【日本語明慧】日本語明慧の協調の中で自分を修める
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2022年10月2日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは! 

 私は23年間の修煉で、大法のプロジェクトの協調をした経験がありませんでした。2019年の7月ごろ、ある同修から日本語明慧の協調をやってほしいとの連絡があり、話の状況から察しますと、何もわからない私ではありますが、これは師父の按配であり引き受けるしかないと思いました。そこで私が感じた日本語明慧が改善すべき点に着手し始めましたが、予想しなかった試練が私を待っていました。しかし、師父のご加持により発展につなげることができました。

 1.翻訳者と校正者を増やす

 その当時、日本語明慧は毎日5篇の掲載を維持するのに苦労していました。翻訳者が足りず、特に二次校正者はもっと足りませんでした。ある二次校正者に負担がかかり、1日で4~5篇を校正しなければなりませんでした。これまでにその状況を改善しようとしていたようですが、限られた人数の中でどのように改善するか、人員を増やす発想がなかったように感じました。そこでこの状況を変えるためには、翻訳者と校正者を増やすしかないと考えました。

 しかし、人員を増やすことは前任の協調人が十数年来、ずっと頑張ってやってきたことでもあり、簡単にできないと分かっていました。そこで私は提案したのですが、協調グループの一人で交流の司会担当者が、人員を探すことは私に一任すると言い、つまり一人でやってくださいということです。私はメンツを気にして反論せず、引き受けることにしました。しかし、私は自分から物事を計画して進めたことがなく、電話に対する恐怖心がありました。恐れつつも電話を取り、まずは知っている同修から電話をかけ始めました。

 私が頑張っている最中に、同修から聞いたのですが、交流の司会者が校正チームの交流で、私が提案した人員を増やすことに反対していると話したそうです。私はその話を聞いて、一人が反対するのなら、私の空間場に影響してくるマイナス的な物質は、それほど大きな妨害にはならないが、彼の話を聞いた校正チームのメンバーにそう思う人が多くなればなるほど、私の空間場に良くない物質が多く入ってきて、私の人員探しに大きな妨害になってしまうと思いました。そして私は、その同修に対して怨恨の心が生じました。

 執着心を持ったままでは、人員探しが思うようにならないと分かっていました。執着心を取り除きながら、人員を探し続けました。以前から知っていた同修に電話をかけたり、同修に紹介してもらったり、同修の話から情報を得ることができました。ある日、地元の同修が、今東京の同修Kさんと一緒に学法をしている、と言いました。名前を聞いて日本人だとわかり電話番号を教えてもらいました。そのKさんに電話をかけてみると、快く明慧の校正を引き受けてくださいました。彼女はそれから明慧の戦力となって校正を頑張っています。

 神韻の他地区の公演の裏方仕事の応援に出かける前、私が知っている九州地区の同修Sさんのことを思い出し、戻ってから電話をかけることにしました。1カ月後、日本に戻って明慧サポートに入った時、そのSさんの名前があるではありませんか。そこで私はすぐ分かったのです。Sさんを連れてきてくださったのは師父であり、私は手を合わせて師父に感謝を申し上げました! そこで私は思いました。弟子が行いたいことを決めれば、師父はすでに他の空間で成功できるように按排してくださるのです。そして弟子は何の執着も持たずに、師父が按排してくださった道に従って行えばいいのです。

 結果として、数人が明慧の翻訳者と校正者になってくださり、毎日の文章の掲載数は、5篇から8篇に増えました。

 2.メディアチームを立ち上げる

 現代人は文字を読むのが苦手のようです。しかし、日本語明慧には文章の報道しかなく、これでは読者がホームページに入ってきても楽しむものが少ないため、長く滞在してくれません。そこで明慧の掲載内容を充実させるため、明慧ラジオやビデオの制作を早急にやらなければならない、と思いました。

 私は技術的なことがまったく分からず、協調グループの一人に明慧の技術者と相談するようにお願いしたところ、返って来た返事は、「私もよく分からないから、自分で聞いてください」とのことでした。これも私一人で進めなければないと思いました。惰性が強い私は重い腰を上げました。 

