幸運とつながった1つの選択
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2022年2月2日】私が法輪大法の修煉を選択したのは手術をする直前でした。それが幸運を掴むきっかけとなりました。

 1998年初め、私は激しい腹痛に襲われ、トイレに行くとそのまま倒れてしまいました。家族はタクシーを呼び、私を市立病院に運びました。急性盲腸炎と診断され、入院して翌日に手術することになりました。

 翌早朝、私が緊急入院した事を知り、姉は急いで病院に来ました。姉は私に「あなたも法輪功をやってみたら? 今は大勢の人が修煉しているよ。私が知っているだけで、癌が完全に治った法輪功学習者は何人もいるわ。盲腸炎ぐらい修煉すればすぐ治る」と言いました。実は、姉も修煉しており、体の弱い私を心配して3年前から私に勧めていました。

 当時、数々の病気に苦しんでいた私は、目の前の手術を考えるととても不安でした。「手術して盲腸炎が治ったとしても、今度別の病気になると、また治療したり手術したりしなければならない。生きている限りそれは終りがないでしょう? こんな人生もう嫌だ!」と思い、私は姉に「手術をやめて、法輪功を修煉したい!」と言いました。本能的な一念が法輪功と縁を結び、幸運とつながることになりました。

 話をしている間医師も来て、看護師たちは手術の準備をしていました。正念が芽生えると、不思議にも人は一瞬にして強くなります。私はいきなり病床から下りて、主治医室に行き、絶対に手術を受けたくないと主張しました。病院側は仕方なく、私に自己責任保証書にサインをさせ、点滴用の薬と服用の薬を処方して退院させました。

 病院からたくさんの薬を持って家に帰り、毎日近くの病院で点滴を受けながら、朝は公園に行って、法輪功の煉功でたくさんの人と一緒に煉功をしました。当時の中国では、朝、昼、晩にかかわらず、至るところで大勢の法輪功学習者が煉功する風景が見られ、日常生活の一部分のようになりました。

 当初、私は煉功動作だけをしていて、学法はしませんでした。同じマンションの4階に住む隣人の家は学法の拠点でしたので、一緒に学法をするよう誘ってくれました。『轉法輪』の中で、師父は「まずは、病気を含めて、皆さんの身体のあらゆる良くないものを取り除いてあげなければなりません」[1]、「一般の気功による治療と病院での治療は、どちらも病気を引き起こす根本的な原因である難を後半生あるいは将来に先送りするだけで、業力そのものは全然動かされていません」[1] と説かれました。私は躊躇なく、まだ残っていた薬を全部捨てました。

 たった3週間で、盲腸炎の症状はすっかり良くなりました。そして、長年来の腸炎、胃炎、関節炎、肩こりなど数々の病気もなくなりました。手術することも、お金を使うこともなく、生まれ変わったように健康になりました。大法の修煉を選択したことは、私に幸運をもたらしました。

 その後、私は今の日本人の夫に出会い、国際結婚して日本で生活することになりました。夫はビザなどの手続きのために先に日本に帰りました。結婚の入国ビザは、通常1、2カ月で下りますが、なぜか私のビザは半年過ぎてもなかなか下りませんでした。周りの人は私のことを心配してくれましたが、今考えると、それは私に与えた貴重な修煉の時間だと思います。

 私にとって、その時は最も大切な時であり、幸せな日々でした。朝、空気の新鮮な公園で、和やかな煉功音楽に合わせて集団煉功をし、夜は同修たちと一緒に学法をしたあと、修煉の体験や感想を語り合うなど、とても充実していました。心身ともに健康になり、身体が軽く感じ、性格も穏やかになり、微笑みが絶えませんでした。

 数か月後、私は日本に来て生活することになりました。車の免許を取ってから間もなく、その冬初めての大雪に見舞われ、交通事故を起こしてしまいました。日本の道路は狭く、降雪量が多いので、中国で生まれ育った私にはまだ慣れていませんでした。その日の朝、車で通勤する途中、突然雪を寄せる人が出てきて、私はいきなりブレーキを踏みました。すると、止まるどころか、一直線に対向車線に滑り、1台の軽乗用車にぶつかりました。一瞬にして車のドアが凹んでしまい、どうやって車から出てきたか、今もよく覚えていませんが、当時、怖い感じはありませんでした。その時、相手の車から年配の運転手さんが降りてきましたが、車の前の部分は大きく壊れていました。幸いなことに、相手も私も怪我をせずに済みました。「法輪大法が私たちを守ってくださった」と思いました。

