【5.13応募原稿】 ずる賢く計算高かったのが、他人のために貢献する人間に(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年9月8日】(前文に続く)

 私は数日間考えましたが、自分でお金を出して(水洗便所の)浄化槽を建設することに決めました。

 それは夏の日で、ちょうど私の住んでいる地域で個人の建設作業チームが仕事をしているところでした。私は現場監督を見つけて現場監督に「二つの浄化槽を掘るのにどれくらいの費用がかかりますか?」と尋ねました。現場監督は現場に行って見て、すぐに「レンガ、セメント、砂、加えて労働費を含めると、最低でも1万8000元はかかります。他の人に頼んだら2万5000元は下らないでしょう」と計算しました。私は「私は個人的にお金を出して、この建物の住民に対して善を行いたいと考えています」と言いました。現場監督は私を見つめて、少し理解できない表情を浮かべました。その意味は「今でもこんな人が存在するのですか?」ということでした。

 私は「私は法輪大法を修煉しています」と言いました。現場監督はまだあまり理解していないようでしたので、私は自分の修煉の体験を伝え、法輪功は江沢民のでっち上げのようなものではなく、心を修めて善を行うものだと伝えました。現場監督は私の話を理解し、尊敬の意を示しながらうなずきました。そして「あなたのその心に感銘を受けました。料金と手間賃だけ受け取りましょう!」と言いました。現場監督はまた計算して「1万2000元、利益は取りません」と言いました。私は「それは、ありがとうございます!」と言いました。その後、現場監督はまた「この私の行為は善行と見なされるでしょうか?」と尋ねました。私は「もちろん、これは善行です。あなたは福報を得るでしょう!」と言いました。私は現場監督にお守りを渡し「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」という言葉を覚えてもらいました。現場監督はお守りをじっと見て、慎重にポケットにしまいました。

 工事が始まる日には、多くの人が集まっていました。人々が私が出資したことを知ると、賞賛の声が絶え間なく上がりました。そして、誰かが「テレビ局に生中継してもらうために電話をかけて、日常生活を録画してもらうべきです。善行を静かに行う人なんてどこにいるでしょうか?」と言いました。私は「そこまでしなくてもいいです。私は生中継なんて求めていません」と言いました。その日、私も煉瓦を運んで土を掘り、体中が土埃で汚れました。日が暮れてから、ようやく作業が終わりました。

 浄化槽が完成した後、工程はまだ半分しか進んでおらず、残りの半分は1階の地下のパイプから接続しなければならないことでした。私はまた人を雇ってパイプ、セメント、砂を買い、地下溝を掘り、1階の地下のパイプと浄化槽を接続しました。浄化槽建設とパイプ接続の作業をすべて行った結果、おおよそ計算すると、2万元以上かかりました。

 法輪大法を修煉する前だったら、あらゆることを計算する私のような人間がどうしてこんなに寛大になることができたでしょうか? 普段友人を食事に招待する時、料理を注文する時に欠かせないのが麻婆豆腐で、いつも安価な麻婆豆腐を選んでいました。職場での出張時、公共バスで5分や1毛の切符を拾って請求書に記載し、電車に乗る時には時折無賃で乗ることもあり、請求書には切符を紛失したと言いました。実際には、私は生活には何も不足していませんでした。ただし、内面的な心の指針が足りなかったのでした。以前は内面的な心の指針が足りないことに気づかず、お金が大事だと思っていました。自分が公務員にならなくてよかったと幸せに感じました。そうでなければ、どれだけ貪欲になり、何人の人々を傷つけたでしょうか! 法輪功が説くのは心の法であり、徳を重んじ善を行なうことを説き、心性を高めることを説いていました。私は無駄に生きていないことに感謝しました。今の人生で法輪大法との縁を結べたことを幸せに思いました。

 二つの雨水用排水路を建設する

 小区に引っ越して最初の数年、雨季ごとに、小区の入り口近くに位置するいくつかの区画の前には常に水たまりがあり、人々は壁に寄りかかって歩かなければなりませんでした。子供たちが学校へ通う時に水たまりに足を取られることはよくあることであり、高齢者が通り抜けることはさらに不便でした。時間が経つにつれて、住民も慣れてしまいました。

 最初は、私はいくつかのレンガを手に入れて、一歩ずつ配置して、人々が踏む時に水たまりに落ちないようにしました。後で気づいたのは、これが持続的な解決策ではないことでした。雨が上がると、レンガは不要になり、移動しないと、人々の歩行や車両の往来に影響を及ぼしました。そこで、私は再びレンガを壁のそばに移動し、次に雨が降った時に再び配置し直しました。こうして繰り返し繰り返すのは、非常に面倒な作業でした。

 ある時、私は隣人に「これを解決する方法は何かありますか?」と尋ねました。隣人は「雨水用排水路を掘ってしまえば解決です」と言いました。隣人は一つの空地を指差しながら「下には汚水用のパイプがあります」と言いました。私は「雨水用排水路を掘るのにどれくらいの費用がかかりますか?」と言いました。隣人は「数百元で可能です」と言いました。その後「ああ、もしも役人がここに住んでいれば、この問題は早く解決していたでしょうに」とため息をつきました。

 考えてみた結果、この問題は浄化槽よりも簡単なようでして。そこで、人を雇って対処することにしました。その後、私は車で郊外に行ってマンホールのふたや立坑木わく(訳注:穴を掘る際に土を囲むために使われる枠組み)、レンガ、セメント、砂を購入しました。材料を用意した後、さらに2人の大工を雇い、1日かけて雨水用排水路を作りました。

