奇跡的な出来事で娘と共に大法の道に導かれる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年8月24日】私は小さな町の普通の家庭で育ちました。両親は私のことを無口で冷たく、プライドが高く、時折陰鬱で気が小さく、些細なことに怒るので「紅楼夢」の林黛玉に似ていると言っていました。

 私はずっと以前から「人はなぜ生きるのか? 何のために生きているのか?」という疑問があり、悩んでいました。そして、18歳の時に大病を患って死の淵を彷徨い、両親も私も生きられる希望を持っていませんでした。しかし、驚くことに私は生き返り、町の人は私に会うと、「大きな難を乗り越えた後は、必ず福がありますよ」と言ってくれました。今になって神が私に与えてくれた最大の福は、大法を得たことだとわかりました。

 20歳の時大学に進学し、現在の街に来ました、その後、結婚して子供を産み、見知らぬ街に来て、全てを一から始めなければなりませんでした。 夫の家族は私を末娘のように扱い、大学を卒業させてくれました。幸い夫の実家には知識人が多く、穏やかで優しく、生活のあらゆる面で私を大切にしてくれました。

 義母が法輪大法のことを話してくれた時、私は一つも抵抗感がありませんでした。しかし、無神論の家庭で育った私は、修煉のことを知らず、物語として聞きました。その後子供ができ、その間に義母と一緒に『轉法輪』を1回読みましたが、読み終えても、私は何が書いてあったのか全く理解できませんでした。

 子供が3歳のとき、義母が一緒に煉功することを勧めてくれました。体裁もあり、断ることができず一緒に煉功しました。当時、煉功はとても疲れると感じ、特に第二式の功法は手を上げるとすぐ疲れてしまい、すぐにやめたいと思いました。その上、どうして手を上げないといけないのかも分かりませんでしたが、仕事と諸事情により、数日間しか煉功しませんでした。しかし、毎日の出勤途中では「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」と念じることは好きで、念じ続けました。また帰宅途中では法輪大法の音楽の『普度』、『済世』を聞いていました。ただその音楽が好きで、聞きたかったからです。

 ある晩、「オープントップのバスに乗って繁華街を通っていた時、目の前の空に多くの仙女が現れた」夢を見ました。とてもリアルで、私は興奮して、時間が経っても夢の中の空の様子をはっきりと覚えていましたが、 夢なので時が経つうちに忘れていきました。

 ところが、ある日突然首が動かなくなり、ひょんなことからガラスのドアにぶつかり、顔を切って何針も縫ったことや幾つかの出来事で、私は法輪大法の修煉に戻ることができました。それでも目が醒めず、毎日世俗を彷徨っていました。

 2017年、娘が高熱を出し、なかなか下がらなかったため、省内で一番大きな病院に行きました。しかし、「特効薬はない」と言われ、毎日娘と病院を往復する日々が続きました。苦しそうな娘を見ると涙が出ました。

 の病状を知った義母は、「あなたが娘をここに連れてきて、一緒に『轉法輪』を読んで、煉功しましょう」と私に言いました。義母の言うことに従ったところ、娘は少しずつ元気になっていきました。しかし、私はやはり漢方医に診てもらったから、良くなったのだと考えていました。その後、娘がまた熱を出したため、再び漢方医に診てもらいに行く途中で担当医が休みだと気づき、不意に家に帰って学法しようと思いました。

 帰宅後、娘と『轉法輪』の本を読み、読み終えた直後にもう熱は下がっていました。本当に奇跡でした! その後、娘が熱を出すたびに、娘自ら「本を読みたい」と言い出し、漢方医や病院には行きませんでした。本を読む度に、娘は本当に元気になりました。 

 このような奇跡を何度も目の当たりにした私と娘は、一歩ずつ大法に近づいていきました。最初の頃は、内容をよく理解できていなかったのですが、それでも毎日家に帰って『轉法輪』をじっくり読みました。

