文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年5月3日】私が住むA県の同修たちは最近、お互いに多くの意見の相違を経験しています。私たちは一人ひとりが自分の意見を主張し他人を非難し、「問題があったときに内に向けて探すことは、大法弟子と常人との根本的な違いなのです」(『精進要旨』「大法山東輔導站へ」)という師父の教えを完全に忘れていました。隣の県の警察さえも、私たちの意見の相違を聞いていました。そのうちの一人の警官は、隣の県の同修に「A県の状態は混乱しています」と話しました。
私も最初は意見の相違に巻き込まれ、「自分が正しい、自分の言ったことは同修の向上につながる」と考えていましたが、私は師父の導きで徐々に目覚め、旧勢力がいかに私たちの執着を利用して私たちが衆生を救うことを妨げているかを認識しました。
私は議論をやめて法輪大法の迫害事実を人々に毎日伝え続けました。これにより、私は徐々に本来の修煉状態を取り戻すことができました。
しかし、同修の中には、自分の執着が衆生を救う私たちの力をどのように損なっているのかを理解できていない人もいます。他人の間違いに執着するあまり、衆生を救うことを最優先として扱わなくなっている人もいます。私は彼らと話すべきかどうか迷ったので、師父にご教示をお願いしました。
師父は、私が修煉者全員のことを心配しているのを察知されたに違いありません! なんと、その日の午後、私は交流したい人に出会ったのでした。
私は彼女を、「トラブルメーカー」として扱っていました。私たちは約束もしていなかったのですが、他の同修の家の玄関まで一緒に歩いて行きました。私たちは二人とも、師父がその同修の家で会うように按排してくださったに違いないことに気づきました。
交流の中で、私たちは自分の意見を主張するのではなく真剣に話し合いました。
私は彼女に謝りました。そして、彼女の改善できる点を親切に指摘しました。彼女は私の謝罪を受け入れ、師父の期待を裏切ったことを認め「もっと良くするつもりです」と言いました。
私たちは数時間話しました。私たちは二人とも「過去のことを放下し、衆生を救うことを優先したい」と話しました。
私は自分の体験を、明慧ネットを通して全世界の同修と交流し、他の場所にいる同修たちが私たちと同じ間違いを避けてくれることを願っています。
私たちが、衆生を救うための時間は残り少なくなってきています。私たちは他人の間違いを放下し、自分の内側を見つめ、親切に助け合う必要があります。自分が正しいことを証明するために他人を打ち負かす必要はありません。 私たちの行動が衆生を救う上でどのような役割を果たしてきたのか、皆さんも深く考えていただければと思います。
師父はこう説かれました。「皆さんが自分自身や相手、そしてこの環境を大切にするよう望んでいます。歩んできた道を大切にするのはつまり、あなた自身を大切にしているのです。(『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」)
同修の皆さん、同修との縁を大切にしましょう。私たちは手を繋いで真の家に帰りましょう。
個人的な体験ですが、次元が限られているので同修の慈悲なるご指摘をお願いします。