師のご加持の修煉の道で大いなる善の力を体得する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年3月19日】私は不当な判決を下され、2001年6月、鶏西刑務所に拘禁されました。

 一、善の大いなる力

 2002年9月20日午後2時頃、私は22人の受刑者とともに刑務所の炭鉱で採掘していた時、大規模な落盤が起こり、坑道内の採掘現場の切り羽全体が陥没してしまいました。私は100キロを超える三つの石の下敷きになり、身体がまったく動けなくなりました。突然のことに頭が真っ白になり、両親のこと、娘のこと、今日ここで死んでしまうのか、と頭の中は速いスピードで回転し考えていました。

 事故の直後、他の二十数人がみな安全な場所に逃げ出したとき、ある受刑者が「あの『法輪子』(注:刑務所で法輪功学習者を指す言葉)はもうお終いだ! すでに死んでいるはずだ!」と言うのが聞こえました。私はすぐに「早く引っ張って下さい!」と叫びました。受刑者らは驚いて、「死んでいないのか? 死んでなくても身体はもう駄目だろう、骨盤は砕けているに違いない!」と言いました。

 受刑者のリーダー(実名は李春虎)は、「誰か来て、彼を引っ張り出そう!」と言いながら、もうひとりの男と一緒にやってきて、私の足に載っている大きな石を一緒に除けようとしましたが、動かせませんでした。「誰か来て!」と呼んだので、許という受刑者が駆けつけてきて、両手で私の肩を外側に引っ張りました。

 私は仰向けになっているので、頭上のランプがちょうど上の方を照らすことができ、最初に屋根から小さな石が落ち、続いて縦2メートル、横1メートルほどの大きな石がゆっくりと傾いているのがはっきりと見えました。周りの人もそれを見て、「大きな石が落ちるぞ!」と叫びました。

 私は「私を助けることで、この2人の若者(リーダーは25歳、もう1人は27歳前後)の命を犠牲にしたらいけない、しかも中の1人はもう1週間で出所するのだから」と思い、すぐに「みんな早く逃げて、私を放っておいて!」と叫びました。私は何度も叫びましたが、リーダーともう1人の男は動かずにその石を眺めていました。その瞬間、その大きな石は宙吊りになった状態で停止して、落ちてこなくなったのです。

 リーダーは「さあ、みんな来て!」と言ったので、すぐに7、8人がやってきて、一緒に私の身体の上の石を押し退け、私を安全な場所に運んでくれました。その時、私を侮辱したことがある受刑者がそばに来て、「今の社会に、死にかかっている時でも他人のことを考える人がまだいるなんて……」と、心から敬服する表情で話しかけてくれました。

 あれから何年も経ったあと、このことについて同修と交流した時、同修は「その時、大きな石が宙吊りになり落ちなかったのは、あなたが命にかかわる危急存亡の瀬戸際で他人のことを第一に考え、自分の命を捨てたからです。あんな重い石が体に当たったらどうなるかを知りながらも、あなたの純粋な善の一念が、他人のための基準に符合したからこそ、師父はあなたを助けられ、邪悪もあえて手を下せなくなりました」と話しました。そうですね!  もし当時、私が師父や大法のことを第一念に考えていたら、足首の骨折もなかったでしょう。

 事故の後、刑務官の同意を得て、私は事務室まで搬送されました。中隊の教官である宋健は「こんな状態でここまで運んでどうするのだ」と言いました。 彼はおそらく、私が大したケガをしていないので、皆と一緒に作業が終わってから帰っても大丈夫だろうと思ったのでしょう。受刑者が作業中に腕や足を骨折しても、刑務所はまったく気にせず、せいぜいギプスをして、治り次第仕事に復帰させるのです。

 病院に運ばれて検査を受けると、足首の骨が全部折れているだけでした。その後、刑務所病院に運ばれ、ギプスで6日間寝かされ、すぐに監区に戻されました。

 監区に戻ると、以前とは違う雰囲気が漂っているような気がしました。今までの受刑者の無言で冷たい表情が消え、その代わりによく知っている受刑者は挨拶をしてくれるし、話をしない受刑者も優しい目で私を見ていました。昼食の時、他の受刑者は皆、家から持ってきた美味しいものを班長に分けましたが、班長は私をそばに引っ張って一緒に食べさせ、「お前をしっかり守れなくて悪かった!」といつもと違った態度で話しました。そして、「炭鉱班の皆さん、誰かがおいしい食べ物を持ってきたら、私に渡さなくてもいいから、『法輪子』に食べさせろ!」と大声で宣言したのです。私は何度も感謝の気持ちを伝え、丁寧に断りましたが、作業現場で私を殴った時の言動と比べてまるで別人のような班長を見て、やはり内心では戸惑いがありました。

 雑務の白金宝は警官の代わりに人を殴るのが最も得意で、よく課長の姜振英の命令に従い私を殴ったり罵ったりしていました。私は鶏西刑務所に入ってから、彼に凄まじいほど殴られたことがあります。今回の事故の経緯を聞いてから、彼の態度も変わりました。私が監区に帰ってきてからは、彼は見舞いに来るだけでなく、食事の運搬やトイレの介助などの付添者を手配してくれたのです。 その後、私が転向を強制され、食事を供給してくれない時期に、彼は蒸しパンを詰めたビニール袋をこっそりと渡してくれたこともありました。

 さらに不思議なこともありました。食事の直前に中隊長の劉雅傑が「誰も(私に)話しかけたり食べ物を与えたりしてはいけない」と指示しましたが、食事の後、誰もいない時に康三という受刑者がパンケーキを二つくれて、「気をつけて」と言いました。食事から戻ってきた受刑者たちは、中隊長の命令を介さず、いつものように私に接していました。

