三階から転落して奇跡的に生還した物語
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年11月20日】私は今年で67歳です。椎間板ヘルニアや、ギックリ腰、五十肩、脊椎炎、目の充血、膿、ひどい鼻炎、B型肝炎などの多くの病気に悩まされてきました。2008年から法輪大法の修煉を始め、3カ月後には病気が完治し、とても健康な体に生まれ変わりました。修煉してから十数年の間、大法の奇跡は何度も私と家族のもとに起こりました。

 一、師父が私を死の瀬戸際から救って下さる

 2019年9月末のある朝、私はいつものようにベランダに出て窓ガラスを拭いていたところ、突然意識を失いました。(3階建て以上の高さがあり、下にはストアルームがあり、4階とほぼ同じ高さのベランダから立ったまま落ちたのです)

 どれくらいの時間が経っていたか分かりませんが、団地の職員が私を発見し、120番通報をしてくれ、救急車で現地の病院に運ばれました。集中治療室で数日間の昏睡状態から意識を取り戻しましたが、全身を動かすことができず、話すことさえできませんでした。点滴装置にぶら下がっている輸液瓶の中の乳白色の液体を見て、自分が病院にいることが分かり、すぐ家に帰ろうとしました。見舞いに来た息子に伝えたかったのですが、声を出すことが出来ませんでした。私はまだ動かすことができる指で息子の手に自分は退院しなければならないたと書いたら息子はすぐ分かってくれました。

 私の顔は、ひどく変形していて、頭から足まで全身に八か所も粉砕骨折をしていました。病院の診断によると私は高いところから転落して昏睡状態に陥り、頭部から出血して一時間後に入院しました。そこで頭蓋骨に開放性損傷、また髄液耳漏があると診断されました。肺炎のために、抗生物質を注射することも出来ませんでした。医者は私が危険状態から抜け出していないため、自己責任で退院するように言いました。それには、本人の同意書が必要でした。私は話せなかったのですが、頭ははっきりしていて、彼らがもって来た紙に「私は必ず退院しなければならない」と書きました。

こうして私は集中治療室で11日間入院してから家に戻りました。後で同修たちから聞きましたが、彼らは私の状況を知り、あちこち聞きまわって、病院まで辿り着けたのは九日目でした。何人かの同修が病院まで来て発正念し、私の息子夫婦(私は地方の出身で、夫は他界していて、周りには親族がいませんでした。息子と嫁は他所から急いで戻って来ました)は私の入院費用を出してくれました。

 私は家族のような同修たちに会いましたが、同修たちは私を確認することができませんでした。私の頭部は腫れあがって変形していて、髪の毛もすべて剃られていました。同修が『轉法輪』を持ち出して、師父の法像を私に見せてくれた時、私は泣きました。「師父、弟子はまた師父にご迷惑をお掛けし、師父に巨大な関と難を受け持たせました」と思いました。同修は師父の説法の録音を流してくれました。

  大法弟子は師父と大法が見守って下さり、他のいかなる生命にも私を左右する資格はありません。その日、師父は鬱血や、粘液、肺部の感染物などを口や鼻から出して下さいました。私は危険から抜け出し、死の瀬戸際から戻って来ました。私はずっと涙を流していましたが、それは痛いからではなく、師父の恩に感じるからでした。

 二、貴い同修

 意識がはっきりしている状況下で、私はほぼ絶え間なく師父の説法を聞き、また同修が私に『論語』や『洪吟五』などの経文を暗唱してくれました。私ははっきりしない発音で、苦労しながら同修と一緒に暗唱しました。同修は私の脳に問題がなく、記憶力がまだあるのを見て、すぐに良くなると励ましてくれました。

 私の上あごに歯が二本しか残っていませんでした。残りの歯もぐらつき、口も数針縫われていたため、流動食しか食べられませんでした。少し離れれば他人の会話が聞き取れませんでした。息子夫婦はどうすれば良いのか、どのように私の世話をすればよいのか分かりませんでした。息子は転職したばかりで、新しい職場はちょうど人手が必要で、また毎月の住宅ローンも返さなければならず、この状況は息子夫婦を大変悩ませていました。為す術がなく嫁は実家の親戚に電話しました。彼らは家事代行サービスの会社を探し、私に介護者をつけて私の飲食や排せつの面倒を見させようと考えました。介護者の給料は毎月三、四千元ですが、私が動けないと聞いたらやりたがる人がいませんでした。

