【国際ネット法会】自我を突破し 苦手なことを成功させる
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2021年8月8日】

 偉大なる師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 私は日本に住んでいる中国人の大法弟子です。子供の頃に両親と一緒に日本に来てから修煉を始め、もうすぐ10年が経ちます。以下は、私の修煉体験です。 もし適切でない点があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 私が幼い頃に父はすでに修煉を始めていたのですが、様々な原因で、私はいつも修煉の機会を逃してしまいました。私は小学校6年生の時から『轉法輪』を読み始め、小学校を卒業したときに正式に修煉に入りました。その時、私は『轉法輪』が他の本と違って、文章自体は難しくないのですが、内容は他の本にはないものだと感じました。法を学び、煉功を通して、徐々に成績が上がってきました。小学生の頃、私は成績が悪く、特に国語は苦手でした。当時、私は日本語の補習クラスに通っていて、日常会話の中でも、同級生が何を言っているのかわからないこともあったので、試験の成績はなおさらです。大法を学んだ後、私の成績は飛躍的に向上しました。修煉してから数カ月後、中学に入学して初めてのテストで、国語は満点でした。

 修煉してからは、以前より健康になりました。私は毎年冬になると鼻炎になり、数カ月間、漢方薬を服用しなければなりませんでしたが、修煉後は全く発症しなくなったので、薬を飲む必要がなくなりました。また、子供の頃から苦しんでいた乗り物酔いも解消されました。その後、病院に行ったことはありません。

 中学2年の時、夢の中である光景を見ました。私はどこかで真相を伝えており、道路の両脇にはたくさんの高層ビルがありました。歩いているうちに、厳重に警備された建物の前に来ました。共産党の建物だと分かり、入り口の前に2人の警官が立っていて、私を止めました。私は、中にたくさんの人がいて、その人たちを救わなければならないと思って、あまり深く考えずに恐れることもなく、勢いよく中に入りました。今思えば、中国共産党(以下、中共)が国家機構を使って迫害しているときに、真相を伝える勇気があるかどうか、本当に修煉する勇気があるかどうかを試されたのかもしれません。

 小学校の頃から、同じクラスにとても強い女の子の同級生がいて、気性が荒く、少年だった私は時々いじめられていました。ある日、寝ている時に夢を見たのですが、試験会場で、その女の子が私の前の席に座って、書いていたとき、誤って消しゴムを床に落としてしまいました。私は消しゴムを拾って渡しましたが、女の子はお礼を言うどころか、私を罵りました。私は心を動じずに、ただ微笑んで消しゴムを渡しただけでした。目が覚めたとき、師父が説かれていた「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」[1] というのはこういうことだったのかと思いました。その時から、その女の子は二度と私をいじめなくなり、これは大法の力だと実感しました。

 私は修煉を通して、人との付き合い方を学び、今の社会の中での多くの観念が間違っていることを知りました。ある日、道徳の授業で、先生が「もしも親と対立した時、例えば欲しいものを買ってもらえない時、あなたはどうしますか?」と質問しました。クラス全員の一致した答えは、「親と喧嘩して、自分の欲しいものを必ず手に入れる」というものでした。その時、私は何も言わなかったので、先生は「あなたはどう思いますか?」と聞きました。私は、「親と喧嘩するのではなく、落ち着いてなぜそれが欲しいのかを説明し、親がお金を出すのだから、どうしても買ってくれないのであれば、諦めます」と答えました。話を聞いた同級生たちはみんな驚きました。学校の授業の中に「思春期」というものがあって、「親に反抗するのは正常なことだ」という専門家の意見が引用されていたので、当時は家族との関係が上手くいかない生徒が多く、トラブルも多かったようです。私の答えを聞いた先生は、「あなたのような子どもがいれば、親は安心できますね」とつぶやきました。

 対面して真相を伝える中で心性を向上させる

 2017年9月、京都で開催された迫害の実態を伝えるイベントに参加しました。 それは、世界中の医師や研究者が参加する国際的な医学会議でした。会場ではブースを借り、台湾の同修の協力を得て、会場の外で資料を配布し、効果がとても良いものでした。

 私たちのブースはちょうど通路に面しており、人々は私たちのブースの前を通りました。午前中、迫害の実態を伝える中で、中国人の男性を見かけました。日本で迫害の実態を知ってもらいたいと思って、彼のところに行って迫害の実態を説明しました。男性は何も言わず、ただ黙って聞いているだけでした。人が多いので、歩きながら話をしていたのですが、通路の端まで来たところで、男性は急に私の方を向いて、いきなり手で私の肩を押しました。私は用心していなかったので、押されて数歩後ろに下がりました。彼はさらに嫌なことを言った後、立ち去っていきました。

 師父は「『街を歩いていて不意に誰かに蹴られた時、まわりに知っている人がいなければ我慢できる』と言う人がいます。それではまだ不十分だ、とわたしは言いたいのです。あなたが最も面子を失いたくない人の前で、誰かがあなたに平手打ちを食らわして、恥をかかすようなことが将来起きるかも知れません。果してあなたはそれにどう対処しますか。果して耐えられるかどうか。一応は耐えられたとしても、内心では落ちつかないようでしたら、それでも駄目です」[2]と説かれています。

