文/北京の大法弟子 詳雲
【明慧日本2024年8月16日】それは1999年7月20日の午後のことでした。当時、私たちの村には十数人の法輪功の修煉者がいたのですが、警察官が全員を大隊の部屋に呼び出しました。他の修煉者は先に到着していて、私は最後でした。
大隊から夕方7時から会議に出席するよう知らされましたが、私は午後6時に『再び迷信を論じる』という経文を2回読み、最初の段落を少し暗記しました。その後、入浴して服を着替え、身だしなみを整えました。法輪功の弟子としてのイメージを損なわないようにしなければならないと思ったのです。私はチャイナドレスを着て、大隊の部屋に向かいました。
会場に入ると、全員が驚いていました。派出所の人が話を始め、国家政策について話し、最後に私たちに発言を求めました。そして、邪党(共産党)の言うことを聞くと発言するように言われました。
私の番が来たとき、こう言いました。「『文化大革命』を引き起こしたのは誰ですか? 『六四天安門事件』を引き起こしたのは誰ですか? あれはなんて血生臭いことでしょう! 私の両親は、その時に迫害されました。私の家族は迫害され、それ以来、両親は私たちに正義感とは何かを教えることができませんでした。共産党に恐れを抱いてしまったからです。今、私には師父がおり、師父は私に真、善、忍を教えてくださいました。私は道を得た者であり、心身ともに浄化されました。あなたたちが言っている迷信とは『政治的レッテルとスローガンにほかならず、もっぱら他人を攻撃するときに用いられる政治的な専門用語なのです。』(『精進要旨二』「再び迷信を論じる」)」。私は、来る前に暗記したばかりの師父の法の文句を活用したのです。
ここまで話すと、私にはそれ以上話すことができませんでした。見回すと、会場の全員が私をじっと見つめ、静まり返っていました。師父の法の力があまりに強かったのです。
その後、私は堂々と会場を後にしました。その場の人々は目を見開き、驚いた表情で私が立ち去るのを見つめていました。
翌日、同修が私のところに来て、「あなたは本当に大胆ですね。あなたが立ち去った後、誰も何も言わずに解散しました」と言いました。
私は家に帰り、このことを夫に話しました。夫は「やはり経文を暗記するのは良いことだね。師父がおられ、師父の法身が常にあなたを守ってくださっている」と言いました。私は法輪功を広める時や(迫害の)真相を伝える時、三退の時には、常に師父の法に従って話していますが、非常に効果的でした。