兄から法輪功の素晴らしさと共産党の悪を見た(一)
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文/中国の大法弟子 小宁

 【明慧日本2022年3月12日】国営大企業に勤めていた兄は在職中とても勤勉で、良い人だとみんなに認められ、企業からは毎年模範労働者に選ばれていました。 兄が法輪功を修煉してから、多くの人が兄と一緒に法輪功を修煉するようになりました。法輪功を修煉して、みんな心身ともに大法の恩恵を大きく受けました。

 しかし、江沢民と中国共産党(以下、中共)は法輪大法に対し、史上にない残酷な迫害を始めました。中共は「610弁公室」を設立し、法輪功学習者(以下、学習者)に対して極めて残酷で卑劣な方法で非人道的な弾圧、迫害を行ってきました。兄や多くの学習者が家宅捜索を受け、迫害されました。迫害により刑務所で両足が不自由になった兄は17日間ハンガー・ストライキを行いました。刑務所から通知を受けた私は保釈金を払って兄を家に連れて帰りました。出所後、兄の体調がよくなったと聞いた警察は、再び在宅捜索をして兄を連行しようとしました。私たちがドアを開けないと、消防隊を呼び寄せ、はしごを組んで窓ガラスをこじ開けました。10月の寒い天気の中、静かな夜中に窓ガラスの割れる音に近所の住人が目を覚ましました。その後、近所の人の助けで、兄は夜に隣の都市に逃げることができ、その日から避難生活を始めました。学習者の中には、一家が離散し家族が死んだ人も多くあります。

 そんな中で、私は親族への迫害がもたらすプレッシャーに耐えながら、いわゆる「転向の手伝い」という役割を強いられました。 私は幹部でしたが、上司は管轄内にまだ法輪功をやっているいる人が見つかれば、管轄地区の上・中・下層の幹部らを停職させ調査するよう要求してきました。 ある日、私は自分管轄地区の学習者三十数人を集めて、いわゆる転向させるための説教をして、本、条幅、写真、ビデオ・オーディオ資料、電子機器を押収し、法輪功のすべての活動中止の通知を伝え、集会をしない、北京に行かない、組織の管理を受けるなどについて話しました。 そのとき、私は学習者からいろいろ質問されましたが、その質問に答えられませんでした。 例えば、「あなたが接触した学習者の中に、飲む打つ買う(大酒を飲み、ばくちを打ち、女を買う)をしている人はいましたか? 腐敗して汚職する人はいたでしょうか?」、「 大法弟子の必修の本である『轉法輪』の中で、政治への関与について書かれた文章はどれですか」、「 社会的に良い人になろうとして、真善忍に基づいて行動しようとする人にカルトのレッテルを貼るこの政府の権力者はどのような人なのでしょうか?  腐敗した強欲な官僚たちを育成して、ロシアに土地まで割譲することが、国民の望みなのでしょうか」、「良心のある人は 学習者を敵として扱い、残虐に弾圧することができるでしょうか」などです。

 私は多くの疑問を持ちながら、『轉法輪』や法輪功の創始者の李先生の説法ビデオなどの法輪功の資料を見始めました。その時から本当に法輪功に関心を持つようになりました。 学習者たちは正義感に満ち溢れ、堅い信念を持って法輪功の真相を伝えています。多くの学習者が迫害で死亡し、体が不自由になり、家にも戻れず路頭に迷い、一家が離散し家族が死んだケースは数え切れないほどあります。 兄から、私は邪党の悪と大法の素晴らしさを見ました。

 迫害され体が不自由になった兄は、依然として大法を固く信じていた

 兄は刑務所で迫害され、足が不自由になりましたが、大法への信念は変わりませんでした。 彼は、法輪大法は百利あって一害なしの功法であることを知っていました。 兄だけでなく、友人や家族も恩恵を受けました。 法輪大法は多くの家庭に病気を遠ざけ、健康をもたらしてくれました。 兄はより多くの人に真相を伝えるために出かけ、身の危険を顧みず、横断幕を掲げ、真相を語りました。 私は兄の身の安全を心配して、家族に被害を及ばせないためにも、上京も真相伝えにも行かずに、家にいるように要求し、パソコンを教えて、家で煉功するように言いました。しかし、兄は自宅にいる半年間で印刷、組版、刻字の作成、修理などをマスターし、知らず知らずのうちに資料作成の拠点を設立し、多くの人にも資料作成の拠点を設立するように指導して、大法弟子が真相を伝えるための大きな役割を果たしました。そして兄は当局の注目対象になりました。

 610弁公室と警察は、24時間体制で家々を回りながら学習者の逮捕を行いました。 2003年、警察は大勢の学習者を逮捕しました。私の兄も資料作成の拠点の物資を運んでいるときに逮捕されました。 警察は「省内最大の法輪功組織者を捕まえた」と連呼し、省警察と市警察が交互に兄に対して取り調べを行いました。兄は「私はただ良い人間になりたいだけです。修煉して、みんなに真実を伝えたいだけです。あなたたちが許せない理由はなんですか? 誹謗中傷、捏造、悪意のある誤魔化しに加え、厳しい拷問ばかりしています。よく考えてみてください。善悪は報われます」と言いました。 610弁公室の責任者は修煉を諦めさせようと兄を何度も説得しました。兄は、中国共産党の歴史、現状について話しました。「鄧小平は3回も倒されましたが、冤罪を晴らして名誉回復をして、国家指導者になりました。共産党の運動はいつも闘争の対象を倒してからまた名誉回復をしたりすることを繰り返していました。まるで子供の遊びのようです。結局被害を受けるのは誰でしょう」というと、 610弁公室の責任者は、「私も退職してからは信仰を持つようになるかも知れない。今あなたを説得できないが、あなたを釈放することもできない。私がやれることはあなたが5年間過ごす環境のいい刑務所を見つけてあげることだ。あなたの言葉の中には、私も心に響くものがある。私が海外研修に行った時、信仰がないからとビザを拒否されたことがある。一般的にすべての信仰は善を教えているので、あなたも良い人だと思うが、私たちに逆らうことは認めない」と言いました。 彼はまだ邪念に負けていました。

