師父と大法への信念は確固たるものでなければならない
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 【明慧日本2023年9月27日】師父の最新の経文を読んだとき、私は衝撃を受けました。最も根本的な問題の一つは、一部の修煉者が師父に対して確固たる信念を失っていることだと私は感じました。

 世界のすべての生命は宇宙大法によって創造されたものであると私は理解していますので、もしあなたが、師父と大法を信じないで、師父に対して敬意を示していなければ、それはとても重大な問題だと言えます。

 おそらく私の前世の経験のせいで、西洋の宗教的信念は親しみのあるものに思えます。西洋の古い映画では、僧侶や修道女は献身的で純朴で、彼らの謙虚さ、神への信仰、そして神の僕として献身的に尽くす姿は誠実で感動的でした。何と言っても私たちは法輪大法の学習者です。私たちはどうして師を信じず、師父の前で謙虚になれないのでしょうか?

 しかし、私たちは依然として修煉中の人であり、人間です。 師父は、私たちがよく修煉してきた面は隔離されたので、私たちは依然として人間の観念とまだ未修煉の面と毎日向き合わなければならないとおっしゃいました。法を読んでいると、時々悪い思想業力や雑念が残って法を信じられなくなることがあると感じます。私はこれらの考えに気づいたらすぐに、それらを取り除くことに真剣に取り組んでいます。

 私の知っている修煉者の中には不満を抱き、不平を言い始めた人もいます。彼らは何年も修煉してきたのに、なぜ彼らはまだこのような悪い念を持っているのでしょうか? 私の理解では、最後のステップまで悪い考えを抱く可能性があると考えています。それは良いことなのです。なぜなら、それを私たちが改善し、より純粋になり、より大きな力を持って世界中の人々を救うのために、それらを排除するのです。悪いことをあまり深刻に受け止めて、自分が悪いと感じるべきではありません。 私たちは問題を前向きに見なければなりません。修煉者だけが自分の欠点を認識し、真剣にそれを取り除くことができるのです。

 私が修煉を始めたばかりの頃、師父と法を信じていないという考えが表面化し、非常にイライラしました。 でも、イライラするのは執着ではないでしょうか? 自分を責めたり、前に進まないことも執着ではないでしょうか? 私はこれらの執着を手放し、悪い考えを排除しようとしました。この過程で、私の心はますます清らかになり、法を読むときに干渉されることが少なくなりました。

 ある修煉者はかつて、執着や思想業力は瓶の中の汚いもののようなものだと言いました。コップの中に汚れたものを見つけたら、それを注ぎ出します。欠点を見つけたら、すぐにそれを取り除く必要があることを理解しています。師父は私たちが改善しようと決意しているのを見て、私たちを祝福し、ネガティブな物質を取り除くのを手伝ってくださるでしょう。しかし、修煉するにつれて、一層ずつ改善することしかできず、明日には何か悪いことが見つかるかもしれません。したがって、私たちはそれらを排除し続け、それを毎日続ける必要があります。最終的には、それらの悪い考え、思想業、観念、外部からの干渉はどんどん弱まっていきます。

 また、師父の教えが当分理解できないとしても、修煉者として、心から信じて受け入れるべきであることも理解しています。私は低次元の存在であり、宇宙の真理を完全に理解することはできません。しかし、法の中の一字一句、師父が私たちに教えてくださったすべてが佛法であり、私は何の疑いもなく信じなければなりません。

 法を勉強しているときに時々疑問に思うことがありますが、師父の教えを心から受け入れるまで、その部分の教えを繰り返し読みます。 これは法に対する信仰を継続的に強化する過程でもあり、新しい宇宙の基準に到達する過程でもあります。

 師父は『精進要旨』「迷信とは何か」の中に私たちにこう説かれました。

 「実は、そのいわゆる迷信という二文字は本来、このように用いられるべきものではなく、押し付けられた内涵も存在していません。迷信という二文字の言っていることは、悪いことではないのです。軍人が規律を迷信しなければ、戦闘力はありません。学生が学校と先生を迷信しなければ、知識を得られません。子供が自分の親を迷信しなければ、しつけることはできません。人々が自分の仕事を迷信しなければ、仕事をきちんとこなすことができません。人類に信仰がなければ道徳の規範はなくなり、それによって人心に善なる念がなくなり、邪念に占拠されます。この時の人類は道徳が急速に下落し、邪念の作用で周囲の人は、みな近い敵となり、私欲を満足させるためにあらゆる悪事をし尽くします。迷信の二文字にいわゆる否定的な意味を持たせたそれらの悪人は、自らの目的は達したものの、人間の本性から、人類を破壊してしまったのかもしれません」

 時々妨害や試練に遭遇したとき、私は「私はただ師父を信じているだけです」とはっきり言います。 私たちがこの数年間の大きな困難を乗り越えることができるのは、師父への確固たる意思の基盤がなければいけません。最後の時期に、純粋に師父に従い、より清らかな心で法を持って、人類世界を正す時期に入らなければなりません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/8/465063.html)
 
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