威徳を樹立して、円満に向かおう
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明慧日本】師父は何度も講法の中で威徳を樹立することについて述べておられます。以下に、私が自分自身で経験したことと結びつけながら、私の理解を述べたいと思います。 

 昨年10月頃、私の職場ではポストを巡る争いがあり、十数人が所長クラスの職務をかけて争っていました。そしてわたしは職員代表として投票に参加しました。投票の前には私はこのような活動に対して反感を持っており、全てのことは定められていることであると思っていたので、私の時間をこんなことに浪費する必要はないと思っていました。投票に行って、数人の人の報告を聞いて、突然、私がこれに参加するのは偶然ではなく、師父が法の何かの面においてレベルアップできるように按配してくれているのだと思いました。その時に競争に参加していた人の報告の中にとても重要な部分があり、それは各自がこの数年の仕事の中で何をして、どの程度の成績を取得したかについてです。そして今回の投票の結果、業務成績が突出していて、群衆に良い印象を与えた、人格が高潔で名声が高い人が当選しました。その時私が思ったことは、常人の中で昇進するにしても徳と業務成績が重視されますが、私たち大法の学習者は一人の常人からあのような高い境地にある神に上り詰めなければならないのですから、偉大な威徳がなくてはならないということです。 

  私はまた、ある学習者からある事実を聞いたことがあります。それは、いつもの法の学習や煉功においてはさぼることがないのですが、99年7月以降には大法のために出てきて何かをすることがなかった学習者のことです。ある日彼は夢を見ました。夢では、大法の学習者が大喜びで天に昇っていきました。それぞれの学習者は全員がかごを持っていて、かごの中には輝きで目がくらむほどの宝物がびっしり入っていました。しかし彼はからっぽのかごを持って地上に立っていました。その時彼はとても悲しくなり、目が覚めた後、彼は悟りました。あの大法の学習者たちは大法のために様々な良い事、しかも全て偉大で輝かしいことをしたのに、私は何もしていない。だからかごがからっぽだったのだ。それから彼はすぐに法を広め真実を説明する大きな流れに身を投じました。 

 以上のことから私が悟ったのは、威徳は修煉者の円満に対してとても重要な作用を及ぼすものであるということです。これはまさに師父が「生命は表面まで突破しつつ、徐々に神様になるという過程に、自分が支払った代価、絶え間ない向上、威徳の樹立がなければいけません。」(李洪志先生の北アメリカ五大湖地区交流会における説法)とおっしゃっていた通りです。それではこの作用をどの様に理解すればよいのでしょうか。私はこのように悟りました。「転法輪」の中では師父が私たちに「徳が直接功に演化できる」とおっしゃっています。そして功の高さが次元の高さです。心性を高めることは、心性の高さが功の高さですから、極めて重要であります。しかし、功に演化できる十分な徳があるかどうかもとても重要なことです。私たち大法学習者が円満に至った後の次元は全て非常に高く、それに応じた功も非常に高いです。私たち自身の現在の徳だけでは足りず、必ず大法に同化しなければなりません。徐々に大法の一粒子となっていく過程で自分の威徳を修めていき、そして法を正す過程で、私たち大法学習者が大法を証明するために現在行っている全ての事が威徳を樹立しているのです。なぜなら大法を証明すること や、大法に円融することは最も偉大で、殊勝で、難しいことだからです。それというのも大法は宇宙を作る根本だからです。 

 師父は、この宇宙は法によって構成されたものであり、この宇宙の大きさだけ、法の大きさがあるとおっしゃったことがあります。そして私たちはこんなに大きな法のために仕事をしているのだから、全宇宙のために良いことをしているのに等しく、天ほど大きい良いことでもってしても表し尽くせません。大法を証明するために真実を説明し、ただ一言「法輪大法は良い」と言い、一枚の真相のチラシを配るだけでも、功徳無量なことです。なぜなら大法は最も偉大だからです。これはまさに師父が「今のことがただのたいしたことのない試練だとは思わないでください。実はこの上なく偉大なのです。皆さんは法を証明しているからです。皆さんは最も困難の時期にしたからです。一部のことは常人がやっていることのように見えますが、常人は私利のため、常人の目的のためにしていますが、皆さんは大法のためにしています。立脚点が違います。」(李洪志先生の北アメリカ五大湖地区交流会における説法)とおっしゃっているとおりです。そして私たちが現在法を証明することもとても難しいことです。これもまさに師父が「私は皆さんが非常に苦労しているのを知っています。仕事も勉強もしなければなりませんし、また家 庭生活や、社会活動もあり、同時に家の面倒も見ながら仕事をきちんとしなければなりません。更に法もよく勉強し、煉功し、また真相をも伝えなければなりません。難しいのです!時間的にも経済的にも結構、難しいのです。難しいからこそ、威徳を体現出来るのです。難しいからこそ、威徳を樹立する良い機会なのです。」(2001年カナダ法輪大法修煉体験交流大会における説法)とおっしゃっているとおりです。 

 私は、威徳を樹立することはさらに、修煉過程において、あらゆる次元それぞれに欠けている借りのバランスをとることができるという重要な作用があると悟りました。修煉者は大抵殺生をしたことがあり、たとえひたすら業力を返したとしても返し切れません。そこで師父が、修煉者が円満した後に得る福を使ってこれらの生命に報いるよう按配してくださったのです。これらの福も威徳から出てくるものです。さらに、神への借りも大法のために行ったことを通じて樹立した威徳から返すことができます。師父は「善悪已明」の中で私たちに「衆生は魔と変じ災い窮り無し、大法は乱れた世の中を救度せんとするも」とおっしゃっています。今回の法を正すことにおいて、宇宙の衆生が皆救いと済度を得たのです。そして私たち大法学習者は大法を証明するためこんなにたくさんのことをしましたが、それも間接的に宇宙の衆生のためにたくさんの良いことをしたに等しいのです。 

 私はネットでたくさんの学習者が正念を発することによって邪悪の迫害を抑えることを見ました。私は常人の背後に潜む邪悪を除去する他に、自分の神の一面によって、法を正すことを通じて樹立した威徳で業力を除去することもとても重要な要素であると思います。

 これらから、大法の学習者が正法期間において法を証明することを通じて威徳を樹立することは、師父が私たちの円満のために早くから按配してくださっていた得難いチャンスであり、円満にとって欠くべからざる一歩です。しかし家にこもって出てこない学習者はこの威徳を樹立する機会を失っており、円満など話になりません。私たちは時間を大切にして各自の威徳を樹立し、師父の苦度を無駄にしないようにしましょう。 

  以上は個人的な体得です。足らないところがあればご指摘ください。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2001/8/14/14726.html)     更新日:2012年1月14日
 
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