文/海外の大法弟子
【明慧日本2025年2月5日】(前文より続く)
4)常人に理解されず、「超常」を目指すことが「異常」になった
修煉者は、天を尊び神を信じ、神秘的な現象を経験することもあります。しかし、メディアは一般社会向けであり、彼らを救うのが目的で、報道内容は世の人々に誤解されたり、疑われたりしないように気を付けるべきです。さもなければ、世の人々から距離を置かれ、修煉者としての慈悲や善意、愛情を示すこともできません。
例えば、中国の天災や異常な天象に関する報道の中で神秘めいた表現を使いすぎると、証拠に基づいた報道ではなくなり、まるで神話小説を書いているかのような印象を与えます。その結果、読者から「客観性と理性を欠いている」と批判されることがあります。
一部の修煉者が長い間、仕事においても生活においても、外部との接触が少なく、ほとんど修煉者しかいない環境で暮らしているため、修煉者同士が使用する言葉でニュースを作って、上記のように読者の批判を招いたと思います。
もしかすると、そのような修煉者は私たち自身のメディアを活用して、ただ言いたいことを一方的に言い、読者が理解できるかどうかを考慮に入れていないのではありませんか。結局、「超常」を目指していますが「異常」になりました。メディアの信用を落とすだけでなく、読者を怒らせて、知らず知らずのうちに読者から遠ざかってしまうこともあります。
師父は『各地での説法九』「新唐人テレビ討論会での説法」の中で、「プロジェクト自体と事の進め方は世の人々が理解できるようなものでなければなりません。人間に理解されるのであって、神に理解されるのではありません。人間は表面のことしか見ておらず、人間は表面からしか問題を理解していないため、皆さんの表面形式は、必ず常人社会の表現と行為とが一致しなければなりません」と説いておられます。師父の教えを、私たちは真剣に受け止めなければなりません。
5)年数が経つと傲慢になり、レベルアップを拒む
メディア業界で長く働いていると、傲慢になりかねません。しかし、長期間にわたって専門能力を磨く意欲も努力もしなければ、いわゆる「長年の経験」は、かえって向上を妨げる「長年の枷」になりかねません。
長い間にわたって技術を向上させる努力もしたくない心理は、慈悲心が足りず安楽を求める心が強く、苦労を避けたい、人から指摘されたくない、自分を変えたくないが相手を変えたいなどという修煉の短所を露呈しており、改善すべきところです。
別の角度から考えると、もし私たちが高慢で、衆生を救うための専門技術を磨く努力もしたくなく、人々が最も理解しやすいやり方を学んで彼らを救う意欲も持たなければ、どうやって人々に大法の慈悲と智慧を証明するのでしょうか。
6)修煉と技能の専門化を対立させる
少数の同修は修煉と技能の専門化を別々に考え、両者は両立できないと見ています。つまり、修煉を重視すればメディアの仕事に必要な技能を向上させる時間がなく、技能を向上させようとすれば修煉を緩めがちになると考えて、それを理由に専門能力を向上させる努力をしません。しかし、それは認識の誤りです。
神韻芸術団は、舞踊や音楽の技術を磨くために、毎日、多くの時間と労力を費やしていますが、学法、煉功、心性を高めることも同じくらい重視して、どちらも疎かにしていません。メディア企業にも休む時間を削って、修煉と技能の向上を両立させている優れた記者、編集者、司会者は多くいます。
私の理解としては、修煉と技能の専門化は決して対立的な関係ではなく、修煉のレベルが高いほど、より多くの慈悲と悲願を持って専門技術を向上させて、苦労してでも衆生を救うために尽力できるということです。
7)中国共産党文化の汚染
多くの同修は海外に来て長年が経ちましたが、身に付いている中国共産党(以下、中共)文化の影響はまだ存在して、修煉と大法の仕事に何らかの妨げを及ぼしています。メディア企業や個人メディアでよく見られる表れを以下のようにまとめました。
第一に、粗雑な方法やリスクのある手法を使って速攻をかけ、将来、邪悪に悪用される種を埋めています。
