其方は虹のようだ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年6月19日】道のりの長い人生行路の中で、 意中の人と出会い、その手を握り、一緒に年を重ねていくことは、誰にとっても願いであり夢です。 しかし、現実には、望みを叶えることはなかなか難しいものです。 特に現代社会では、誰もが強い自我と個性を持っており、最初は仲の良かった二人が、日々の生活の中で感情が鈍化し、互いに距離を置くようになることもあります。 幸い、私はその人と出会い、法輪大法の実践の中で、貴重な結婚生活を送ることができました。

 私は子どもの頃から体が弱く病弱だったため、家族は私を非常に可愛がってくれました。そのため、私は身の回りのことがほとんど何もできない「お姫様気質」となりました。母の言葉を借りれば「仕事を頼むとかえって手間がかかる」。父の言葉を借りれば「両親が家を空けている間、頭に大きなパイを被せておいたのに、帰るとお前は空腹で餓死している。目の前のものしか食べないからだ」と。 私は、恵まれた環境と境遇のもとで、自分勝手で自己中心的な性格に育ちました。親からは「このままじゃ、将来結婚したら毎日叩かれることになるわよ」と言われていました。

 あれは最も無邪気な年頃でした。私が実家を離れて学校に通っているときに、彼と出会いました。 彼は面白くて穏やかで、知的で勤勉で、信頼できる男でした。 彼は私に一冊の本を差し出し「この本を読んで、共に修煉しようじゃないか 」と言ってくれました。 私はその本を手にし、その後、私たちは幸せな夫婦になり、すべてが順調に進みました。

 真善忍という信念に対する前代未聞の邪悪な迫害を前に、私たちは修煉者として共に精進するパートナー、同修となりました。

 大法の修煉によって、心が恬淡として無欲でいられることが最大の喜びであることに気づかされました。

 一緒にいると、彼は利害関係の前で争いません。他人の誤解に対し、軽く微笑むだけで、そんな寛容さと冷静さに私は驚かされるのでした。 父と母は「娘よ、あなたはどんなに遠くへ行っても心配いりません」と言っていました。

 彼は私に「実は、僕は元々こうではなかった。両親が不仲で、抑圧的な家庭環境のせいで、子供の頃、短気で怒りっぽい性格だった。でも、修煉していくうちに、心を修めることがわかり、魔性ではなく、理性を持ち、心が穏やかになり、執着しなくなった」と話してくれました。 私は深く感銘を受けました。 寛容と忍耐に直面し、さらにその背後に大法の強い力があるので、当然、私の気まぐれや利己主義は通用しなくなります。 彼はさらに「修煉後、あなたは別人のようになった。 初めて会った時は、傲慢でわがままな娘だったが、今はどんどん優しくなっている」と私を励ましてくれました。

 実は、当時、法を得たばかりの私には悩みがありました。修煉は良いけれども、「あなたへの想いを捨てきれない気がして、それは精進しているとはいえず、偽りの修煉ではありませんか?私はまだ修煉できますか?」と彼に聞きました。すると彼は「他の執着心を手放すようにと言われたら、喜んで放下することができますか?」と私に聞きました。 私は力強く頷きました。 彼は「それでは、まず他の執着心を捨てることから修め始めてはどうでしょうか」と言いました。

 そして、彼は私にひとつの物語を話してくれました。波打ち際に打ち上げられた2匹の魚が、日に日に乾いていく砂の上で、相手が生き続けられるように、息絶えるまで互いに水の泡を吐き合っていたという話です。このまま死んでしまうのがいいのか、それとも互いを忘れ、大河や海に帰るほうがいいのか。つまり、一緒にいて壊滅するより、互いに忘れて生き続けるほうがよいのです。徐々に、修煉するにつれて、師父の慈悲深さと大法の奥深さに、ますます心を打たれるようになりました。

 私は子供のころ、気管支炎や喘息を患い、毎年冬になると咳が出て、熱を出すことが茶飯事でした。私にとって冬は耐えがたい季節でした。 しかし、大法を修めた後、奇跡的なことが起こりました。 何度も同じような症状が起こるのですが、そのたびに我慢できる程度にまで症状が収まるのです。これは弟子の私の身体を、師父が浄化してくださっているのだと分かっていました。 子供の頃、私は白雪姫と呼ばれていましたが、修煉した後、私を知る人は皆、あの白雪姫の顔に赤みが差すようになったと言いました。

 私は苦悩に直面したとき、内側に向け探すと、非難、不平、恨み、打算がすべて崩れ去り、 心が昇華されたとき、解放されたような感覚になり、私は修煉の素晴らしさに驚嘆しました。私の生命は大法で一変しました!

