怨恨心がもたらした痛ましい教訓
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2022年5月4日】2020年のある日、同修と一緒に真相を伝えるために出かけたのですが、私の手元にはクリスタル製のお守りしか残っておらず、ある男性に真相を伝えた時、どうしても木製のミニひょうたんのお守りが欲しいと言われました。そこで、同修に「木製のひょうたんのお守りを少しいただけませんか?」と言いました。同修は顔を引きつらせながら「人を救うためなら、どれでも同じじゃないですか」と言って、お守りをくれませんでした。その時、私はとても嫌な気持ちになりました。普段はとても仲が良く、毎日一緒に出かけて真相を伝え、私は素敵なお守りがあればいつもあげていたのに、今日は私にくれなかったので、心がとても詰まっているような気持ちになりました。

 その夜、4人で遠くの山間部の田舎に行き、大法の真相掛け軸を掲げたり、ステッカーを貼ったりしました。同修は電動バイクに私を乗せて、一緒に作業をしていました。大きな樹の前に来たので、私は「この樹はいいですね、かけましょう」と、作業を始めました。私は一飛びをして枝を引っ張った途端、突然手に何かが刺さり「痛い」と声を上げてしまいました。痛みはありましたが、枝につかまり、同修が真相掛け軸を掛け終わるまで我慢して離しませんでした。その時、手が焼けつくようにとても痛くて、同修がサソリに刺されたのではないかと言ったので、すぐに「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と唱えました。師父の「物事の善し悪しは人間の一念によるものだ」 [1]という説法を思い出し「大丈夫」と思いながら引き続き「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じていました。最後に痛みが大分治ったので、4人は真相掛け軸を掛け続けました。

 暗くなった頃、同修の電動バイクが石にぶつかり、2人は道端に倒れました。 私の太ももが石にぶつかり、起き上がって見ると、左ふくらはぎから血が出ていました。同修は「どうしましょう?」と聞いたので、私は「大丈夫です」と言いました。 血がズボンに滲み込みましたが、痛みは感じませんでした。さらに進むと、橋の上に来ました。手すりの両側に真相のステッカーを貼ることができるので、私は電動バイクから降りた途端、仰け様に地面に転びました。私はもう70代になったので、同修は心配そうに「大丈夫ですか?」と聞きました。私は「大丈夫です」と、真相ステッカーを取り出して貼りました。

 電動バイクに乗った時「今晩は、なぜこんなに順調じゃなかったのだろうか?  今までずっとお互いに協力してきて、何もなかったのに」と同修に聞きました。 同修は「2人とも原因を探してみよう」と言いました。

 家に帰ってから、その日の出来事は決して偶然ではなく、同修に対して怨恨心が生じたことが原因であると悟りました。電動バイクがあと1メートル進んでいたら、前に深さ十数メートルの谷があるので、私たちは死んでいたかもしれません。偉大な師父が私たち2人を守ってくださいました。私はすぐに「師父、ごめんなさい、ご心配をおかけしました」と言いました。この恨む心は本当にあってはいけません。

 同修の交流文章を読んで、怨恨心が原因で旧勢力に肉身を引っ張られた同修が多くいるのを見て「この怨恨心は本当に恐ろしい、大法弟子は師が法を正すことを手伝い、衆生を救うために来たのだ、肉身がなければどうやって師が法を正すことを手伝うのだろうか」と思いました。それ以来、力を入れて怨恨心を取り除き、怨恨心が出てきたらすぐに正念を発して、それを滅し、自分の空間場に1分も留まらせないようにしたのです。

 師父の苦心なる救い済度に感謝いたします。法を正す時期の大法弟子になれたことは、どんなに光栄なことでしょう。師父への感謝の気持ちは言葉で表現できませんが、弟子が師父のご恩に応えるには、精進して、精進して、さらに精進するしかありません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/25/441544.html)
 
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