文/フランスの青年大法弟子
【明慧日本2025年3月29日】私は音楽学院で学んでいる学生です。この機会を借りて、伝統への回帰に関する私の体験と感想を皆さんと共有したいと思います。
1. 科学と哲学への探求と追求
幼い頃から考えることが大好きで、自分はどんなことに直面しても、一番分かっているのは自分だと思っていました。それは、大法の修煉によって智慧が開かれ、色々なことがちょっと聞いただけで、すぐに理解できるようになったからだけではなく、法理への認識が不十分だったため、自分が絶対的な真理を見抜けると思い込んでいたからです。このため、他人が交流する際にもし彼らの見解が自分と異なっていたり、彼らが執着によって自分の欠点を隠していたりすると、心の中で密かに彼らを嘲笑してしまうことさえありました。
中学に進むと、学業や生活がうまくいかなくなったことで、ついに自分自身に疑問を持つようになりました。しかし、この疑念は法に対して、信じていないことに現れました。今振り返ると、それは正しい信念の欠如の一形態に過ぎませんでした。執着心に駆られて、興味や精力を無関係な科学理論に注ぎ込みました(実際には「近道を取る」という考えが働いていました)。しかし、それが生活に変化をもたらさないと分かると、焦って、心理学や哲学に目を向けました。カントからフロイトまで、6年間もの間、私は半端な理解で悩み続けました。党文化の「速攻」、「天と地と戦う」という思想や、歪んだ現代観念に苦しめられ、悲鳴を上げていました。
衝撃と変化
高校卒業時、状況に転機が訪れました。家族である同修の強い勧めで、九評編集部が発行した新書『悪魔が世界を統治している』を読み始め、自分の問題を再認識しました。かつて金科玉条として崇められていた啓蒙運動、人文主義、自由主義、フェミニズムなどの思想は、思考と心の修煉を続ける中で、その本質を露呈しました。私は考え始めました。この果てしない探究は一体何のためなのか? このような混乱し歪んだ環境の中で、私が学んでいる芸術にはどんな意味があるのでしょう?
この問題を明らかにするため、以前の書籍やノートを整理し、大量に法を学び始めました。師父はこのようにおっしゃっています。「皆さんはどこにおいても良い人になるべきなので、芸術という領域においても良い人になり、作品の中で美しいもの、正しいもの、純粋なもの、善なるものと光り輝くものを表現すべきです」(『音楽と美術創作会での説法』「美術創作研究会での説法」)
3、伝統への回帰
頭の中に根付いた思考方式を変えるため、『悪魔が世界を統治している』で引用されている肯定的な観点を書き留め、『四書』などの古代の著作を読み始めました。これにより、オーストリア経済学派が提唱する別の可能性や、体用、経権といった中国伝統の思考方式や方法を理解しました。
自分が頭角を現そうと感じた矢先、かつて経験したような無力感が再び現れました。それは、どんなに精緻な理論でも、その発展過程で自らでは動かせない限界が生じ、混沌とした泥沼に陥ってしまうということでした。最終的に私は、この一見乗り越えられない限界こそが、私の動揺する心によって引き起こされたものだと分かりました。自分の目に見えるものを真実とし、常人の理論の中に立脚点を見出そうとする執着心こそが、私の向上における最大の障壁だったのです。
師父はこのようにおっしゃいました。「探求も物質世界の中に限られており、一つの物事が認識されてからそれを研究するという方法を採っています。しかし、人類の空間で触れることも見ることもできなくても、客観的に存在し、確実に人類の現実の中に反映されてきた現象に対して、精神、信仰、神の言葉、神の奇跡を含めて、神を排除しているがゆえに従来から触れる勇気はありません」(『精進要旨』「論語」)
4、正統芸術の再認識
偶然の機会から、私はヨーロッパで留学生活を始め、西洋芸術に触れ学ぶ機会を得ました。西洋芸術を学んでいましたが、幼い頃から中華文化に対して切り離せない魅力を感じていました。漢字から詩歌、歴史から芸術まで、どの部分も中心の国という称号に恥じないものでした。そのため、東洋の文化は形式においても意図においても、西洋文化より優れていると考えていました。特に『悪魔が世界を統治している』という本を読んだ後、西洋文化に対して嫌悪感さえ抱くようになりました。しかし、西洋に来たのは西洋文化を学ぶためです。私は考えずにはいられませんでした。西洋芸術の価値は一体どこにあるのでしょうか?
神韻作品の会員になって初めて、これらはすべて私の分別心が働いていることに気づきました。真の問題は東洋と西洋の違いではなく、正統であるかどうかにあったのです。なぜなら、正統な文化とは、まず神が人間に伝えたものだからです。
振り返ってみると、自分の悟性がこれほど悪かったことに気づきました。師父が私のためにしてくださったすべてに、心から感謝するばかりです。