脇役に徹する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年11月1日】数日前、私の心を大きく揺さぶる二つの出来事があり、師父が法を正し、すべての衆生を救うのを助けるために、私はどのように全体に協力すべきか、どのような心で全体に協力すべきかを悟りました。

 ある日、修煉者・Lさんに頼まれて、同修・Aさんを車に乗せて田舎へ行き、年配の修煉者たちと交流することになりました。それを聞いた瞬間、私はLさんにこう言いました。「Aさんは行ってはいけません、同修・Bさんなら大丈夫です。Bさんは法理がはっきりしていて、言葉もわかりやすいです」

 私は、なぜAさんと一緒に行きたいと思わなかったのでしょうか?  それは多くの同修がAさんについていくつかの意見を持っているからです。頑固で、過激で、不衛生で、多くの法を学び、良い悟りを持っているにもかかわらず、はっきりとしたコミュニケーションを取らず、長々と話すので、人々が理解するのが難しい、などと言うのです。 私は時間がもったいないと思い、 彼とは一緒に行きたくないのです。

 数日後、Lさんは再び「車でAさんを連れて行き、よく知っている同修・Cさんと交流させてほしい」と申し出てきました。私は「彼は一人でバスに乗ったら」と言いました。Lさんは「私たちは全体として協力しているのではないですか?」と聞いたので、 私は「彼と一緒に行かないことが、全体として協力していないというのは違うのではないでしょうか?」と答えました。Lさんはそれ以上何も言わず、私たちはグループで法を学び始めました。

 Aさんは、いつも流暢に法を読んでいましたが、しかし「ですから、心性の修煉を大切にしてこそはじめて功が伸びるし、次元を高めることができるのです」 [1]という師父の法を読んでいた時、5、6回続けて読み間違えていました。

 私は「なぜAさんは読み間違えたのか? これは偶然ではない、師父が何かを悟らせてくださったのかもしれない」と思いました。同修たちも気づきました。「私達は何度もこの段落の法を学びましたが、なぜAさんは何回も読み間違えたのでしょうか? 私達は、内に向かってよく探すべき、心性を向上させる必要があります」

 私は先ほどのみんなの言葉を思い出し「これは師父が私に啓発してくださったのだ! まずは同修と協力しよう」と思いました。そこで、Aさんと一緒に明日出発するように手配しました。

 家に帰ってから、自分の悪い考えを探してみると、Aさんは頑固で、不衛生で、表現が下手で、話が非常にくどいというものがたくさんありました。 これらの不足は私にはないです、それは、私が彼よりも優れているということではないでしょうか?  嫉妬心が凝縮された表現ではないでしょうか。同修は鏡ですから、自分自身を見てみましょう。

 師父が嫉妬についてこう説かれました。

 「真に道を修める人同士でも互いに認めないことがありますが、闘争心を無くさなければ、嫉妬心が生じやすいのです」 [1]

 「物語りを一つお話ししましょう。『封神演義』の中の申公豹は、姜子牙のことを年も取ったし能力もないと見ていましたが、しかし元始天尊はこの姜子牙に神を封じさせました。申公豹は心の均衡が保てなくなりました。『なぜ彼に神を封じさせるのか? この申公豹のすごさといったら、俺の頭は切り落とされても元通りに戻せるのだ。どうして俺に神を封じさせないのか?』と、彼はこの上なく嫉妬して、いつも姜子牙の邪魔をしたのでした」 [1]

 このことを考えると、私は自分の実存的な問題の深刻さを知り、それを解消するために正念を発しました。ここで、私は師父に感謝しています。この出来事を利用して私を啓発し、私がそれを認識してクリアできるようにしてくださったのです。

 その後、Aさんと接するようになってからは、Aさんも感じが良くなり、特に法の理解において、Aさんには多くの強みがあることがわかり、とても助かりました。

 次の日、私はAさんと、同修の間での全体的な協調と協力の問題について、師父の法に照らし合わせて、ずっと話していました。

 全体的な協調の問題に関しては、修煉者たちは皆、師父が説かれたことや、法が求めていることを理解していましたが、重要なのはそれを実行するかどうかでした。

 いずれにしても、私は脇役に徹し、自我を捨て、全体に協力し、真の弟子になることを心がけなければなりません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/28/431954.html)
 
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