 兄は市内の第二留置場に送られ、様々な拷問を受けました。拷問で何度も失神し、その後箸で体中を刺され、胴着で手足を別々に縛られ、警察らは革靴のかかとで兄の胸を踏みつけました。 兄は4本の歯が折られ、そのほかの歯はぐらぐらになりました。 また他の受刑者たちが交代で監視し、寝ることも許されず、トイレもいけず全部ズボンの中に漏らしました。兄は顔が変形し、目や口は腫れ上がり、口も開けられないため食事もできない状態でした。 気を失った兄が目が覚めると、口の中に管が入っていて、淡い生理食塩水が投与されていました。 警察らは、「絶食しているけど、尿は絶てないだろう?」と言い、 受刑者たちに兄の口に糞を擦り込むように指示しました。 兄はもう痛みも分からずにまた気を失ってしまいました。

 兄は自分の体が沈んでいくのを感じ、柔らかく浮遊しているように感じました。 医師は兄の死亡宣告をし、死後の準備をするよう告げました。

 兄は奇跡的に生き返った

 私と甥や姪、家族や友人と一緒に病院に到着すると、元々160キロもあり、とても健康だった体が見分けがつかないほどになっていました。 ベッドで横になっている兄は息が弱く、時に痙攣し、時に失神しました。 警察は責任を取ることを恐れ、私のサインをもらうと急いで病院を出ました。私はどうすればいいのか分からず涙を流しながら車で兄を家に連れて帰り、体をきれいに拭き、兄の息が止まるのを待ちました。 義姉は警察の在宅捜査に怯えて家を出て以来、今も連絡が取れていません。

 兄は迫害により瀕死の状態で家に担ぎ込まれた時は水もご飯も口にしませんでした。翌日の昼に目を開け、声を出そうとしましたが出せませんでした。親族たちは呼びかけ、同修たちは励まし、二昼夜にわたって発正念をしてくれました。 3日目の午後に目を覚ました兄は、米のスープを3スプーンぐらい飲みましたが、まだ力が入らず、座ることもできませんでした。 そして4日目の朝、意識を取り戻し、刑務所から出たことを知り、空腹を感じました。 食後、兄は皆に自分が受けた迫害の過程を話し、同修たちに精進することを伝え励まし、良い人になることは正しく、法輪功は必ず人類を輝かせると言いました。

 5日目の朝、兄はいつものように本を読んで法を学ぶことができ、奇跡的に一命を取り留めました。 これ以降、みんなは知恵が生まれ、資料作成拠点を移動し、安全でない要素のある人との接触は避けるようにしました。 被害を少なくするために、私たちは兄が別のところに移動することを勧めました。兄はまだ足は動きませんが、ここを離れることは急務でした。 ドアを開けるとすぐに1人の同修がいました。その同修は兄のことを知り、迎えに来てくれたのでした。車がちょうど折り返したところで、いつの間にかパトカーが2台やってきて、数人の警官が降りてきて家の中に入ってきましたが、何も見つかりませんでした。

 真相を伝え、人を救う

 数多くの苦難に遭遇した兄は、同修たちに助けられ、上海に移りました。 私が兄の状況を知ったのは、半年後のことでした。 兄に会うために2回も上海に行きましたが、会えませんでした。その後、同修たちから兄の体はもう回復していて、地元に帰ったと聞きました。しかし私たちの電話は全て監視されていたので、電話で兄と連絡を取ることはできませんでした。

 2年後、私はやっと兄に会いました。兄は同修の企業で働いていて、日中はコンピューター、プリンターの修理をして、とても忙しくて充実した日々を送っていました。若者のように元気で、白髪のあとに黒髪も出てきました。もっと奇跡的なのは3本の歯が新しく出てきたことです。兄は本当に修煉を信じていて、真心で修煉していれば奇跡も起きるが、信じていなければ何も起こらないと言いました。兄は「 1パーセントの疑いは100パーセントの不信をもたらし、最後まで信じ、決意を持って修煉すれば、必ず奇跡は起こる」と言いました。

 兄は朝3時に起きると、五つの功法を一通りやって、法を学び、法を暗記しました。 毎時に発正念をし、毎日資料作成拠点の設備を無償で修理しました。生活はとても質素で、よく残飯を食べていました。20年間、正念を持ってこのような生活を繰り返しました。私が「こんなに少なく寝ているのに寝不足にはならないの? 疲れていないの?」と聞いたら、兄は「修煉はエネルギーを補給できる一番いい方法だ」と言いました。私が「『轉法輪』の中には、理解しなければならない内容、覚えなければならない内容、自ら悟らなければならない内容があるのに、暗記するのはなぜ?」と聞くと、兄は「 地面を耕さなければ雑草が生え、人が勉強しなければ雑念が生じる。頭の容器は限られており、法が入っていなければ、他のものが入ってしまう」と答えました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/27/438146.html)
 
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