文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年12月23日】私は6、7歳から法輪大法を学び始めた古い大法弟子です。しかし、師父の期待に背き、あまり修煉しておらず、途中の十数年間は殆ど修煉していませんでした。
20歳の頃、私は全身に小さな赤い斑点ができ、医者から「乾癬(かんせん)」と診断され、体の免疫力が原因だと言われました。それ以来、私はこの病気に悩まされ、煉功を通して病気を治そうと思いました。
師父は「毎日幾つかの動作を行なうだけで、法輪大法の弟子と言えるのでしょうか? そうとは限りません。本当に修煉しようと思えば、われわれの言う心性基準に基づいて自らを律し、本当に心性を高めなければならず、それこそが本当の修煉です」[1]と説かれました。
私は病気のことに執着しすぎて、いつも落ち着かず、精進していませんでしたが、「功法を煉っているのに、なぜ、かゆみも治らなければ、好転もしないのか」と思いながら毎日、薬を塗り続けました。
この状態が2012年まで10年間続きました。ある日、広州中医学院に漢方薬をもらいに行くと、「親切な方」(実は医托で、うまい言葉で病人をだまして、仲間である、偽医者や診療所を勧める者)に出会いました。彼女は「腕が良い退職した主任医者を知っています。あなたのこの病気は治せますよ。私も以前この病気を患っていましたが、完全に治りました」と話しました。その話を聞いて、私は急いでその医者を訪ね、薬をもらいました。しかし、その夜、誰かが私の頭の中に蚕のような虫を入れている夢を見ました。目が覚めると、背筋が凍り、全身がゾクゾクしました。「師父からの啓発だ」と悟りましたが、「ほかの人がこの薬を飲んで病気が治ったのだ。せっかくこんなに高い薬を処方してもらったのだから、飲み続けよう。早く治るかもしれない」と思いながら、幸せな気分になりました。しかし、その後、私は徐々に眠れなくなり、一晩中眠れないことがあり、しかも、ホルモン剤なので、どんどん太っていきました。
そして、あまりの悲しみで絶望的になり、薬を飲む気にもなれず、誰かがこの病気を治せるということも信じられなくなりました。改めて師父のことを思うと、涙が静かに流れ、自分は救い済度されるに値しないと思いました。長年、大法の近くにいて、師父が何度も悟らせてくださったのに、自分は真剣に考えていませんでした。涙を流せば流すほど、決意は強くなり、「たとえこの世で病気が治らないとしても、師父についていく」と、明確に決めました。「この世のどこに浄土があるのか? 師父のところが浄土なのだ!」と、目が覚めました。
それから、本当に師父と大法を信じていると、以前より大法の本を真面目に読むことができ、本の中の法理も以前より理解できるようになり、自分が向上しているのがはっきりと感じとれたのです。それまでの20年間を振り返ってみると、私は本を読むたびに寝てしまい、「走馬看花」(物をあわただしく大ざっぱにしか観察せず、理解の仕方が浅いこと)で、自分を修めなかったのです。その後、私の体の赤い斑点も、以前より良くなったような気がしました。
長年、ホルモン剤を使っているせいで、薬を止めた後、何度も再発し、再発のたびにしばらくは苦しかったのです。その後、良くなったり、再発したり、良くなったようで、良くならないような感じでした。特に月経の前後、症状が深刻でした。時々、周りの人から、「また悪化したね。早く病院へ行きなさい!」と言われることがありました。そういうとき、私はニコニコして、動揺せず、あまり気にしませんでした。夏は赤い斑点が見苦しいので、長袖を着たり、歯磨き粉で痒みを和らげたりしていました。「これは自分の業力を消すことであり、執着を取り除いているのだ。しっかりしなければならないのだ」と自分に言い聞かせました。
ある日、父から電話があり、「今、生物製剤が発売されていて、1回の注射で1年間効果が持続する。多くの人がそれを使って、完治した。肌もつるつるになり、夏にも長袖を着なくても済むよ。悩みを解消できるよ」と話してくれました。今回、このような感動的で嬉しい知らせに対して、私は以前のような興奮をしませんでした。しかし、「この病気があなたを苦しめているでしょう。あなたが元気になったら、周りも恩恵を受けるのよ。今、子供の教育費も高いし、いい仕事がなかなか見つからないので、この薬が良い効果があるなら、まず使ってみて、本当に効くのなら、病気が治った後も修煉が続けられるし、外へ出て法輪大法について伝えることもできるし、利があって害がないのだ。それに、注射は一回だけだ」という強い念が頭に打ち込められました。その瞬間に、「ダメだ! 私は自分の難は自分で耐える。常人の道を歩まない。注射1回で1年効くというが、一生効くと言ってもやらない」と、その念を拒絶しました。それを考えながら、眠りにつきました。
翌朝起きると、体の小さな赤い斑点が半分くらい小さくなっていて、赤くも痒くもなく、明らかに改善しました。長年、ずっとそばにいてくださる師父に心の中で感謝し、今まで自分が修煉できていなかったので、病魔に悩まされ続けたのだと悟りました。
『轉法輪法解』で、師父は「思想界や理論界では、物質が第一か、はたまた精神が第一かという問題について長い間議論しており、いつも物質と精神を分けて議論し、認識しています。私に言わせればそれは一つのもので、同一のものです」[2]と説かれました。繰り返しを読んでいると、「自分の体に起きているこの現象は、自分の精神のある要素にも対応しているはず。私はどの要素でしょうか? 常人なら、この病気は免疫系の問題だというが・・・」と考えました。
この病気に妨害されたのは、私が精進しておらず、師父や大法を堅く信じず、長年修煉を怠けていて、安逸を求めたからです。病気を治すことだけを考え、病気を求めていることと等しくなり、病気になってしまったのです。修煉者が師父と大法を信じなければ、修煉者と言えるのでしょうか?
今後、堅く師父と大法を信じ、法を正す進展についていき、本当の修煉者になりたいと思います。
師父に感謝いたします! 大法に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「北京『轉法輪』出版式典での説法」