悪を取り除くことについて
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 【明慧日本】法を正すことの進展の中で、一部の旧勢力は宇宙特性から離れた按排に固守して法を正すことを妨害し、人を操って大法と大法弟子を迫害させています。私達大法弟子は正法を修煉しているので、佛道神のように、宇宙の中の全ての正の要素に対して責任を持たなければなりません。従って、法を正すことを破壊する邪悪に対して、断固として徹底的に取り除きます。師父は『大法弟子の正念は威力あるものである』の中で「悪を取り除くことは法を正していることで、世人と衆生を済度していることでもあるのです。」とおっしゃいました。実は、悪を取り除くことは救いようがないほど悪くなった生命に対する慈悲でもあります。

 法を正す按排は非常に調和のとれたもので、いま取り除こうとするのは大法を破壊することに参与した生命で、その他の一部の生命は、悪くなった、あるいはとても凶悪になったとしても、いま大法を破壊することに参与していないかぎり、法を正す時期に取り除く対象ではありません。それは将来法が人を正す時期に解決すべき問題です。

 大法弟子が悪を取り除くことは完全に純粋な善に由来し、大法、衆生、および自分の修煉に責任を負うためです。近頃、一部の学習者は生活の中で、社会の中で出遭ったトラブルと抵抗をすべて魔とみなし、念を発して取り除こうとしていますが、個人修煉にとって必須である内に向けて探すこと、心性を高めることを疎かにしています。このような心は魔に利用されやすいだけでなく、大法の名声を破壊し、法を正す按排をも妨害してしまいます。師父は『二〇〇一年カナダ法輪大法法会での説法』の中で「しかし、もし修煉者がやるべきではないことに使えば利きません。しかも、その念が発されるとすぐに報いがあり、或いは次元が落ちてしまいます。」とおっしゃいました。

 私達が法を正す中で歩んだどの一歩も、すべて未来の歴史の参照になる可能性があるので、大法弟子ははっきりと目覚め、法の上で法を認識し、正念を用いて、善の念ですべてのことを扱い、衆生に慈悲であらねばなりません。

明慧編集部     
2001年11月28日   

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2001/11/30/20667.html)
(English: http://en.minghui.org/emh/articles/2001/11/30/16375.html)
 
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