 周りの同修はさらに焦っていました。もし介護にやって来た人により私が修煉する環境を失えば、いつでも危険に陥るからです。都市部に住む一人の年配の同修が私のことを聞いて、急いで駆けつけて来てくれ、私の面倒を見てくれました。彼女は、退職金があるからお金は要らない、私たちは一心同体だと話してくれました。ひたすら利益を追求する今の世の中で、どこで大法弟子のようにこれほど素晴らしい人を探すことができるでしょうか。同修がお金は要らないと言うと、嫁は安心できなくなり、同修が数日後帰ってしまうことを心配しました。嫁に安心してもらうために同修は仕方なく毎月千元を受け取ることにしました。

 大法弟子の一人一人がこのように思いやりがあり、困っている人を助けようとするのを見て、嫁はとても感激しました。彼女は自ら大法弟子の境地を目にしました。同修はまた彼女の実家の親戚に真相を伝え、その親戚に中共の関連組織から脱退してもらい、また帰る際には、伝統文化や修煉の物語、九死に一生を得るなどをSDカードに入れてメディアプレーヤーに入れてプレゼントしました。その親戚はそのメディアプレイヤーが好きでいつも手放さないでいて、とても感謝していました。医者の同修も大法によって起きた医学的奇跡を嫁に伝えました。その後息子夫婦はやっと相次いで勤め先の会社がある都市に帰りました。上記の内容は私が後で知ったことです。

 数日が経ち、私は同修に医者が傷口を手当てした時に使ったガーゼを取ってもらいました。同修は毎日私に法を読んで聞かせてくれ、同じ団地に住む同修は私の代わりに買い物をしてくれたり、私の生活を支えてくれて私と交流してくれました。私は師父の説法を繰り返し聞きました。座れるようになると、同修はベッドの上に小さな机を置き、その上に大法の書籍を置いてくれました。私は同修と一緒に集団学法ができるようになりました。「ですから、修煉しようと思う者がいれば、覚者たちはその心を非常に貴重なものと見て、無条件でその人を助けます。今ここにいる学習者が修煉しようと思うのであれば、わたしは無条件で助けてあげますが、それと同じです。」[1]この法を読んだとき、私はまた涙があふれ出し、師父はいつも私の傍にいてくださると感じました。

 私は毎日法に溶け込み、「師恩を思い出す」などの交流文章を聞きました。一晩中聞いても眠くなりませんでした。私には師父と同修の励ましがありましたので、自信に満ちていました。

 三、大法を固く信じ、大法の不思議な力を体験する

 両腕が骨折していたため、全身が非常に痒い時には、同修にかいてもらっていました。ある日、心をえぐるようなかゆみに本当に耐えられなくなり、私は右手でかきました。上腕はなんとか動くようになっていました。本のページをめくることも食事をすることもそれほど難しいことではなくなりました。

 嫁が私の見舞いに帰って来ました。私の面倒を見るために自分と一緒に行くことを望んでいました。エレベーター付きの家の方が便利で、彼女の親戚は老人ホームを経営していて、私に車いすを買って、そこで生活することも可能だと言ってくれました。嫁の親孝行だとはわかっていましたが、私は心の中で、何もいらない、体も無事だし、何も不自由していないと言いました。また他の空間で私を迫害している邪悪な要素に、私には師父がいらっしゃる、いかなる生命も私を支配できないと告げました。ここは師父が私に按排して下さった法を実証し、衆生を救い済度する環境であるため、私はどこにも行きません。肝心な時に、同修は私とともに関を乗り越えると言ってくれました。同修は私に非常に大きな自信と支えになりました。

 二か月も経たないうちに、私はベッドの上で脚を組む練習を始めました。麺のように垂れ下がっていた左足をゆっくりと組んでいた右足の上に持ってきてから、学法し、煉功しました。少しずつ脚を組む時間を伸ばし、時には午前中ずっと脚を組んだままでした。あのように重い外傷でしたが、薬や消炎剤を使わなくても、感染や化膿せず、聴力、視力もだんだん回復してきました。耳からは血痂のようなものが出てきました。

 年末年始の間に、私は試しに足を地につけてみました。私は立つことができれば、普通に煉功できると思っていました。私がこのように考えていたころ、あるイメージが浮かんできました。地面に私の黄色い綿入りジャケットを着て横わたった男性が1人見えました。私はこれが旧勢力が演化した虚像であり、もし私が煉功すれば私を床に倒すという意味だと分かりました。私はその策略を見抜き、邪悪な按排を全般的に否定しました。私は師父に守られていて、法があるのに、何を恐れましょうか、誰も私を動かせません。