 たくさんの人が行き交う中で、自分は面子を失い、心が大変辛くなり、泣きそうになりました。私はこの段落の説法を思い出し、心の中で繰り返し唱えたことで、徐々に感情を抑え、引き続き迫害の実態を伝えました。実際、大多数の人の反応は比較的良いものでした。資料を受け取った外国人の医師と妻が、足を止めました。彼は眼科医なので、私は中共の角膜移植を切り口に、中共が学習者の角膜を取る目的で眼科検査をしていること、中共が大規模に生体臓器狩りを行っていること、および学習者への迫害などについて話しました。眼科医師は大法弟子に深く同情し、「臓器の強制摘出に反対する医師団」のホームページに署名しました。 イベント全体はとても良い効果を得ました。最終日に医師たちの署名を数えてみると、数百人に達しました。

 メディアに参加し、真相を伝えて人を救う

 私は大学卒業後、銀行に就職しました。勤務時間はそれほど長くなく、規則正しい生活を送っていましたが、付き合いは多かったのです。3日に一回小さな宴会、5日に一回大きな宴会というわけではありませんが、同僚や先輩、上司とのさまざまなパーティに参加したりして、帰宅して翌日の仕事の準備をしなければならない状況では、個人的な修煉を保証することは難しく、真相を伝える時間はさらに少なくなりました。

 2020年12月、「大紀元のフルタイムの社員になりませんか」という大紀元の同修からの電話がありました。その時、私は師父の説法を思い出しました。「皆さんにはしなければならないことが多くあり、常人の仕事をきちんとこなし、家庭のこともあり、大法弟子は法を勉強し煉功する時間も作らなければならず、さらに真相を伝えること、大法のプロジェクトへの取り組み、大紀元のことなどがあります。もし、真相を伝えることと大法弟子のマスコミの運営を一つにすることができれば、時間の配分を減らすことができるのではありませんか? しかも生活の問題と常人社会の仕事の問題も解決することができ、なぜ喜んでこのようにしないのでしょうか? 私は現在の勢いからこのようにしなければならないと思います」[3]

 修煉者は、師が法を正すことを手伝うためにここに来ているのであり、裕福な生活や名利を追求するためではないと思いました。家族の同修の賛同と励ましを得て、私は銀行の仕事を辞めて大紀元に専念することを決心しました。

 大紀元に入社した当初は、主に翻訳や編集の仕事に従事し、私にとってやりやすかったのですが、情勢の変化に伴い、メディアへの要求も変わってきました。 昨年のアメリカの選挙以降、日本の大紀元も大きく成長し、購読者数は数倍に増え、本社からは日本にも現地のニュースを報道する独自の記者を設置するよう求められました。このように翻訳者から記者になった私は、表立って「難しい」とは言いませんが、心の中で猛烈な反応がありました。私は人と接するのが苦手なのです。

 師父は次のように説かれています。「煉功する時、時間が長くなると腕も足も疲れますが、それだけで功が伸びるのでしょうか? 数時間余計に煉功するだけで果して功が伸びるものでしょうか? それは本体を転化させるのに効果があるだけで、しかもそれでも、エネルギーによる加持がなければなりませんので、次元を向上させるうえでは役に立ちません。ですから、『其の心志を苦しめる』ことこそ本当に次元を向上させるための鍵です」[2]

 「なぜ知らない人と接触するのに抵抗があるのか」と、自分の内に向けて探しました。まとめてみると、面子やプライドにこだわる心、また安逸心もありました。 このような心を持っていると、取材をする時に「相手に理解してもらえないのではないか」、「ひどい扱いを受けるのではないか」、「良いコメントが得られないのではないか」と心配になってしまいます。師父は「怯えるのも執着心の一つです」[2]と説かれました。執着心であれば、それを取り除くべきです。やがて、その機会はありました。

 3月初旬、同修は人権問題に関心のある国会議員に連絡を取り、時間を約束しました。しかし、事情で同修が行けなくなったので、私が引き受けました。その時、私は快諾し、同修も連絡を取ってくれましたが、心の中では依然として不安でいっぱいでした。

 まず、私は国会議員の所在地域に行ったことがなかったので、何も分からず、議員の名前も初めて聞きました。また、もしインタビューの時に、失礼なことをすれば、メディアの信用を失ってしまうのではないかと考えました。当時、私は大紀元の正式社員になって1カ月ほどしか経っておらず、取材に関しては全くの素人でした。でも、自分を行かせるのだから、相手は自分と縁のある人であるかもしれないと思いました。

 師父は「修煉のとき、どんな環境であれ、どんな階級、身分であれ、あなたが行なったこれらのことを偶然だと思い、運の良いこともあれば悪いこともありますが、本当に見ることができたら、それはあなたの願いでできた道だと分かるのです。偶然なことはありません」[4]と説かれています。

 師父がおっしゃったように、今回の取材も偶然ではありません。インタビューは非常にうまくいき、国会議員の普通と違った正義感を感じました。議員は学習者が迫害を受けていることや、臓器狩りのことに言及し、中共に大きく浸透している日本の国会議員の中ではかなり珍しいのです。取材が終わってから記念写真を撮って、楽しくインタビューを終えました。