 これを進めるにあたり、明慧文章の掲載に影響を与えてはならないと考えました。となると明慧の外でメンバーを集めなければなりません。自分の人脈を活かしてリーダー探しからはじめ、そしてナレーター、ラジオに音楽、ビデオに音声や字幕を入れる技術者、レベルの高い翻訳者を探すことにしました。何人かの同修の協力を得て、すべての人材が集まり「明慧メディアチーム」を立ち上げました。同時進行で明慧技術者に、明慧翻訳サポートに必要なシステムを新たに取り付けてくれました。そして2020年6月25日、『青空に羽ばたく』という日本語明慧ラジオがホームページに掲載され、『とある台湾詩人にとって、人生で最も幸せなこと』というビデオが2020年9月11日に掲載されました。

 これを進めるにあたり、自分には同修が協力してくれないことに対する不満の心、絶対に成功させてみせるという闘争心、同修に見せつける顕示心がありました。そのため、準備の過程でどの同修にも言いませんでしたが、これは私心の現れでした。

 3.インターネットメディアでの宣伝

 私は日本語明慧の翻訳者であり、翻訳者の苦労をよく知っています。もちろん、校正者も苦労しています。しかし、掲載した文章が果たして、最大限に衆生を救えたかどうかに対して、疑問を持っていました。そこで、その文章が出来るだけ衆生を救えるように、明慧の存在を知ってもらわなければいけません。明慧メディアチームができたことで、インターネットメディアでの宣伝の素材が増えてきました。

 そこで、メディアチームに宣伝の担当をしてもらい、ユーチューブ、ツイッター、フェイスブックに、文章、ビデオ、ラジオを掲載すると同時に、有料広告も出すようになりました。内容が充実したことでアクセスが増え、滞在する時間が長くなり、読むページ数も増えました。

 4.学法交流を重視し、同修間の隔たりを無くす

 これまでの日本語明慧は、同修間に隔たりがあるように感じました。聞こえてくるのは、同修に対する不満が多く、特に、校正者から翻訳者に対する不満の発言があり、文章のコメント欄に多くのメッセージを書く校正者もいました。そのことで悩む校正者もいて、翻訳を辞めるという翻訳者もいました。明慧が一体になることで、衆生済度の力を最大限に発揮することができ、この状況を変えるためには学法を強化し、全体の次元の向上しかないと思いました。

 明慧日本のメンバーは内向的な人が多く、交流のときほとんどの人が発言せず、いつも4~5人しか心性の交流を話していませんでした。これでは全員参加の交流にならず、心を開いての交流になれません。この状態を変えなければならないと思い、取った方法は、全員参加の一年の交流スケジュールを組み、みんなが年に一度修煉体験を発表することでした。

 この決定に対して、ある同修は、「私には恐怖心があるから、絶対に発表しません」と言っていました。しかし、彼女は素晴らしい修煉体験を書いて発表したのです。そして彼女は、「この発表で自分の恐怖心を多く取り除くことができました」と言っていました。こうしたことで、心性交流の内容が充実し、修煉の向上につれて交流に参加する同修も増え、ほとんどのメンバーが交流に参加するようになりました。そして、同修に対する不満や批判的な声が聞こえなくなりました。

 これらのことを進めるにあたり、最初は同修に対する不満や嫉妬がありました。その後、考え方を変え、同修の優れたところを見るようにし、すると、不満不平がなくなり、慈悲の心が現れ、同修のことを好きになり、素晴らしく見えるようになりました。実は、同修から協力を得られなかったのは、私が同修と対立の物質があったためで、その物質を取り除いた時、何をしても同修からの積極的な協力を受けられるようになりました。

 以上のことを書き出したことは、どんなことにしても、師父の按排や加持がなければ成功できなかったと思います。日本明慧を、ここまで良くしてくださった師父に感謝を申し上げます。また、経験も能力もない私を協調人にしてくださったのは、修煉を精進しなかった私を修煉させ、向上させるためだと思います。

 再度、師父の巧みな按配に感謝します。同修の皆さんの協力に感謝します。

 (2022年明慧多言語部門法会の発表文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/30/450123.html)
 
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