 大法弟子が師父の要求に従って、無私、無我、自分より他人を優先することを修めることができれば、自然に環境は変わります。大法弟子が正しい方向に歩めば、環境を変えることができ、うまく修煉できなければ、逆に環境に変えられる可能性もあることが分かりました。

 後で、師父の次の説法を読みました。「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます。これは以前釈迦牟尼もほかの修煉者も話したことのないことです。善の最大の現れは慈悲であり、慈悲は巨大なエネルギーの現れで、すべての正しくないものを解体することができます」[1]

 もし私たちがみな修煉において、肝心な時に生死を放下することができ、無私無我で、自分より他人を優先する正覚の境地に達したら、それでも邪悪は迫害することができるでしょうか。

 二、師父が加持して下さったおかげで難関を乗り越えた

 立坑が崩れ、三つの大きな石が私の体に落下したとき、当時のすべての人は、私はもうだめだ、死んだに違いないと思っていましたが、足首を骨折しただけでした。師父のご加護がなければ、考えられない結果になっていたでしょう。足首の骨折だけと言っても、師父は私のためにとても多く耐えておられました。骨折した足首は痛みをあまり感じずに、2カ月半でギプスを自分で外しました。刑務所ではこのようなケースは極めて少なく、病院によれば、ギプスを外せるようになるまでには少なくとも3カ月かかるそうです。水を汲みに行ったとき、中隊の教官・宋健は「本当に不思議だ! 彼の足はこんなにも早く治った。刑務所では今まで見たことがない現象だ。普通は2、3年かかるだろう」と言いました。

 少し良知のある人は大法弟子の善に感化されますが、邪悪は大法弟子の善によって迫害をやめることはありません。私の行動によって、多くの受刑者の大法弟子に対する態度が変わりましたが、邪悪に操られた警官らは利益のため、常に大法弟子の修煉の意志を破壊しようとするのです。教改課は2003年の旧正月の期間中、私たち4人を強制的に「転向」させる計画を立てましたが、1人の受刑者が逃走したため迫害の実施はできませんでした。いわゆる「思想教育」の話は何度も持ちかけられました。何度も失敗しているうちに、彼らは「強制手段を使わないと」と思うようになったのです。

 2003年の旧正月明けの3月、教改課の課長である姜振英から「反省しなさい」と命じられ、私は毎朝4時から夜の9時過ぎまで、小さな腰掛に座らされました。数日後、迫害がエスカレートし、毎朝4時から翌朝の2時まで冷たいタイルの床に素足でしゃがまされ、1日に2時間しか睡眠を与えられず、4人の受刑者が交代で私を監視していました。

 警官は私の足の骨折を知っていたので、この方法で私を侮辱し、私の意志を消耗させ、妥協させようとしたのです。多くの受刑者は「毎日裸足でいると腎臓が駄目になるよ、その時に妥協してももう遅いし、今のうちに反省すれば、少なくとも生き延びられる」と助言しました。好意で考えてくれたと分かりますが、私は動揺しませんでした。

 師父に見守られて足首が全然痛くないことは、警官らが分かるはずがありません。警官は4人の受刑者に私を殴るようにといくら命令しても、誰一人私に手を出そうとしませんでした。1人の頭が働かない人だけが私を一足蹴りましたが、その夜さっそく悪報に遭い、雑務にひどく殴られました。教改課の課長は、受刑者たちに私の左足を叩き切断するように指示しましたが、誰も手を出しませんでした。

 受刑者たちが迫害に参与しなくなったのは、私の言動を通して大法の素晴らしさと大法弟子の善を実感したからです。邪悪が私を迫害することができないのは、私が師父に見守られ、迫害の計画を成功させることができないのです。

 警官が受刑者に対して絶えず洗脳を行うため、受刑者は毎日、中央テレビのニュースやドラマを見なければなりません。警官は私が法を暗記していることを知りながら、テレビを見る時間になると、受刑者に指示して私を廊下のテレビの下に引きずり込み、受刑者には椅子に座ってテレビを見させると同時に、私を裸足でタイルの床にしゃがませてテレビの音を聞かせていました。大法弟子として、このような状況に直面し、大法弟子の修煉意志を破壊しようとし、法が正される中で淘汰される旧勢力に対しておかしく可哀想に感じるのです。目の前の正義感のない、真相が分からず、中には大法と大法弟子の迫害に加担する衆生に対して、悲しみと哀れみを感じました。

 教改課の課長・姜振英は、他の3人の大法弟子のところでも鋼鉄のように堅い意志を感じたそうです。彼は長引く作戦で、我たちの意志と体力を消耗させようとしました。師父に見守られて、私の足首が全然痛くないことは、彼が分かるはずがありません。師父は私の頭に絶えず大法を思い出させ、毎日ほとんど眠らなくても、元気いっぱいでした。中隊の教官・宋健は「どうしたのだろう、どうしてますます元気になっているのか?」と言いました。

 1999年7月に迫害が始まって以来、二十数年も経ちましたが、修煉の道のりに出会った一つの関一つの難を乗り越えて、一歩一歩今日まで歩んできたのは、師父の慈悲なるご加持があったからこそだと思います。師父の慈悲深い救い済度に、心から感謝の気持ちは言葉では言い表せないほどです。師父のご恩に答えるには、精進して着実に修煉するしかありません!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/12/439955.html)
 
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