江沢民が中国の教育に災いをもたらした真相
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文/園丁

 【明慧日本2022年12月17日】ユニセフが2005年12月中旬に発表した概算による統計報告では、中国の1億4千万人の流動人口のうち、6歳から14歳の子どもは約2千万人いるとされる。この流動人口内の子どもの10人に1人が学校に入る機会を失っている。

 国連職員は、中共当局の教育への支出がアフリカの貧しい国ウガンダよりも少ないと批判している。

 教育を重視する古今東西の伝統

 中国には5千年の文明の伝統があり、賢者の書を読み道理や道徳を理解することは、時代を超えて従う共通の教育理念である。

 古代から現代に至るまで、中国・西洋を問わず、教育の重要性は、国民の精神的な育成や道徳的な教育の重要性にとって言わずとも明らかである。

 有名な教育学者のロマン・ロランは「教育に代わるものはない。各世代は、自分自身と将来の世代に対して、その文化を保存し、促進し、継承する責任を負っている。そのために人間が考え出した制度が、いわゆる教育制度である」と言った。

 孔子は「指示なしに殺すことを虐待と言い、教えることなく何かを形にすることを暴力と言う」と言った。

 唐の太宗(訳注:唐の第2代皇帝)は「経書や史書を調べてみると、古代の賢王のうち、先生を持たなかった者がいるだろううか? さらに、現在は上古(訳注:殷・周・秦・漢の時代)の高尚な道徳心であるわけではなく、先生がいないのに、どうして国民が落ち着くだろうか?」と言った。唐の太宗は、人々に礼教(訳注:封建社会の礼儀と道徳)を広めるために太学(訳注:周代以降、首都に設立された官吏養成の最高学府)を設立し「名教(訳注:礼教に基づく教化)を広め、徒弟に奨励した」と呼ばれた。その結果、純朴で徳の高い国民が生まれ、美徳が尊重された。

 康煕54年(訳注:1715年)、康煕帝(訳注:清の第4代皇帝)は国都周辺の地を視察し、巡撫(訳注:一省の民政・軍政をつかさどる長官)の趙弘燮に「私はしばしば国都を視察し、人々の暮らしが以前より良くなっていることを実感している。しかし、本を読める者が少ないのは、民間風俗の関係だ。貧しい地域や遠隔地に義学(無償の私学)を設立し、人々に勉強するよう説得することが望ましい」と言った。康熙帝は地震と天災が発生した後、自らを省みて、政府を動かし、「人々に私を歓迎させるのではなく、義務教育を構築する・・・」と道を開いた。

 中国の教育資金はどこに行ったのか?

 1998年、江沢民はそれまで教育に携わったことのない陳至立を教育大臣に任命した。教育部門は国の柱を育てる浄土であるはずだが、陳至立は江沢民の直接指導で教育を産業化し、ビジネス化してしまったのである。これは歴史上、めったにない一幕である。

 1999年の中国の都市部の年間可処分所得は1人当たり5,854元(11万3千円)、農村部では2,210元(4万3千円)しかなかった。教育の産業化により、大学の授業料は2000年には5,000元以上に達した。義務教育が実施できないため、農民の子供の親の多くは、子供の大学進学のために血を売らなければならず、その結果、「学費で人が死ぬ」という珍現象が起きた。つまり、今世紀初頭、中国の教育は人々が苦難に満ちた生活をする状態に陥っていた。

 第10回全国人民代表大会では、審計署(訳注:政府機関と国有企業の財務収支の監査を行う役所)審計長の李金華が2003年の予算報告で、教育部が地方への教育費補助金24億6600万元を中央予算に計上し(中央レベルの教育部の手配)、地方政府の管理・監督からその資金の使用を遠ざけていたことを明らかにした。

 中央政府の教育分野への資金は毎年決まっており、江沢民政権時代の陳至立に割り当てられた教育資金はさらに驚くほどの高額であった。教育資金は陳至立によってどこに使われたのか?

 教育は迫害の道具に成り果てた

 1999年7月、江沢民が法輪功への迫害を公然と宣言した後、教育界は無実の者への迫害、良心の抹殺という未曾有の国家的災難に突き落とされた。

 特に、2001年1月22日の「天安門焼身自殺事件」のでっちあげの後、2月1日、陳至立が率いる教育部は、各レベルの学校に法輪功を攻撃する「100万人署名」活動を組織するよう要求する通知を出し、それによって億をもって数えるほどの未成年の学生を妨害した。中国全土の100の大中都市にある1000近くの社区で、800万人の若者が法輪功に反対する宣伝活動に直接利用され、当日、50万枚以上のポスターの掲示、1000万部以上の宣伝資料の配布、200回以上の集会を開催した。

 2001年2月、真相を知らず、強要されて利用された若い学生を中心に、全国100の大中都市で1500を超える青年社区が、1200万人以上の社区の住民を動員して「信じない、広めない、抵抗する」という誓約書に署名した。

