文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月9日】19年前、私の故郷の「610オフィス」の職員が私が勤める大学に来ました。彼らには二つの目的がありました。一つ目は、休暇で私の所に来た妻を連れ帰り、洗脳クラスに入れること。二つ目は、私が彼らに協力しないことを私の勤務先に知らせて、圧力をかけることでした。妻が法輪功を修煉しているため、私は以前から妻の勤務先や故郷の「610オフィス」と何度もやり取りをしていました。その時、正念が足りず、一連の試練に対して人心と共産党文化に染まった思考で対応したので、良い結果になりませんでした。
それまで、私は勤務先に妻が法輪功を修煉していることや、故郷で起きたことを伝えていませんでした。「610オフィス」の職員の突然の訪問で、私が所在する学部の政治委員は大変腹を立てました。彼は、最も問題が起こりそうにない私から突然こんな大問題が引き起こるとは思ってもみませんでした。学部はこの件について何度も会議を開き、共産党に対する私の忠誠と政治的覚悟に問題があると批判しました。その時、私は在職しながら学部の推薦で他の大学で博士課程を学んでいました。
学部の政治委員は私に、将来のために妻と離婚すべきと提案しました。当時の状況は、嵐の前の暗雲が頭上でどんどん重くなるようで、私は言い表せないほどの大きな圧力に包まれました。しかし不思議にその時はあまり恐怖を感じず、何かの力が心の底にある善良な本性を守ってくれており、人生の重大な選択に直面していると感じました。
気付かないうちに19年が過ぎ、多くのことを経験しました。妻は1999年以前に法を得て修煉を始めており、当時私はまだ修煉をしていなかったものの、妻と一緒に大法関連の活動に参加することがよくありました。1999年7月、迫害が開始されてから、妻は何度も洗脳クラスに送られました。
博士課程で学んでいる間に私は佛教について研究して、深く考えた末に、最終的に法輪大法の修煉を選びました。これにより、人生には明確な指針があり、どんな困難にも迷わず、もし迷いの道に入ってもすぐに正しい道に戻ることができました。しかし残念なことに、妻は「洗脳クラス」を出てから、修煉を止めて佛教を信仰するようになりました。
大法修煉者にとって、人生で遭遇する様々な状況は師父が用意された修煉の環境となります。私が育った家庭は少し特殊で、実母は私が中学2年生の時に交通事故で亡くなり、私の上に体が弱い兄もいました。父は再婚して継母を迎え、継母には実子がおらず、後に妹を養子にしました。中学卒業後に進学せず、定職もない兄はずっと両親と同居しています。家族関係は長い間、微妙なバランスを保ってきました。この状況を改善したいと思ってもなかなか難しかったのです。結婚する時、妻の両親は私本人に対して何も意見がなかったものの、私の家族環境には不満を持っており、妻が私の家に嫁いだらきっと苦労すると心配していましたが、私たちが結婚する前に、妻の両親は亡くなりました。修煉を通じて、人生で起こるすべてが前世の因果関係と業によるものだと理解しました。
親が年を取るにつれて、両親に孝行をして法輪功の真相を伝えたいという思いは日に日に強くなりました。そこで、私は故郷で仕事を見つけて、両親と兄と同居することになりました。その時、妹は既に結婚して家を出ていました。皆を安心させるために、両親の財産を私は一文ももらわず、全て兄と妹に譲ると伝えました。しかし、家族に真相を伝えるのは簡単ではありませんでした。一つには、両親と兄が無神論者であり、共産党の文化や国内の偽情報に強く影響を受けていました。もう一つは、妻が地元で迫害されたことが家族に深い恐怖を与え、共産党に逆らうと無駄な苦労を招くとみんなが考えています。
2022年の終わりに、共産党のゼロコロナ政策が失敗に終わり、父がコロナに感染して病院に入りました。コロナとその合併症で亡くなる人が多く、薬不足と社会全体の恐怖が広がっています。継母が親戚の助言を聞いて「安宫牛黄丸」、「人血白蛋白」、「アジスロマイシン」を高額で入手しました。しかし父が飲んだ後、症状が悪化したので、私は何度も義母を説得して、やっと服用を中止させました。
父が退院後、私はリハビリ計画を作成しました。その中に脳トレーニングも含まれており、これは病院の老年科の専門家が特に強調していたことで、義母もそれを理解しています。それを機会に、父に毎日『轉法輪』を読んでもらおうと私は思っていました。しかし、試練がすぐにやってきました。最初に、妻が父に「阿弥陀佛」を唱えるよう強く勧め、私が法輪功の真相を父に伝えようとすると、妻はすぐに反対し、「法輪功は禁止されている」、「修煉したら逮捕される」と言い、「阿弥陀佛」は四文字で簡単で効果的だと主張しました。妨害があるものの、今は家で法輪功について堂々と話せるようになりました。以前は話題にすることすらできませんでした。義母は、「一人は『阿弥陀佛』が良いと言い、一人は『法輪大法』が良いと言うなら、お父さんがどちらを選ぶか見てみましょう」と言いました。
(続く)