文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2023年8月29日】私は『轉法輪』の第六講「顕示心理」を読むたびに、悔しくなります。自分の顕示心はとても強く、いつになってもそれを取り除くことができませんでした。話し終えるたびに、私は自分がその言葉を発した目的、なぜその言葉を発したのか、そしてその言葉の意味を注意深く考えていますが、毎回自分が発した言葉は明示的にも暗黙的にも、顕示心から出てきていることに気づき、悔しくなります。
例えば、誰かに「あなたの服はとても素敵ね」と言われたら、私は「これは私の息子が買ってくれたの」と言い、 どこの店で、どこのブランドで、値段はいくらだ、と誇らしげに言います。 その言葉は、息子が親孝行で、その服が高価で有名なブランドのものであることをアピールするためのものでした。
ある同修が病業に遭遇した時、私は以前自分が病業に遭った時、何を考え、何をして、どのように回復したかを話します。それは、私がいかによく法を学び、よい悟りを開き、強い正念を持っていることを示すためでした。
ある同修が真相を伝えても、それを全く信じない人がいるとの話を聞くと、私は、自分がそのような人にあった時はどう話すとか、どう説得したのかとすぐに口を挟みます。私には知見があり、話がいかにうまいかを自慢するためでした。
もし誰かが私のコンピューター・スキルを褒めたなら、私は即座に「私は会社でコンピューターを扱う仕事をしており、最も早い時期に2進法からコンピューターの知識を学んだ」と言ってしまいます。 自分が普通の労働者ではなく、かなり早い段階からコンピュータを学んできたことをアピールするためです。
もし人に「法を読むのがうまい」と言われたら、私は喜んで「私は会社でよくスピーチをしているので、もう慣れた」と言いますが、これも私は能力があるということをアピールするためでした。
文章を書くのが上手だと褒められると、私は誇らしげにこう言いました。「私は第二師範学院を卒業しているので、文章を書く能力があります。美術を学んできたし、学校や会社では広報活動にも携わってきたので、字がきれいに書けるのも当然なこと」
私の言う言葉の一つ一つには全部「顕示心」があります、師父は「本人にとって、それはもうごく当たり前のことで、無意識にやっているかも知れません。彼の潜在意識に、ほかならぬ顕示心理というのがあるのです」 [1]と説かれました。私は、どうすればいいのだろうと悩み、自分の発言に注意するようになり、言葉に「顕示心理」が含まれているかどうか、話す前に考えるようになりました。
ある日、学法グループでの学法を終えて出てくると、左足首がとても痛く、足を引きずって歩いていました。 骨折したわけでもなく、触ったわけでもないのに、なぜ足が痛むのか不思議に思いました。 足を引きずりながら、今朝自分が言ったことを考え、ふとあることを思いました。ある同修から、ほかのある同修が明慧のウェブサイトにアクセスして、自力で情報をプリントアウトできるようになったというのを聞き、私は誇らしげに、その人に自分が教えたと、その人はあまりコンピューターのことを知らなかったので、自分が教える時はどれだけ大変だったかを言いました。おっと! これって、自分を顕示するために言っているのではないか? 師父、私は間違っていました。私は悔しくて、足を踏み鳴らしましたが、もう痛くありませんでした。 この左足を引きずって40分ほど歩いていると、突然痛みは消えました。 足の痛みが治ったのです! ああ! 足の痛みは仮相で「顕示心理」を見つけ出すために現れたものだったのです。私はとても嬉しくなりました。
ある日、歯の根元がとても痛くなり、義歯が削れているせいではないかと思い、歯医者で義歯の修理をしてもらいましたが、義歯は修理すればするほど痛くなりました。 一週間我慢しましたが、一向に良くならず、痛みはもっとひどくなりました。うがいをするのも痛いので、口を開ける勇気もなくなりました。義歯を直さないと痛い、しかし、義歯は直せば直すほど直せない。どうしようと悩んだ時、 ふと「私は常人として考えていないのだろうか? 私は大法の弟子なのだから、大法に基づいて問題を見つめ、何ができなかったのか考えるべきではないのか? 口を修めなかったのか?」と考えました。ある日、夫に「どうしてそんなにわがままなんだ、それが師父の教えなのか」と怒鳴られたことを思い出しました。 その時、私はとっさに「先生に清華に行けと教えられたはずなのに、あなたは行ったのか?」と言いました。その途端、夫は目をまっすぐにし、まるで木鶏のように口を大きく開け、何も言えませんでした。 私は心の中で、その程度で私に勝てると思っているのか、と思いました。 私は自分を大法弟子として扱わず、自分の至らなかったところを探さず、むしろ威張り散らして喧嘩を売りました。 自分が強い人間だということを示すために、同修にもそのことを話したりもしました。
うちに向けて探すと「顕示心」のほか「闘争心」も見つけて、私はびっくりしました。この時、一週間も痛んでいた歯床がたちまち痛まなくなり、良くなりました。 本当に不思議でした!
突然、私はどんな身体的な異常が現れようとも、それは良いことであり、内面を見つめ、心性を向上させるための警告なのだと悟りました! それは功が伸び、次元を高めるたみにやってくるのだと思いました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』