「同修が資料を作ってくれない」についての反省点
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年9月18日】同修Aさんが「最近、同修Bさんが、法輪功迫害に関する資料を提供してくれなくなったのです」と話しました。私はAさんに「なぜBさんが、突然資料を渡さなくなったのですか?  いつから資料をくれなくなったのですか?」と聞いてみました。そこで私は、明慧ネットで「技術者の同修に一言言いたい」という記事を調べてみました。すると、なるほどと思えることがあったのです。

 Aさんは以前、何人かの同修と、面と向かって法輪功迫害の実態を伝えており、とてもうまくいっていました。コロナウイルス発生後は、個別に法輪功迫害に関する資料を配り始めたのですが、やればやるほど量が増えていきました。もともと同修は思うように提供できていなかったのですが、たまたま同修のBさんがそれを知って、プロジェクトを引き継いでくれたのでした。

 何カ月か前のある日、一緒に活動していた同修のCさんが、資料配布の途中で突然気を失ってしまい、一般の人に発見されて警察に通報されました。その時になって、同修たちは全体的な修煉の状態が間違っており、悪に利用されていることに気が付いたのです。Cさんと一緒にいた同修Dさんは、少し前に「私は法を学ぶことに行き詰まっており、今のところまだ突破口が見つかっていないのです」と話していたのです。

 実際、同修はみんな家にパソコンを持っており、明慧ネットのページを見ています。同修の家は資料作りに最適なのですが、いろいろな理由でできないと言う人もいます。大きな責任を負いたくないとか、同修が自分の道を進むのを止めたくないという気持ちからか、Bさんの行動は理解できます。 やはり、修煉ということは、待ったり、頼ったりの受け身ではなく、能動的に行うべきだと思いました。

 自分で資料を作れば、毎日明慧ネットにアクセスして、同修と自分を比較しながら、必要な分だけやっていくことになります。 実は、家庭資料点も、人を救うための明慧ネットプロジェクトの一部であり、悪を振り払い、混乱を破壊することができる強力なツールなのです。家庭資料を所有することを恐れるのは、修煉者として間違っているのでしょうか?

 個人的な考えですが、法に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/16/429625.html)
 
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