(明慧日本)2002年1月22日、中央テレビの《焦点訪談》という番組は天安門焼身自殺事件の7人に対して取材し、あの驚くべき一幕をまたもや思い出させた。しかし今度の手口は前回よりも卑劣で、もし皆さんが当時の《焦点訪談》について覚えていれば、今回の番組はさらにいろんなボロが出ていると分かるだろう。
まず、王進東について:
今回の取材で、我々は今の王進東の近況を知ることができる。彼は去年、天安門の当時の王進東とあまりにも違っていた。
手: 去年の王は手が印を結んでおり、地上に据わっていた(印と姿勢は全く合っていなかった)。両足の間にはペットボトルぐらいの隙間があり、印は間違っていた。また、彼の手の反応はやく、自由に動けた。とくに、彼が絨毯をはじく時、その手の反応と行動をみて、彼の手の火傷は重くなかったことがうかがわせる。
今年の王進東は両手重度の火傷を負っており、動作は全くできず、記者がわざわざ王を撮影し、王と握手をする時、王の十本の指は全部火傷しており、今回はじめて握手ができた。しかも記者は「前会った時は握手できなかったな」と言った。王の火傷の重さを証明するためか、記者は王自身の経歴を書き下ろそうと、撮影をした。王の両手に程度の違った火傷痕があり、去年自由に動けた王の手とはあまりにも異なっている。
顔: 去年、劉思影が火傷をした後、《焦点訪談》の特写では彼女の顔は黒く焼かれ、顔は重い火傷を負った。それに対して、王の顔は灰色で、つるつるとしていて、明らかな火傷はなかった。王が消防用絨毯をはじくとき、非常に楽で、火傷後の苦痛な表情はなかった。今年の王は顔に大きな火傷跡が残って、鼻の形も崩れて、とても去年の王と同じ人と思えない。
髪: 去年、王が座っていたとき、頭前半はつるつるで、頭の後半部にあつい髪があった。あたかもかつらを被ったようで、ものすごい火なのに、顔や服がやけどしたようだが、髪は全然無傷だった。今日の王の顔には大面積な火傷で唇さえうまく動けなく、鼻の形も崩れたが、髪は異常によく、整然して髪角もはっきりしている。これは彼の顔の火傷とあまりに大きく対照的だった。去年の火はそんなに大人しく、顔だけを焼いて、髪にはまったく手をつけないのか? 人の髪は一番燃えやすいことは周知の常識である。王の髪になにか細工しなければ、今日まで残せるだろうか?
耳: みなさん注意して見てください、去年地面に座っていた王の耳は丸く、今日の王の耳は長い。去年の王はいったい誰だろう? 公安部のおとり?
次に陳果について:
《焦点訪談》を見てから、我々は当日の夜、中央音楽学院に一番近い修煉者に陳果の状況を聞 いた。この修煉者の話によると、彼自身は1995年秋から煉功して、音楽学院の大法弟子はみなそこで煉功していたが、陳と同じ寮に住んでいた張倩はよく煉功に参加しに来たが、陳と会ったことは一度もなかった。それに、張は勉強会にも参加したが、陳は全く顔を出したことはなかった。更に、この修煉者は去年の4,5月、中央テレビ《焦点訪談》番組による転化された法輪功の元学習者に対する取材の中で、張倩の姿を見たと話した。張は石家荘で捕まえられて、強制されて自分の信仰を放棄したのだ。取材の中で、張は記者に向かって、「私は陳果になにを学んでいるかと聞かれとき、私は「法輪功」と言った。陳果はまた「良いのか?」と聞いたが、私は「良いよ!」と答えた。」と話したようだ。張の話によると、陳は結局しばらく習ってからすぐやめたそうだ。しかも張は陳と同じ寮で同じ部屋で数年も一緒で、陳が煉功したことは一度も見なかったという。それによって、陳は本当に法輪功学習者だといえるだろうか?
この2年間江沢民集団の法輪功に対する弾圧を振り返ってみると、結果は彼らの予想に反して、2年の間、法輪功は世界中に普及し、世界の善良な人々の支持と援助が得られた。また、中国大陸ですべでの情報が閉鎖されているという今の状況にしても、群衆はもはや法輪功に対して正しい認識を持つようになっている。去年の焼身自殺事件の後、町中で法輪功がいかに怖いといううわさが飛び混じっていたが、我々が全面的に真相を伝えることによって、傳怡彬殺人事件が出たとき、人々はすでに法輪功に対して正面的に理解できて、多くの人が「傳怡彬自身はただの精神病人だ」と言った。