人は大喧嘩をしてしまいました。しかし、私は大法が素晴らしいことをよく知っており、師父が何度も母を死から救い出してくださるのを目撃しました。
父はとても大変だったと思います。父は毎日、母が連れ去られるのではないかと恐れ、連れ去られたら、拷問や迫害され、ひどい目に遭うのではないかと心配していました。それと同時に、家族を養うためにお金を稼がなければなりませんでした。家の中のことも外のことも心配していたので、実際にはかなりのプレッシャーを感じていたようです。
しかし、私は自分をコントロールすることができませんでした。家の外では落ち着いているのですが、家に入った途端、訳もなくキレてしまうことが多くなりました。後になって、これは魔による妨害であり、この魔の本性による悪い行いは本当の私ではないことがわかりました。
その後、私が働き始めると、母は私に法を学ばせようとあらゆる手を尽くしました。私は大法が素晴らしいのはわかっており、修煉を続けたいと思っていましたが、魔に支配され、母に腹を立てていました。本当は、法を学びたかったのです。時には、数日間『轉法輪』を読み、しばらくして怠けてしまい、そしてやめてしまうことがありました。これらのすべては魔の仕業です。本来であれば、それらを取り除くために正念を発すべきなのですが、当時の私はその方法を知りませんでした。
私は医学生でICUで実習していたので、死人を見るのは日常茶飯事でした。ある時は、患者の体がすべてぼろぼろになり、家族がやっと治療を断念することもありました。私は死体の処理をすることも多く、時には深夜に一人ですることもありましたが、恐れることはありませんでした。
しかし、仕事を終えて家に帰るたびに悪夢を見ました。それからは、昼夜を問わず、ほとんど毎日見るようになりました。夢の中では、さまざまな幽霊に追いかけられたり、怖いものを見たりして、恐怖で目が覚めてしまうこともありました。しばらく起きていると、また寝てしまい、怖い夢が続きました。
時には家の人形や貯金箱、さまざまな動物が私を追いかけてくる夢も見ました。私は母に、家にあるすべての人形を捨てるように頼んだこともありました。しかし、悪夢は私を追い続けました。ベッドを見ると恐怖を感じましたが、それでも眠らなければなりませんでした。
その後、私はやっと大法を思い出し、2017年の年末に本格的に修煉を始めました。それはクリスマスの日でした。本当にとても幸せでした。あんな気分になったのは私の思春期にもなかったことです。その一方で、すぐに自責の念に駆られました。貴重な15年間を無駄にしてしまったのです。私はこれまで何度も師父の啓発に気づかず、申し訳ありませんでした。
これからは、大法弟子として、私はしっかり修煉しなければなりません。私は父を恨むのをやめました。修煉の中で、何かのトラブルに遭ったとき、それは自分のせいであり、うちに向けて探さなければなりません。
私は修煉をよく怠けたくなり、それを直さなければなりません。また、闘争心や人間的な情も捨てなければなりません。トラブルの中で内を見つめて修め、三つのことをしっかり行い、大法の弟子として相応しい資格を得るべく努力し、法を正す進展に追いついていきたいと思います。
個人的な体験なので、適切でないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。