 あるとき、私たちは山に登りました。 昼食後、私はすがすがしい景色に見惚れてました。 風は澄み、鳥が鳴いていました。 何もすることがないので、座禅しようと思いました。 そこで、大きくて平らな岩を見つけ、第五式の功法を始めました。 両足を組み、印を結んだ途端、頭の中の雑念がなくなり空っぽになりました。 静寂の中で、自分の体が消えてしまったような、脳が高速で動いているような、しかしまるで何の念も起こらないように感じました。その時、突然全身が揺れ動きました。心の中で「心が恬淡として無欲なことが最大の喜びである」という明確な考えが浮かび、私は大法の修煉の神秘と純粋さの中に完全に溶け込みました。多くの人々や物事が遠ざかり、ぼやけて、その美妙さは言葉では言い表せないほどでした。

 確固とした二人の双剣が合わさり、衆生の救い済度に不滅の全体を形成する

 いつの時代も、修煉の道は決して順風満帆ではありません。道徳が崩壊している末期の今日、「真・善・忍」という宇宙大法を実践することは、あらゆる不浄、変異したもの、邪悪である要素に触れることを避けることができません。 1999年7月20日、黒雲が世界を覆い尽くす様に、大法弟子に対して人類史上空前の残酷な迫害が行われました。 しかし、迫害は決して真に修める修煉者を押し潰せるものではなく、むしろますます決意を固めさせたのでした。

 あの夜、私たちはこれからの道のりがどんなに険しくても、一緒に北京へ行き、法を実証すると約束しました。なぜなら、 大法の弟子として法を得て、どうして師父が理由もなく誹謗中傷されるのを許すことができるのでしょうか?慈悲の大法は世人を救い済度しているのに、なぜ邪悪に踏みにじられ、汚されることを放っておけるのでしょうか?  私たちは心を一つにして寄り添い、大法の潔白を実証するために、一ヶ月間北京で共に野宿しました。 帰宅するとき、彼は私を電車で帰らせて、自分は自宅までずっと歩き、道中で出会った人に大法への迫害の真実を伝えると決断しました。 私は彼を応援しました。 そうして、彼は艱難な長い道のりを選んだのです。 帰宅したとき、以前の色白で上品な顔立ちは黒く痩せていましたが、彼の目には清らかさと自分の信念への確固たる揺るぎない光がありました。

 迫害の中で、私たちは成熟し始めましたが、善良で大切な同修が惑わされ、大法への否定と誤解が広がることに、若い二人の心に安らぎはありませんでした。 私たちは責任と使命を背負い、世人に真相を伝え、衆生を救うことを実践する修煉の道を歩み始めました。

 しかし、私たち二人は独立した個人でもあり、生活、仕事、家庭、修煉、社会環境の変化や魔難に直面し、多くのことに対処しなければなりません。 ある時期、私たちは忙しくて、お互いに配慮することを怠り、特に私は、怒りと恨みを抱くようになり、彼と多くの問題で意見が対立しました。 彼はもう私の面倒を見る方法を知っていた以前のようではなく、ただ淡々とルーティーンをこなしているように感じていました。さらにがっかりしたのは、私が不機嫌なのを見て不合理だと思い、私のことを「理性に欠け、自分の意見を頑なに主張している」と思っていることでした。 その時の私は、何年もの間一緒に仕事をし、1日24時間共にしてきたのだから、もはや彼はもう当初と同じ気持ちではないのかもしれないと悲しく思っていました。

 彼と喧嘩したまさにその夜、昼間の光景が再現された鮮明な夢を見ました。私は彼と口論して怒鳴り、彼は追い詰められ、私に反論していました。すると突然地響きがして、空が崩れ、周囲の人たちの叫び声が絶え間なく聞こえてきます。私はとても怖くなり、テーブルの下に隠れて、師父に自分の過ちを告げました。「師父、私が間違っていました! 私が間違っていたのです! もう二度と反論はしません!」 そして、冷や汗をかいて目が覚めました。この夢は、私たち二人の隔たりによって、 私たちの天体と衆生が受けたダメージであり、夢ではなく他の空間のリアルな再現だったのです!

 私は自問しました。「あなたは、まだ夫のおだてが必要な甘えん坊さんなのですか? 一人ですべてを統治し、他人に精神的に頼る必要のない王様のように、真に自分を修めてきましたか? 彼の不完全さや欠点に向き合えますか? 師父の言う丸い円融とは何でしょうか? 他人の不完全さを不完全と呼ばないのは、その欠片が自分に残されていて、それを補うことができるからではないですか? それを補うことができれば、それを円融といい、円融できればそれは全体となり、自分を放下できれば衆生が救われます。 俗世間の情は夢であり、空しいものです。あなたは、衆生が救われるのであれば、自分を放下し、この幻想的な情を放下することができるでしょうか?」

 私の目から悔し涙がこぼれました。 衆生が救われるのなら、私は放下できるすべてのものを放下します。そして、これらの物質を取り除くために正念を送りました。結跏趺坐して印を結んだ瞬間、私の心の中に 「双剣合璧、天往不利 」(2本の鋭い剣が合わさったように、天下無敵になる)という8つの大きな文字が浮かびました。

 私たちは切磋琢磨し、お互いに謝罪し、間違いを認め、親戚が言っているように、私たちは何年経ってもお互いを尊重しています。それは彼の修煉者としての資質と教養であり、彼は私に多くのものを与えてくれました。中国大陸の法輪功に対する厳しい監視と迫害という魔難の中で、人を救う使命を果たすためにお互いを大切にし、相手に対して自分の衆生を救うことを常に促し、共に嵐の中を歩んできたことは、なんという神聖な因縁なのでしょうか! 私たちが不滅の全体を形成している限り、私たちは必ず多くの衆生を救うことができるはずです。

 より多くの善良な同胞が大法の素晴らしさを知り、大法によって救われますように!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/10/458610.html)
 
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