 師父は私のこの心を見て、少しずつ大法を理解できるように導いてくださったのかもしれません。本を読めば読むほど読みたくなり、少しずつ本の内容も理解できるようになりました。一文字一文字の背後に、それぞれ佛、道、神がおられると感じました。

 娘は中学に入り、寮生活になりました。私は毎日、仕事以外の時間、師父の説法を聞き、なぜか師父の説法は聞けば聞くほど聞きたくなり、ひたすら繰り返し聞きました。

 この時期、勤めていた会社は別の会社に統合され、私は電話応対の担当をすることになりました。毎日、さまざまな人から電話がかかってくるのですが、失礼な人や理不尽な電話に遭遇しても、師父は「善」という文字を頭に入れてくださり、私は怒ったり反論したりしませんでした。最初は「なんで全然怒らないんだろう?」と自分でも驚きました。しかも熱心で、誠意をもって相手の問題を解決すると、相手も徐々に冷静になるのです。 以前の私は、暴言を聞くとすぐに怒り、自分でもつい口走ってしまうことが多くありました。今では、どんなことに遭ってもみんな良いことであり、私の心性を向上させるためだと思うようになりました。このように考えると、どんなに失礼な人に出会っても、落ち着いて対応できました。

 私はいつも明慧ネットで、同修が人々に大法の真実を伝える体験を読んでいます。しかし、どのように大法の真実を伝えればいいのかわからないと悩んでいました。 ある日突然、ある考えが浮かびました。私の今の仕事は、真・善・忍を人に伝えることではありませんか?  師父は、私に仕事を通じて大法の素晴らしさを伝えるように教えてくださいました。 師父、本当にありがとうございます!

 人生の目的は返本帰真だと明慧ラジオを聞いたとき、心の底から「確実に修煉し、師父について本当の家に帰りたい」と強く思ったのです。 その頃の私は「返本帰真」とはどういうことなのか、なぜ三つのことをやらなければならないのか、はっきりと理解していませんでした。師父の説法を何度も聞きましたが、私はただそうすべきだと思っていたのです。
 ある日、天目を開く説法を聞いていた時、師父がおっしゃる前額の締め付けについて私は何も感じたことがなかったのですが、その時、前額に何かを感じ、手で触りました。そして、勤務中の昼休みに目を閉じると、目の前にまつげの長い、大きくてきれいな目が現れました。見れば見るほどもっと近くで見たいと思い、よく見ようとした途端、はっきり見えなくなりました。師父が説法で話された内容とまったく同じでした。とても感激しました。私はただ、師父の説法を聞くのが好きなだけですが、師父は私の天目を開いてくださいました。師父、感謝いたします!

 ある週末、私は眠くて起き上がれず、大法の本を読みませんでした。眠っている間に、本の中の写真と同じように目を閉じて座っている師父の姿がはっきりと見えました。「師父が私を起こしてくださっているのだ。早く起きて本を読まなければ」と思って、すぐに起き上がろうとしましたが、起き上がることができず、再び眠りにつきました。ここで、再び師父が佛の姿で、目を閉じて座っている姿が見えました。そして私は「師父、すぐ起きます」と言いました。しかし、やはり起きれず目が覚めたとき、これは師父が私に時間を無駄にせず、しっかり修煉するように励ましてくださったのだと思いました。

 大法を修煉するようになってから、家族から「明るくなった」、「元気になった」と言われるようになりました。久しぶりに会った幼馴染からは「変わったね。よく話し、笑うようになったね。昔のあなたとは違う」と言われました。私を知らない人からは「あなたはきっとすごく幸せでしょう。いつも、笑顔で話すから」と言われます。彼らは、大法の修煉で私が変わったことを知らないのです。

 「私がなぜこの世に来たのか、わかったわ。それは大法のためだわ」と母に言うと、静かに母は頷きました。

 このような素晴らしい大法を与えてくださった師父に感謝いたします! ありがとうございます。師父と一緒に真の家に帰るために、更に精進し、しっかり法を学び、確実に修煉しなければなりません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/26/428704.html)
 
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