 東北の積雪は1、2メートルに達することが多いです。ある年の降雪量は特別に多く、ほとんど毎日雪を寄せなければなりませんでした。ある日、私は夫を手伝って、手押しの一輪車で庭の雪を積んで、路上の融雪溝に投げる作業をしていました。もう少しで終わるところ、なぜか眩しくて我慢できず、夫のスキー用サングラスをかけて作業を続けました。雪を一輪車にいっぱい積んで融雪溝に投げると、重みで一輪車がいきなり前に傾き、鉄の取っ手部分がサングラスに当たりました。頑丈な専門用サングラスにひび割れができましたが、私の目と顔は無事でした。師父は再び私を助けてくださいました。

 嫁いで来て、最大の難関は言葉の壁でした。ここにも法輪功の奇跡が現れました。来日する前、私はまったく日本語ができませんでした。日本に来て、最初は縫製会社で働きましたが、言葉が分からないため、仕事にも影響がありました。私は会社を辞め、独学で日本語を勉強し始めました。学生時代に、いくら努力しても大学の試験に合格できませんでしたが、法輪大法を修煉してから知恵が開かれ、30代半ばの私は一日で50以上の単語を覚え、1年足らずで日本語能力検定1級に合格しました。

 それから10年後、地元のパソコン関連の大手企業は、中国のある大型グループ会社と技術提携することで、中国から数十人のエンジニアが日本に派遣され技術を学ぶため、数人の通訳者を募集しました。私も応募しました。しかし、中国から来た専門の通訳者の模擬通訳を聞いた後、私はすぐに自信がなくなりました。その中には電子、物理、それに生産プロセスに関わる言葉がたくさんあり、私はまったく分からないため、応募を辞退しました。しかし、日本側の会社は1冊の『日中専門用語辞書』を貸してくれたほか、頑張ってチャレンジするよう励ましてくれました。

 分厚い辞書を受け取って家に帰り、私は「師父、ご加持してください」とお願いしました。私はすべての雑念を払いのけて、真剣に学びました。1週間後、一般的に使われる関連する語彙は、基本的に覚えました。大法が私の知恵を開いてくださらなかったら、私の力では到底無理だとはっきり分かっていました。私は採用され、その後の通訳の仕事の中で、日中両方の会社と技術者たちに評価され、信頼されました。もちろん経済的にも受益しました。

 師父は「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[2] と語られました。夫は前から痔疾を患っており、時には出血するほどひどかったのです。私が来てしばらくして、薬も使わず、いつの間にか完全に治りました。日本に来て二十数年間、薬を飲んだこともなく、元気で明るい私のことを見て、夫は法輪功の素晴らしさに感心しております。夫は10年も前から、毎日私と一緒に1時間煉功し、日本語の『轉法輪』を読んだこともあります。まだ気功の認識にとどまっているようですが、この20年余り、夫もほとんど薬を飲まずに健康です。私が中国語で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を教えると、夫はいつも出かける時と家に帰って来た時に、玄関先でぎこちない中国語で3回唱えます。また、いつも果物を買ってきて、師父の写真の前に供えます。

 法輪大法を修煉したことは、私の人生の中で最も正しい選択であり、悔いのないことです。「自分の考えを変えなければ、運命を変えることはできない」とよく言われますが、いまだに大勢の人が中国共産党の噓偽りの宣伝に騙され、自分の目で法輪大法の素晴らしさと奇跡を確かめようとしません。自分の運命に不平を漏らす人も多くいますが、虚言に知恵が遮られ、本当の幸せとすれ違ってしまいます。耳を澄まして法輪功学習者の物語を聞くことができれば、あなたもきっと幸運を掴むことができるでしょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/25/437219.html)
 
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