文/四川省の大法弟子
【明慧日本2024年8月18日】今年の6月中旬から、私は耳が聞こえづらくなり、日を追うごとに悪化しました。当時、私は師父がまた私の業を消してくださっているのだと思い、心の中で喜んでいました。以前、両耳から出血して痛みがあり、その後、聴力が非常に良くなった経験があったからです。
7月中旬になると、耳が全く聞こえなくなりました。三退(中共組織からの脱退)を勧める時も、相手の返答が聞こえず、知人や家族が話す時は大声で話さなければならず、私は年配者向けの携帯電話の音だけがかろうじて聞こえるという状態でした。私は、三退を勧める時に返答が聞こえない悩みを取り除いていただけるよう、師父にお願いしました。
私はまだ仕事をしており、管理や技術面で責任を担う以外に、調達業務も兼任しています。10年間の調達業務で、私は一切の不正をせず、会社や社会にも認められています。10年間にわたり人員を採用してきましたが、私は一切の贈り物も受け取りませんでした。
7月20日前後になっても、耳はまだ聞こえませんでしたが、私は動揺せずに師父と大法を信じていれば、必ずこの試練を乗り越えられると信じていました。ある日、新しい経文を学んでいると、師父が「この資金を他の目的ではなく迫害に反対するために使うなら、問題ないだろうと思ったのです。しかし、忘れてはいけないのは、大法弟子はいつになっても自分の道を正しく歩んではじめて問題が起こらなくなるのです」とおっしゃいました(『法難』)。その時、私の頭に「駐車料金」という言葉が浮かびました。
私たちの会社では、プロジェクトの料金基準に応じて給与が決まります。料金基準が高ければ給与も高く、低ければ給与も低くなります。低い給与の場合、仕事量が多く、報酬が少ないため、頻繁に人員の入れ替えがあり、欠員が多くなります。会社は積極性を高め、従業員の安定を図るために、多様な経営を奨励し、収入の30%を返還し、自主的に使えるようにしています。私は技術があり、管理もでき、また勤勉なため、一緒に働く仲間と共に、毎年会社に数万元の現金を還元しています。私たちが得たリベートは分配せず、集団の支出や昼食などに使っていました。仕事を効率よく進め、修煉を妨げないように、2140元を使って電動三輪車を購入し、1780元を支払い、駐車と充電費用に360元を使いました。
当時はこれが正しいことだと思っていましたが、実際にはこれは常人の理に過ぎません。修煉の基準に照らせば、これは便宜を図る心であり、修煉で取り除くべき心です。私はこの2140元を直ちに集団の帳簿に入れました。その瞬間、右耳の中でカカッという音が鳴り、聴力が回復しました。
さらに内に向けて探すと、数年前の残金5050元を見つけました。人員の入れ替えが激しかったため、ほとんどの人はこのお金に関係がなくなっていました。私はこれを90歳以上の農村の高齢者に1人400元、85歳以上には1人300元、障害者にも(労働能力を失った人には)1人300元を送りました。私は自らそれを配り「これは私たちの緑化部が節約したお金です」と話しました。また、他の人にお金を持って行ってもらう時には「これは緑化部が送ったものです」と言わせました。すべての人に言えたかどうかが問題です。調査の結果、お金は確かに渡されましたが、ほとんどの人が私に感謝していたという情報が返ってきました。残りの550元はすぐに集団の帳簿に入れました。
また、先天的な手足の障害を持つ見知らぬ人に1000元を渡し、同僚の入院している家族に300元と200元を渡しました。その後、私の家で何かをする時に、彼らが1500元を返してくれました。4500元と2140元を合わせて、合計8140元となりました。
この8140元を集団の帳簿に入れると、左右両耳から金属片のような音がして、両耳ともに聞こえるようになりました。しかし、左耳は話すと何かに遮られているような感じが残りました。
実際に送ったのは6000元で、大部分は私の技術で得たものですが、その中には労働力の部分も含まれています。そして、お金を受け取った人々の多くが、私が送ったものだと認識している可能性が高く、名誉も私が得たことになります。これもまた便宜を図る心の表れです。また、『轉法輪』の中の「異なる次元に異なる法あり」という意味をさらに理解しました。
これほど大きな漏れ、これほど大きな問題、これほど大きな執着心があり、これはどれだけ危険で、どれだけ恐ろしいことでしょうか! 師父がこの方法で私を啓示してくださらなかったら、私は本当に聴覚を失い、修煉できなくなっていたかもしれません。
師父は『目覚めなさい』の経文で「誰に対しても慈悲深く、愛の心を持ち、これは本当に普通の人にできることではありません。特にどのような場合でも、衆生を慈悲深く思う心で行動することはなおさら難しいのです。しかし、大法弟子は必ずこのようにしなければなりません!」とおっしゃっています。「古い学習者は今、このように行動しなければなりません。これはあなたの歴史的使命によって決められており、神聖なる大法弟子の修煉で必ずやり遂げなければならないことなのです!」
私は、師父が私のような鈍い弟子、悟性の低い弟子、慈悲の心が要求に達していない弟子を、上に引き上げてくださっているのだと悟りました! 良い行いをしなければ、円満成就できず、チャンスが永遠に失われてしまうのです!
これらを書いた目的は、私自身の不足をさらけ出し、執着を取り除き、勇猛精進するためです。善の心、愛の心を修め「無私無我」(『精進要旨』〈佛性に漏れなし〉)の正覚を修めることです! また、私と同じ問題を抱える同修たちを目覚めさせることでもあります。
私たちが共に精進し、師父の慈悲深い救いを無駄にしないように。