 それ以来、雨の後に建物の前に水たまりができることはなくなりました。住民たちは非常に喜び「20年以上も解決されなかった問題を、あなたが解決してくれました」と言いました。

 その後、私はその小区から引っ越しましたが、時折その小区に行くこともありました。引っ越してから6年目の秋、小区が改装され、地面が新しいレンガに変わりました。新年を迎えて雨季が訪れると、問題が再び発生しました。いくつかの区画の内部工事中、砂の敷き詰めが足りず、地面が低かったため、雨の後に水たまりができ、2、3日かけて排水する必要がありました。住民たちは不動産管理会社に相談し、社区に報告し、区政府にも相談しました。上層部からも調査に来る人がいましたが、誰も最終的な決定を下しませんでした。雨が降るたびに、多くの人が集まって不満を言ったり、政府や中国共産党(以下、中共)、役人を非難しました。しかし、どれだけ罵っても、水たまりの問題はやはり誰も解決しませんでした。

 私は毎回通り過ぎるたびに考えました。とても簡単だと私は思ったのですが、雨水用排水路を修理すれば解決しないのでしょうか? しかし、同時に考えてみると、私はすでに引っ越してしまったし、私が雨水用排水路を修理することは必要なことなのでしょうか? 最初に浄化槽と雨水用排水路を建設した時には、私はかなりの費用をかけました。しかし、法輪大法を修煉していなければ、誰が浄化槽と雨水用排水路のことを気にかけたでしょうか? もし再び雨水用排水路を修理するなら、誰かが私が法輪功を学んで愚かになったと言う可能性があるでしょうか? しかし、また考えてみると、師父は私たちに真・善・忍に従って善い人になり、より善い人になり、最終的には円満成就の基準に達する人になるように指導してくださっていますが、私はまだ遠く及ばないようでした。この問題は政府は解決しないでしょう、いつかは結局は一般の人々の悩みになると思われました。そこで、私は自分でやることに決めました。

 前回の経験があったおかげで、今回は計画がしっかり立ちました。私は古いレンガを拾い、セメント、立坑木わく、マンホールのふた、パイプを購入しました。また、同修2人と親戚2人を手伝いに呼びました。約10メートルの長さの地下溝を掘り、井戸を設置し、両端を接続し、水を充填して固め、土で埋め、地面にレンガを敷き、元の状態に戻しました。

 雨水用排水路を修理する事は大きい事ではなかったのですが、影響はかなり大きかったのでした。作業の日、行き来する人々は笑顔を浮かべており、一部の人々は自発的に近くに停めていた電動スクーターを押し出して作業のためのスペースを確保しました。60歳と70歳代の2人のお年寄りが、私たちと一緒にシャベルを持って地下溝を掘りました。4階に住むお年寄りの女性が、何度も家から水を運んでセメントを湿らせました。さらに80歳代のお年寄りがいて、私が近づくと90度腰をかがめて合掌し、直接「ありがとうございます! ありがとうございます!」と言いました。

 この作業を行った後、料金と食事代を合わせるとちょうど1000元になりました。

 法輪大法を20年以上修煉し、私は他人の立場を考える習慣を身につけました。時々街を歩いていると、道路に石があるのを見かけると、私は腰をかがめて拾い上げます。歩行者や車両の通行に影響を与えることを避けたいからでした。年配の人が食料を買ったり物を持ち上げたりしているのを見ると、私は積極的に近づいて手伝いました。

 中共ウイルス発生期間、あるお年寄りが袋半分の食料と二つの大きなビニール袋を持ち、道端で休んでいました。私は歩いて近づき「持ち上げられなくなったのですか?」と質問しました。そのお年寄りはどうしようもなく「疲れてしまったのですが、どうしましょう? この中共ウイルスの流行で、少しでも多くの備えを持っておいた方がいいですね」と言いました。私は「私が手伝います、どの建物にお住まいですか?」と言いました。そして、袋を持ち上げて、二つの大きなビニール袋を持って歩きました。そのお年寄りは信用しきれないようで、私の後をしっかりと追いかけてきました。私は「心配しなくても大丈夫です、私は法輪大法を修煉しています」と言いました。

 また別のある時、お年寄りが転んで地面に倒れ、多くの人が見物していました。お年寄りが手を伸ばして立ち上がろうとしましたが、誰も手を差し伸べようとせず、それはトラブルを避けるためでした。私は近づいて行きました。そのお年寄りは脳卒中の症状を示しており、手が震えて話すことができませんでした。私は「ここがどこかわかりますか?」と言いました。そのお年寄りは頷きました。私は両手を伸ばしてそのお年寄りを抱き上げ、そして階段に座るようにそのお年寄りを手助けしました。私は「あなたを家に送る必要がありますか?」と言いました。そのお年寄りは首を振りました。今の世の風潮は乱れており、誤った情報拡散が一般的ですが、私は天が善を欺くことはなく、心が正しければ百邪を圧する、と信じていました。

 大法を修煉した後の変化と体験を少しだけ書きました。これは大法と師父の威徳を実証するためであり、師父の教えによって私は他人のために行動できる境地に達し、健康な体と幸福な家庭を持つことができました。私は常に努力し続けます。そして、濁世の中の一輪の蓮の花となれるように願っています。

 (完)

 (明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)

 (責任編集者:伊文)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/3/460939.html)
 
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