娘は私の執着を取り除くために手伝ってくれた
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2022年7月7日】私は、中国東北の辺鄙な町で生まれました。夫は数年前に他界し、今は一人暮らしをしています。

 私が子どもの頃、父は早くに亡くなり、母は私たち4人姉弟を連れて互いに助け合って生活していました。家は貧しく、学費も払えず、廃品を拾うことでノートを買っていました。私の記憶の中では新しい服を着たことがなく、同級生がキュウリを買うのを見て、お金持ちだなと羨ましく思ったことがあります。

 このような家庭環境の中で、私は内向的で自尊心が強く、何をやっても節度をわきまえ慎重に進め、間違ったことを言うと何日間も後悔する性格が身につきました。結婚後、夫は私にとても優しくしてくれて、心遣いが非常に行き届いていました。その後、娘が生まれました。娘は子供の頃には多少わがままでしたが、言うことをきちんと聞いてくれました。夫は私を上司と呼び、娘はよく「お母さんは世界で一番最高のママよ」と言ってくれました。あの頃、私は静かな生活を送り、すべてが順調で、悩みがなく何の心配もありませんでした。

 娘は大人になり、都会に嫁いで家庭を築き、娘を授かりましたが、結婚後数年で夫と離婚しました。娘が離婚してから、毎年の旧正月は娘の家に行って一緒に過ごすことになりました。それ以来、私の生活は平穏ではなくなりました。

 私は子供の頃から人と争うことがなかったのですが、今回、性格が強く、情け容赦なく物事に対処する娘に出会いました。娘の家に来ると、すべての家事をこなしても、まだあれもダメ、これもできていないと言われました。中でも、食事のことには大変悩まされていました。娘は食べ物に関して要求が厳しく、毎回の食事に2品の料理がなければならないのですが、ジャガイモはおかずとしてカウントされません。また、娘は料理に油を使わせず、薄味にしなければならないのです。このような料理がおいしいわけがないのですが、娘は「ちゃんと料理していない」とか、「何か変なものを混ぜたの?」とか文句ばかり言うのです。

 ある日、今度こそ娘が喜ぶだろうと思い、4品の料理を作りました。娘は起きて、私に箸を取ってと言いながらテーブルの前に座りました。その時、私は忙しくて、つい適当に取って箸を渡しました。娘は色が揃っていない2本の箸を見て、「ほら見てよ、この箸の取り方、食欲がなくなった。何をやっても駄目だよね」と言いました。

 私はとても悔しくなりました。心の中では「あなたのために4品も作ったのよ。私はこんなに忙しいのに、箸まで渡さなければならないなんて。しかも、渡した箸の色が違ってもいけない。私を家政婦とでも思っているの? たとえ家政婦でも、こんなひどい態度ではすぐに辞めてしまうわよ。この短気な性格では、家政婦も雇えないわ」と、考えれば考えるほど腹が立ったのですが、「私は修煉者だから、娘と同じようにしてはいけない、忍耐するしかない」と思い、無理やりに我慢しました。

 このことで、私は密かに悲しみ、どうすれば娘が変わるのかをいつも考えていました。そう考えれば考えるほど、娘はますますひどくなっていきました。娘は太ることを気にして夕食をとらず、一晩中空腹にして、起きたらすぐ食べなければなりません。しかも、娘は働いていないので、起床の時間も規則正しくありません。何時に起きても、起きたらすぐ食べなければ気がすみません。食事がすぐにできないと、「一晩中お腹が空いているのに、食事がまだできていないなんて」と機嫌が悪くなります。娘はいつも私が役に立たない人間だと思い、よく「なんであなたみたいな人が私のお母さんなの」と言うのです。私も心の中で「他のお母さんとチェンジしてみなさい。私は修煉しているから我慢しているけど、修煉しなければとっくに世話をしなくなり、遠く離れているかもしれない。ここはレストランだとでも思っているの? 好きな時にいつでも食べられるわけがないでしょう」と思っていました。

 このようなことがたくさん積み重なり、毎回娘は機嫌が悪く、私も心がいき詰まっていました。私は何をしても正しくないと言われ、毎日びくびくしていました。気をつければ気をつけるほど、トラブルが次から次へと生じました。私はいつも、「どうして娘はこんなにひどくなったの? どうして娘はこんなひどい事をするの?」と思っていました。私は修煉者で、娘とケンカするわけにはいかないので、表面上では平和を保ちましたが、心の中では納得できませんでした。私は我慢するしかなく、この我慢は私にはとっても大変でとっても疲れました。

 時々、親しい同修に自分の辛さをこぼしたこともあります。しかし、同修は「すべてが良いことです。あなたを向上させるためのものですね」と言いました。私は「あなたは実際にこのような目に遭っていないから。もし、あなたが同じことに出遭ったら我慢できるの?」と思いました。このような心境で、一日一日と耐えていました。これは修煉だと思っておらず、トラブルがますます多くなりました。

