絶縁した親子が法輪大法と出会って和解した
■ 印刷版
 

 明慧日本2012224私は警察官です。法輪大法と出会ったお陰で、私は縁を切った父親と和解することができ、仲直りすることが出来ました。

 19961月、母は病気で亡くなりました。父は田舎の獣医で、仕事のために外出して殆ど家にいませんでした。そのため、家に残され私たち兄弟3人は、とても寂しい思いをしていました。やがて、私は専門学校に合格し、家から出ました。12歳の妹は家事をしなければならないので、学校に行くのを止めてしまいました。

 しかし私が在学中に、父は同じ村に住む未亡人に誘惑されて、まったく帰宅しなくなりました。私たち兄弟は父に「家に帰るように」と何度勧めても、帰って来てくれませんでした。その後、親戚の年長者が親戚たちを召集して、父を説得しましたが、依然として父は帰る気がありませんでした。やがて、父は未亡人と同棲し、私たち兄弟は恥ずかしくて、の前で頭が上がらなかったのです。私は就職して自立できるようになったので、父と縁を切ることにしました。

 風紀を乱し父は、近隣の村でも有名になりました。人々は父に対して「魔女に心を取られた」とか「恥知らず」などと言って批判しましたが、父は相変わらず未亡人と離れませんでした。しかし、善悪には応報の道理があります。20044月、父は夜道を歩いているとき、崖から落ちて尾骨を折り、数カ月間、未亡人に介護してもらいました。しかし、なかなか回復できない父は、杖をついて歩くことしかできず、未亡人に追い出されました。

 その後、父は村の獣医病院で苦しい生活を1人で送っていました。人の話によると父は数回、自殺を図ろうとし同僚に止められたそうです。父の可哀想な姿を見て、多くの人が「お父さんをあなたの家に入れたら」と私に言いに来ましたが、私は恥ずかしさと情けなさで、どうしても父を許すことができず、父を受け入れることが出来ませんでした。

 数カ月後、父の病状はますます重くなり、周りの人たちは父に同情し、私を非難しました。私はとても迷いましたが父を引き取る気になれませんでした。そのとき、法輪大法を修煉している親戚が、人生の因縁関係や人間が生きる目的などを話してくれました。また、その親戚は「『真・善・忍』の原則に従うと良い未来がある」などと教えてくれました。そして、私に『転法輪』を持ってきて「読むように」と勧めてくれました。

 私は『転法輪』をまじめに拝読し、心が明るくなりました。私は「自分と父との関係は業力がもたらしたものだ」と悟りました。そして、私と父の縁について「もし、今世で父との悪縁を解決できなければ、いっそう業力が増えるかもしれない。きっと来世でいっそう大きな悪報に遭うだろう」と考えました。そこで私は妻を説得し、父を家に迎えることにしました。 

 その後、その親戚は父に法輪大法の素晴らしさを伝えました。そして、私たち親子は「三退」しました。父はいつも「法輪大法は素晴らしい!」、「真・善・忍は素晴らしい!」と言っています。その後、父は少し後遺症があるものの、殆ど正常な体に戻り、獣医の仕事も再開しました。収入が増えた父は、2006年に私が家を購入するとき、1万元をくれました。現在、私たち一家は幸せな生活を送っています。

 去年121日、私は父を連れて市の病院に体の検査に行きました。帰り道、運転手が障害物を避けたとき、突然車の制御がきかなくなり、排水溝に突っ込んでしまいました。車の前輪のタイヤが破裂し、車は排水溝にはまってしまいました。もし車がさらに3メートルほど前進していたなら、きっと電柱にぶつかっていたでしょう…。しかし、この事故で車は変形しましたが、運転手と私たちは傷一つ負いませんでした。その後、私と父は「法輪大法私たちを守ってくださった」と同じことを言いました

 私は法輪大法の修煉の道にまだ入っていませんが、法輪大法と出会い、いつも「真・善・忍」の原則に従って己を律しています。これからもできる限り、大法弟子を守りたいと思っています。今日、私が幸せな生活を送れるのは、法輪大法の師父のおかげだと思っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/2/20/253286.html)     更新日:2012年2月25日
 
関連文章