明慧法会|執着を放下したら、私はこの上なく幸せになった(二)
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 【明慧日本2012225日】

 二、正念をもって衆生を救い済度する

 2000年秋のある日、朝早く食事を済ませた私は自転車に乗って近くの農村に真相を伝えに行きました。人々に大法のすばらしさを広め、そして共産党による法輪功への迫害の真相を伝えたことで、一部の人が真相を知るようになりました。このようにいくつかの村を回っていくうち、昼前になりました。ひとりの80代の女性と会いました。この年配の女性は仏教を信じていたので、真相を伝えると私のことを「生き菩薩」と呼ぶようになり、どうしても家でご飯をご馳走したいといいました。迷惑をかけてはならないと思って拒みましたが、ずっと後を付いてくるので彼女の家でうどんを食べました。出る前に食事代も残しました。

 午後になってからも、私は引き続き村を回って真相を伝えました。空が暗くなってから家に戻る道で二人の小学生と会いました。会った人は皆縁の有る人だと思った私は子供たちに法輪功がどれほど良いのか、真忍に基づいて行動すること、先生、同級生両親どのように接するのかなどを話しました。下校の時間だったでしょう、ちょうどこのさらに何名かの小学生が寄ってきて、話を聞いていました。すべて説明したあと、遠く離れていても小学生たちが「法輪功はすばらしい」とずっと大きな声で話しているのが聞こえてきました。村を出ても子供たちが大きな声で「法輪功がすばらしい」と叫んでいるのが聞こえました。

 外が暗くなりましたが、私の心はずっと明るく、師父のご恩と衆生が救われることへの喜びで満ちています。家まではあと20キロ離れていますが、師父のご加持のもとで、自転車に乗っている私は軽やかに帰宅しました。

 またある日、昼間に農村で真相資料を配布し、真相を伝え、人のいないところは資料を入り口においていきました。ある屋敷の前に来ると、遠くから「何の資料を配っての?」と聞かれました。一戸ずつ配っていくうち、質問した屋敷の人の家に近づくにつれて、この屋敷には配るべきだろうかと思いましたが、冷静に考えてみると、やはり救わなければいけないので配ることにしました。そこで私は先ほど自分に質問した人に法輪功の真相を伝えました。真相を伝えると、屋敷の中で仕事をしている人がどうやらずっと入り口近くで話している内容を聞いていたので、「なるほど、ずっと干ばつが続いているのは国のリーダー徳がないからか」と声が聞こえてきました。今のような時勢でも、このように考えられる人がまだいるんだと私は思いました。

 私は人々に真相資料を配布しましたが、赤ちゃんを抱っこしていた女性は字が読めないのでいらないと言いました。この時、仕事をしている人たちに入ってきて、私にも私にもと、争うように資料を手に取りました。屋根で仕事をしている人も、一枚くれ!」となくなること心配しているように叫んできました。これを見て、先ほどいらないといった女性も、には学校を通っている学生がいるので、私にも一枚ください、と言ってきました。

 農村の方は非常に素朴です。真相を知った人々は私に感謝し、まるで親友のように普段の生活の大変さを語ってくれた上、木から熟した新鮮な果物をとって食べさせ、さらに暖かいお茶も持ってくれました。ある中年の女性は私にご飯を食べにきてと誘いました。「遠くからわざわざ来たので、もうお昼になりますから私の家でご飯でも召し上がってからでないと本当に申し訳ないわ」とまで言ってくれました。その後、私は村の幹部とも会いました。幹部の方は真相を知るようになってから、嬉しそうに「村のことなら私に任せてください。全員の状況分かっていますから。一緒に行きましょう。話を聞かない人がいたら説得してあげますから」「共産党はもういらない」と言ってくれました。

 真相を伝えることで、資料を配布することや口頭で伝えること難しいことではなく、衆生真相を待っていることを実感しました。私たちは救われることを待っている衆生の期待を裏切ってはなりません。

 真相を伝える中で、反対する人や理解してくれない人とも出会います。しかし絶対に説得できないとは限りません。師父と法があるからです。たとえば、ある屋敷に資料を配布してからそこから50メートルほど離れると、後ろから中年女性が大きな声で私に向かって「内にモノを入れたのは誰?」と叫びました。私は正念を発しながら近寄ると、彼女は「これあんたが配ったでしょ? これ?」と言いました。「はい。私が配ったのです。法輪功の資料です。見るときっと良いことがありますよ」と言いました。それを聞いた彼女は表情を変えて「まだこんなもんを配っている?! 私後ろに警官がいるよ。知ったらあんた捕まるよ」と言いました。それを聞いた私は「あなたは本当にいい人ですね。知らない私のことを心配してくれて本当にありがとう。あなたのような良い人はきっと果報がきますよ」と、話題を変えて話を進めました。彼女の表情も曇りから晴れに変わり、嬉しそうに「ありがとう」と言って家に戻りました。

 またある同修と一緒に「神韻公演」のDVDを配っている、酔っ男性に突然DVDが入ったバッグをつかまれ、「マルチ商法やるな」と言われました。私はとっさの出来事に反応しきれず「無料ですよ」と言いましたが、「無料でもだめだ」とこの男性は片手で携帯を取り出して通報しようとしました。落ち着いた私は心の中で師父のご加護を正念で求めました。そこに村人が集まってきて男性に「あんたと関係ないでしょ?」「ほらお二人は早く帰りなさい」というように助けてくれました。さらに、3名の男性の村人が私たちを心配しているかのように、村を出る直前までずっと送ってくれました。

 十年に及法を実証する道の中で、同修が私にお願いしたことであり、かつ法を実証し衆生を救うことであれば、地元であっても、他の地区のことであっても、どんなに危険そうに見えても、私は極力参加してきました。しかし言い換えれば、私がやったことは一つもありません。師父と法がなければ、私に何かできるのでしょうか? すべては師父が按配してくださました。後は私が正念をもって行うだけです。実際は師父が行っているのです。

 資料を作るとき、解決できない技術的な問題に遭うと、助けを求める相手もいないので、心で師父に助けを求めます。このようにして、得てして問題はおのずと解決されます。

 報告は以上とさせて頂きます。これまでの中国本土の明慧法会ずっと参加していなかったのは、自分がよくできていないので、書こうとしなかったからです。しかし今回私が悟ったのは、自分の修煉ができたかどうかではなく、大法を実証しようとする気持ちがなかったのが原因だと分かりました。明慧ネットによる法会は師父が按配したものであり、それを円融する義務があると私は感じました。切磋琢磨という形式は師父が大法弟子に残してくださったものであり、全身全霊でそれを受け入れなければならないので、この修煉体験を書きました。

 法に符合しないところがあればご指摘お願いします。

 慈悲で偉大なる師父に感謝します。同修の皆さんに感謝します。

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/13/248934.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/28/129733.html)     更新日:2012年2月28日
 
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