 ある日、娘がひどい態度で、何度も繰り返し私を呼んでいましたが、だんだんと声が大きくなりました。「私はあなたの娘なのか、怒鳴りつけるような呼び方をするなんて」と私は思い、怒りを我慢して応じませんでした。黙り続ける私を見て、娘はさらに態度が悪くなり、「お母さん」とさえ呼ばずに、大きな声で「呼んでるんだよ、聞こえないの?」と言い、 私も負けずに「そんなでかい声、聞こえないわけがないでしょう」と言い返しました。それを聞いた娘は激怒し、私の荷物をドアの外に投げ出し、私の名前を叫び、私を追い出しました。私が動かずに立っていると、娘は私を外に押し出したのです。私は目に涙を浮かべて、流さないように我慢しながら、ゆっくりと階段を下りて、正門を出ました。

 さっきのことを振り返りながら、「私は家政婦のように苦労して世話をしているのに、こんなひどい扱いは許されない。どう考えても私は目上の母親だし、どんなに世話しても満足がいかず、さらに私を追い出すなんて、私だってこんな所にはいたくない。ちょうど帰る理由が見つかった。今後、頼まれてももう来ない、二度と来るもんか」と思いました。

 しばらくして心を落ち着かせ、「このまま去ってしまうと、私は娘と同じではないか。私は修煉者で、娘のようにしてはいけない、去ってはいけない。誰が正しいか、誰が間違っているかは少しも重要ではない。今日のことは自分が間違っていた。娘と対抗してはいけない、私が悪かった。私は帰ったらいけない、戻らなくては」と、考え直しました。

 そして、荷物を引きずってゆっくりと戻りました。私が戻ってきたのを見た孫娘は、飛び上がって「おばあちゃんが帰ってきた、おばあちゃんが帰ってきた」と叫んでいました。そして、「おばあちゃん、どうして戻ってこようと思ったの?」と聞いてきました。私は「おばあちゃんは大法弟子だから」と答えました。孫娘は嬉しくなり、続けて「おばあちゃんが行った後、お母さんが『早くおばあちゃんを呼んできて!』と言ったから、靴も履かないで追いかけたけど、おばあちゃんはもう見えなかったの。私は泣いちゃった」と言いました。私は「どの扉を通ったの?」と聞いたら、「北の扉」と答えました。私は「おばあちゃんは西の扉から行ったんだよ」と言いました。私は「すべてが偶然ではない。もし、孫娘が西口から追いかけてきて、私を呼び戻したとしたら、どうなっていたか分からない」と思いました。

 師父はこのように説かれています。「ですから、皆さんくれぐれも覚えておいてください。どんな出来事や厄介なこと、不愉快なことに遭っても、または誰かと衝突した場合、必ず自分を省みて自分を探すべきです。このようにすれば、あなたは解決されないその問題の原因を見つけることができます」[1]

 そうです。私はただ「自分は修煉者だ、娘と同じようにしてはいけない」という認識に留まっており、心から自分を変えようとは考えていなかったので、表面上ではケンカはしなかったのですが、心の中ではずっと憤っていました。娘を変えたいといつも思っていましたが、自分を変えようとは思っていませんでした。ここが問題でした。まず、自分が変わらなければならないと悟りました。

 私はいかなることに対しても穏やかな気持ちで対処し、毎日ニコニコして過ごすようになりました。娘は以前ほど文句を言わなくなりました。たまに、娘に文句を言われたとき、「私のやり方が悪かったから、次はやり方を聞いてからすれば、良くなるはず」と認め、心の中の不満がなくなりました。

 しばらくすると、娘が「お母さんは変わったね、今は人から指摘されても怒らなくなったね」と言ってくれました。私は、他人に言われたくないという強い執着心を持っています。それは、子供の頃から形成された自尊心で、実はメンツにこだわる心です。娘は私の執着心を取り除くために手伝ってくれていたのだと分かりました。私にとって誰が一番良くしてくれたのか、それは娘です。娘は私の修煉を手伝ってくれていたのです。娘がこれらのトラブルを作ってくれなければ、誰が私に触れることができるのでしょうか? 私の良くない心がどうやって曝け出されるのでしょうか? どうやって取り除くのでしょうか? 本当に心から娘に感謝しています。

 ある日、私が作った肉まんの具が、塩辛くなってしまいました。娘は何も言わずに具をお皿の中に入れて、皮だけを食べました。その具は、次の食事の時におかずとして食べるつもりのようです。それを目にして、「自分が変わったら、娘も変わった」と思いました。以前なら、娘は文句を言って食べてくれなかったでしょう。

 大法は私を変え、娘をも変えました。私の執着を取り除くために手伝ってくれた娘に感謝し、このような娘を授けて下さった神様に感謝します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/5/445127.html)
 
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