 陳至立は学問の場を法輪功迫害の場とし、各レベルの大学に法輪功を「摘発」し、無神論の宣伝を強化するように指示した。

 陳至立は大学に対して、インターネット遮断技術を強化するように要求し、ネット上の法輪功に関するあらゆる情報を遮断するための技術サポートを提供した。

 法輪功を誹謗中傷する内容は、小中学校の教科書や各レベルの試験、さらには入試や大学院の試験にも取り入れられ、子供たちを洗脳している。

 各レベル、各タイプの学校の募集要項や入試要項には「法輪功学習者」は「受験」できないとの規定があり、子供たちの心に憎悪と恐怖を植え付けた。

 教育制度においても、法輪功の修煉を放棄しない教師や学生を「ふるいにかける」または「ゼロにする」ことで迫害した。1999年以来、清華大学の教授、教師、博士、修士、大学生だけでも300人以上が不当に拘禁され、公務や学業から追放されたり、労働教養所に直接送られたりした。教育制度の中では、72人の教職員と学生が迫害されて亡くなったことが知られており、最年少は佳木斯市の樹人中学校の生徒であった17歳の陳英さんで、最年長はハルビン市管理学院の教授だった68歳の周景森さんである。

 2004年7月19日、江沢民のなれあいであった陳至立が、中国の元教育大臣・国務院のメンバーの立場でタンザニアを訪問した際「中国の教育制度における法輪功への拷問と虐殺」で訴えられた。陳至立は、訴訟の答弁のために自ら裁判所に出頭するように呼び出された。陳至立が裁判所に呼び出されたのは法輪功学習者が法輪功への迫害を理由に中国の官僚を訴えたからであり、初めて被告が自ら法廷に現れたのであった。

 キャンパスはモラルのない沼地になり下がった

 1997年から2007年までのわずか10年間で、陳至立と江沢民は結託して中華民族の道徳的基盤を破壊し、すでに弱体化していた中国の教育制度をあらゆる手段で破壊した。教育改革は混沌となり、教育の質は低下し、教育・学習文化はだらけて堕落した。大学の卒業証書や学位が悪用されることは、中国全国でよくあることである。大学や高校の校風とモラルは悪く、売春やギャンブル、盗作がキャンパスに常態化している。

 社会における偽卒業証書の存在確率は5~10%とも言われている。どんな卒業証書でも、お金を出せば路上で買うことができる。偽の卒業証書が工業的に生産されているだけでなく、学部や専門学校の卒業論文、修士論文、博士論文、各職種に関する論文およびその他の各種論文を書く「ゴーストライター」があちこちで見受けられる。

 江沢民の腐敗した治国の魔の手は学校にも及び「清潔な機関」とされてきた教育現場も、次第に犯罪多発地帯と化した。江蘇省南通市規律検査監督機関の統計によると、2007年から2009年の3年間で、教育システムの小中学校の校長に対して、合計85件、3000万元以上の懲戒処分が調査・処理されたという。教育現場での汚職は、中国全土で多発している。

 そればかりか、人を教え育てるはずの学校は、おびただしい数のけだものにも劣る教師に悩まされてきた。レイプされて妊娠した生徒、ある生徒は強姦され愛人として囲われ、レイプする前に生徒を殺した教師、中には10歳のとても若い女の子にまで手を下した教師もいた。前代未聞のひどい事態が、あまりにも広範囲にわたって発生しているのである。

 ネットユーザーが暴露する教育界の腐敗

 江沢民が引き起こした教育の腐敗は近年も続いており、2020年に偽者の学生の大学入学のニュースが流れると、多くのネットユーザーから「中国共産党の教育制度は腐敗している」と批判が殺到した。2020年、中共教育部が「大学院生に対する指導者の行動規範の指導」を発表し「大学院生との不適切な関係は許されない」と規定したことから「基本的な道徳の原則がどうして規定になるのか?」とネットユーザーの間で大きな議論を呼んだ。

 教育の腐敗は、社会の他のどの腐敗よりもひどかった。なぜなら、教育の腐敗が破壊するものは個々の人間にとどまらないからである。

 教育は、国家国民の知的、精神的、道徳的な教化の基礎となるものである。子供たちに真・善・忍を敵視させることは、子供たちの心の中の価値観を破壊することであり、伝統的な教育を破壊することは、祖父母と孫、親と子の間の文化の伝承を破壊し、中国の将来の社会と風土を破壊することである。教育から生まれる善念と良心は、国家の文明と道徳の基礎が伝承する根本となるものである。学校で悪を教え、悪に対して寛大になり、真・善・忍を攻撃すること、これはこの社会と国家を破壊しているのではないだろうか?

 人の徳と行いが悪くなると、すべてが悪くなるのである。社会も同じである。社会の道徳の基盤が壊れると、すべてが壊れるのである。古人は「自分の振る舞いは周りの人に見られていなくても、神が見ている」と言った。現在の中共ウイルス(コロナウイルス)の大疾病は、人間の心の腐敗に対する警告であり、懲戒ではないだろうか? 今こそ、人々の反省を促すべき時である。江沢民が中国の教育制度を通じて中国社会にもたらした災難は、そんなにたやすくに取り除けるものではない。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/12/6/452721.html)
 
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