 その日から私は毎日立って煉功し続けました。左足の骨がずれていて、力が入らないので、私は身体をベッドにつけて煉功をやりました。二本の脚の高さが違ったため、片方の足は底が厚いスリッパを履いてバランスを取るようにしました。関を通過するうちに各々の関と魔難に直面して、正念で対処するか、それとも人心で対処するかの問題がありましたが、私は師父が弟子に按排してくださったことが一番いいと信じていました。旧勢力が如何にパフォーマンスをしてもすべては虚像にすぎません。

 折れた左の手首の骨は接骨していなかったため、少しでも動くと留置場で電撃を受けた時と同じような痛みがありました。左手も手を握ったままになっていて開けませんでした。煉功する時はナイフで手を切るようなきりきりとした痛みが走りました。徐々に骨の切り株から骨が生えて来て1センチくらいになりました。周りの人の中には私に病院に行って、要らない骨を取り除く手術を受ける必要があるかどうか検査を受けるように勧める人もいました。私は動じませんでした。ある日、同修が私と交流した時、師父は「良い部分を残し、悪い部分を除き」[1]とおっしゃったと言ってくれました。そうだ、大法にはできないことはない、全てを良い方向に正すことができるのだ、と思いました。手を動かすと、露出した骨が肉から折れてしまったのか、骨の部分が「ポキッ」と折れた感じがしました。 さらに数日後、手でそっと引っ張ってみると、爪のような骨片が奇跡的に手術をせずに肉から出てきました。師父に対する感謝の気持ちは言葉では表せません。

 疫病が蔓延する中、いつ命を落とすかも知らない状況で、自分のことは自分でできるし、同修が真相を伝えて人を救うことを邪魔することはできないと思い、同修を帰らせました。 息子に頼まれて、電話のたびに姉や叔母に挨拶をしていました。この期間中4人の同修が次々と私の面倒をみてくれました。息子は毎回電話でお姉さんたちとおばさんたちによろしく伝えるようにと私に言い聞かせました。新年の間、息子は疫病のため帰ることができませんでしたが、彼女たちに感謝の気持を伝えるよう私に頼みました。

 同修が帰った後、私は自分で階段から下りて外へ出ました。みんなは私が死から蘇ったのを見て、再び大法の奇跡を目の当たりにしたのです。一階上に住んでいるご近所の大学生の娘は気持ちが高ぶって、私を抱いて「おばあさん、回復しましたか?」と叫びました。団地の人は皆私が3階から転落したことを知っていて、もう、とっくに世を去ったと思っていました。同僚の1人は、ある人は2階から転落して死亡したと言いました。私は「そうですね、だから大法は超常的なのです!」と伝えました。

 以前真相を伝えた人たちは私に会うと何回も私の運が強く、神様が守ってくださっていると言いながら親指を立ててくれました。それほど高い場所から転落して、大きな災難に遭ったが命を取り止めるのは本当に不思議なことだと思っていました。そして自らお守りを求めてきたり、まだ三退していない自分の娘を三退させるよう私に頼む人もいました。「私は飲食もトイレも全部ベッドの上でしかできませんでした。煉功していた友人達が面倒を見てくれました。大小便の片付けなどは一部の子女にもできないことですが、彼女たちはやってくれました」と伝えました。

 四、正念で旧勢力の迫害を解体する

 今回の命を奪おうとした魔難は手に汗を握らせる正邪の戦いであって、旧勢力の按排でしたが、同修たちが一丸となって協力し合ったことにより解体されました。もしその時に入院し続けていたなら帰れなくなっていたのかもしれません。当時、団地の職員は120救急車を呼びましたが、思わぬことに110番の警官も来た上に610弁公室の人たちもやって来ました。彼らは私が住む団地を担当している警官と一緒に来ましたが、私を救わなかったばかりか、私の部屋を捜索し、師父の写真と大法の書籍や資料などを押収しました。彼らはウィーチャットで私の職場にある宗教の信者がビルから飛び降りたと嘘偽りの情報を撒布し、大法に泥を塗り、大法を誹謗中傷し、さらに憎しみを煽って衆生を毒害しました。その上、私に関する情報を監視、制御し、封鎖して、私に対する周りの同修たちからの正念による加持を隔てることにより、迫害の目的に達しようとしていました。その時同修たちは毎回私の家に来る時、大きなプレッシャーを感じていたようです。これは後で分かったことです。