第二に、アクセス数を増やすために、十分な証拠がないのに意図的に大げさに報道します。「証拠がある分だけ話す」というメディア業界の規範に反し、大法弟子のメディア企業の信頼性や個人メディアの信用を損ない、共産党文化の「偽り、誇張」の悪習を広めています。
第三に、メディアの発言権を過度に使用し、その責任を負いません。メディアは中共がとても重視するイデオロギー面の武器であるため、中共は独占的な発言権を利用して、敵と競争相手を恣意に攻撃しています。私たちのメディア企業も時には同じことをして、ニュース報道や番組で好ましくないことと人物(西洋諸国の政治家を含む)を批判し攻撃することがあります。あらゆる権力の背後にはそれに応じた責任があり、発言権の背後にも社会的責任と法的責任があります。また、そのようなやり方では大法修煉者としての慈悲と善意も持っていません。
3、法難を乗り越える中で自分をしっかり修める
ある同修は坐禅の時に天目で見た光景について話してくれました。それは、巨大な天体システムが崩壊し、火が広がり、崩れ落ちそうになっている中、師父の手が天体を下から支えておられるという光景でした。彼女が見たものはある種の啓示にすぎないかもしれませんが、それによって私は次の理解に至りました。師父は自らの体を用いてメディア企業、弟子たち、そしてすべての衆生のために今回の大災難を遮って、巨大な天体を守られました。私たち弟子は真剣に修煉し天体を修復することで、はじめて衆生と新しい宇宙を守る使命を果たせると思います。
そのため、私たちはまず心を正して、師父と大法を信じることが大切です。過去の「4.25」と「7.20」という大きな試練に臨む時と同じように、師父と大法への信念をしっかり守って、「いかなる心も動じなければ、全ての変動を制することができます」(『アメリカ中部法会での説法』)
そして私たちは自分自身を見つめ直し、大法の基準から外れている人心、執着、観念を正し、善と慈悲を広げ、自分の空間場を清めることです。そうするとはじめて仏光を広めて自分自身と衆生を救うことができます。
毎回の魔難は、修煉者の心性と境界を試すものだとはっきり理解することが必要です。メディア企業がこのような大きな魔難に遭った時、私たちの心はどうあるべきでしょうか。
最初にこのプロジェクトに参加した目的は何だったのか、今、日々の行動はその目的を持ち続けているのか、初心を貫いて修煉しているのか、他の隠された欲望や観念、執着が増えていないかを、どのプロジェクトに参加していても我々は自分自身に問いかける必要があると思います。
【後書き】米国会が「法輪功保護法案」を可決
少し前に、米国会は「法輪功保護法案」を可決しました。これは、アメリカが中国国民の人権を保護し、中共による反人類の迫害を止めるための大きな進歩ともいえます。しかし最近、メディアの仕事に従事する一部の修煉者は、この法案を使って法輪功を迫害する中共の官僚を罰して、中共の海外宣伝活動を追及することについて発言する時、闘争心、報復の心理、自己満足の歓喜心を明らかに帯びていて、適切ではないと私は感じています。
師父は『各地での説法十三』「二〇一四年サンフランシスコ法会での説法」で「迫害の中、皆さんは中共邪党を恨んでおり、機会があれば命がけで戦ってやりたいと思っています。このようにするに値しません」、「そうではありません。私は中共邪党と闘うようにと一度も言ったことはありません。そこまでするほどの相手ではありません」と述べておられます。
「中共邪党を打倒することは修煉の目的ではなく、大法弟子が修煉して圓満成就することこそ、修煉の最終目的です」(『精進要旨三』「きれいに片付ける」)。師父は以前から、大法弟子が邪悪な中共を解体することを目的としておられるわけではなく、修煉を完遂し衆生を救うことが我々の本当の使命だと説いておられます。新経文の「法難」と「目覚めなさい」では、修煉者の慈悲が足りないこと、人心が重く常人と混同していることを師父は何回も指摘しておられます。
以上は、現在の私の些細な理解に基づくものです。もし、大法に沿っていない部分があれば、同修の皆さんからのご指摘をお願いします。
(完)