 全体の過程の中で、当初心配していたようなことは一切起こらず、予想以上の結果を得ることができました。それらの心はすべて妨害の要素であることが明らかになり、取材が成功したことで自信がつき、それ以来、恐怖心もそれほど強くなくなりました。

 私はこの国会議員と良い関係を築きました。香港の大紀元の印刷所が襲撃された後、彼を電話で取材しました。議員は、暴徒が大紀元の印刷所を破壊したことに怒りを覚え、このようなことがあってはならないと話しました。彼は「不思議ですね、あなたが電話をかけてきたとき、私はちょうどその映像を見ていました。本当に縁があります!」と教えました。また、その日の朝、彼は街頭演説をしている時、一人の男性が近寄ってきて、「大紀元に載っているあなたの報道文を読んだよ、あなたは素晴らしい正義感を持っています。ぜひ続けて頑張って下さい」と言われたそうです。議員は、その時とても感動したと言い、自分の人権擁護活動を報道してくれた大紀元に感謝の意を表しました。私も彼の言葉を聞いて、心が温かくなり、彼の選択が正しかったことを嬉しく思いました。

 テレビに出演し 面子にこだわる心を取り除く

 大法の修煉は本当に一つ一つの段階がしっかりと繋がっています。議員をインタビューした後、責任者から「カメラの前でリポーターをしてもらえないか?」と言われました。その時、私は恐怖心で、すぐに「はい」と言えませんでした。私はこれまで、テレビで顔を出すことに非常に抵抗感がありました。その理由は、恐怖心、面子を失いたくない心がある以外に、自分の顔に自信がないからです。この自信のなさは、ずっと悩んでいた問題でした。

 私はどちらかというと赤い顔をしていて、歴史上の関羽の顔に似ているかもしれません。しかし、日本人は一般的に顔が白いので、学生時代には当てこすりをされたこともありました。修煉してから、以前のように赤くはありませんが、この精神的なコンプレックスを克服することはできませんでした。私は、韓国の同修が書いた交流文章を読んだことがあり、同修が数々の苦難を乗り越えて立派な司会者になったという内容でした。同修ができるのなら、自分は試してみない理由はないと思ったのです。

 師父はこのように説かれています。「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」[2]

 これらのことを気にせず、執着心を取り除こうと思いました。その時、本当になかなか決まらない時期でした。「結局、カメラに映っていいかどうか、万が一、視聴者に嫌な思いをさせたらどうしよう」と何度も考えました。その時、一つの考えが頭に浮かびました。それは、大法が必要とすることは、私たちの行うべきことです。師父は『轉法輪』の中で、工場で働く修煉者は上司から与えられた仕事に文句を言わなくなった例を書かれていますが、私もプロジェクトの責任者に協力すべきではないかと考えました。深く掘ってみると、「万が一、視聴者に嫌な思いをさせたらどうしよう」という心配の背後に執着が隠れています。 私は「たとえ、今まで自分のことを言っていた同級生が何か言ってきても、誰に何を言われても構わない」と決意しました。その瞬間、心の負担がなくなり、長年抱えていた悩みが消えたように感じました。それらの心から超越して、悩んでいる要素が自分のところに届かなくなったと悟り、出演しました。

 出演が終わった後、同修から聞いた話によると、日本人たちの反応はとても良く、私の顔がどうのこうのと言う人はおらず、逆に若い人が血色良く見えるのは良いことだと言っていたそうです。また、とても素朴で親しみを感じるという声もありました。これは私の予想外のことでした。この経験から、私は自分の容貌に執着しなくなり、自信を持てるようになりました。長年持っていた執着心を取り除き、修煉の機会を与えて下さった師父に心から感謝しています。

 おわりに

 毎回、自分の修煉を振り返ると、いつも心の中には師父への無限の感謝の気持ちが湧いてきます。師父に見守られているもとで、私は次々と困難を乗り越え、心性を向上させ、同時に自分の能力を高めてきました。

 大きな問題にぶつかったとき、トラブルに遭い心の中が苦しく感じるとき、師父が説かれた「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2]という言葉が自然に頭に浮かんできます。内向的な私にとって、対面で真相を伝えることは、常に試練でした。しかし、師を信じ法を信じる正念があったからこそ、勇猛精進して歩んできて、苦手なことを一つずつこなしていくことができました。

 乱世の中で大法に出会い、衆生を救うプロジェクトに関わることができたことを、とても幸運に思っています。私は三つのことをしっかりと行い、師父の要求に従ってメディアの仕事をより良く行っていきたいと思います。以上は、私の修煉体験であり、この文章をもって、師父への敬意と感謝の意を申し上げます。

 最後に、師父の『洪吟二』の中の「執着を取り除く」を摘録し、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。

修煉の事と言うなら

心の中の執着を取り除くべし

切り捨てることは本当の自己には非ず

それらすべて迷い中の痴

 師父、ありがとうございます!

 皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』

 (2021年国際ネット法会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/21/427249.html)
 
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