 なるほど、だから病院で私が目を覚ました後、医療スタッフたちが陰でこそこそやっていて、怪しげに一つのメモを見ていて、見終わったら焼くことを目にしました。私は全身が熱くなったり寒く感じたりしましたが、寒い時に布団をかけてくれず、熱い時は布団を隙間なくかぶせました。私は話せなかったため、死の背戸際でさまよっていましたが、その時天井に、毛沢東の写真とヒキガエルでいっぱいになっているのが見えました。私が退院を要求した時、責任者のような人が私に「私たちを責めないでください」と言いました。そしてある若い看護師を指さしながら、あの人は妊娠していたにも関わらず、出勤して私の面倒を見ていたと言いました。これに私は大変疑問を抱えました。610弁公室は医者に何を言ったかは分かりませんが、人を救う病院にまで黒い手を伸ばしていたに疑いありません。しかし、私は心の中で病院の女性たちとまだ生まれてない赤ちゃんが無事で、素晴らしい未来を有するよう祝福しました。何と言っても、彼女たちも騙された衆生だからです。

 私は以前二回非合法により労働教養されたことがあり、現地の610弁公室の監視対象になっていました。邪悪は虎視眈々としていて、いつでも私に手を下そうとしていました。私が師を信じ、法を信じて退院しようとしなかったら、いわゆる「救急措置が効かず」という理由で病院で死んでしまったかも知れません。衆生を台無しにしようとする旧勢力の邪悪の要素は、同修たちが一丸となって協力し合い、正念を持って正しく行う中で解体されました。

 邪悪はなぜ残忍な手段で、私を死地に立たせようとしたのでしょうか? 私はその間の自分の修煉状態を振り返ってみました。その頃、息子が住宅ローンで新しい住宅を購入しましたが、私は子供に対する情を放下することができませんでした。年金カードが見つからなかったり、身分証明書が見つからなかったりして、私は心を攪乱されてしまい、やるべきの三つのことを怠っていました。また同修を恨む心も生じていました。面子の心、個性が強いことと嫉妬心も見つかりました。修煉は厳粛であり、教訓は深刻なものでした。

 そして私は真相を伝えて衆生を救うことをし始めました。初めてスーパーに買い物に行った時、2人に三退を勧めることができましたが、帰り道でその2人の名前を忘れることを恐れて、周りの営業所に入ってペンを借りて紙に名前を書きました。以前なら私は自然に営業所の人に真相を伝え三退を勧めたはずですが、今回はためらいました。面子を失いたくない心が作用を働いていました。そこから出て、これは正しい状態ではないと思っていたところ、私は急に転びました。どうしても立ち上がることができませんでした。そこを通る人たちは見ても見ぬふりをしていました。それは私が詐欺をすることを怖がっているからだと私には分かっていました。中国共産党の虚言に毒害された社会では誰もが危険に晒されることを恐れ、良い人になることさえ難しいことでした。私は通りすがりの一人の男性に呼びかけました。「助けてください。私は自分で転びました。あなたのせいにはしません」その優しい人は私を助けて起こしてくれました。私は感動してただありがとうとだけを言い続けました。以前なら私は自然と真相を伝えたはずでした。しかし、今回は大法に泥を塗り、悪影響をもたらすことを恐れる心が生じました。私は辛くなりました。自分はどうしてこのようになったのでしょうか? 自分の今の外観を見て、他人が自分を嫌がることを恐れていました。その上、自分の外観が衆生を救うことの妨げになることを心配していました。私はこれらは自分の心が正しくないからもたらされたことだと分かりました。

 後で同修たちと交流し、私は自分の面子を失いたくない心を見つけました。人を救うのは師父であり、大法です。相手の心を動かすのは大法の中で修めて得た慈悲のエネルギーであり、誠実さ、優しさ、寛容さといった美しい資質です。師父はすでに一番いいものをすべて与えてくださいました。私はすでに完全に新しい生命です。私はそれから気落ちすることなく、表情を安らかにして、同修たちと一緒に出て真相を伝え、三退を勧めています。以前は顔の表情が厳しかった同僚は、私が再び中国共産党の組織から脱退するように勧めると同意してくれ、真相資料も受け取ってくれました。それから会う度に挨拶してくれて、以前の厳しさが消え、優しくなりました。

 私はこの万古の機縁を大切にし、師父が延長してくださった命と、同修との間の縁を大切にして、改めて法を正す師父を助ける、家に帰る道を歩みます。師父が命を救ってくださったことに感謝致します。私と一緒に歩んで来て下さった同修たちの助けに感謝致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/20/427116.html)
 
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