「師父の慈悲を大切に」―ある旧い学習者の心の声
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 文/金銘

 【明慧日本2012314日】私は14年前に法を得た旧い学習者ですが、歩んできた道を振り返るとき、本当に赤面してしまいます。1999年「7.20」以降、大法を守るために北京に陳情に行った私は不法に拘禁され、電気ショックを加えられたり、手錠をかけられて吊るされるなどの拷問を受けました。精神病院と洗脳班に入れられ、最後に私は邪悪な迫害に耐えられず本心に背いて屈服してしまいました。2003年に出所した私はずっと路頭に迷い、安定して住む場所もなく、生活も問題になりました。数年来、私はずっと三つのこと」を行ない、常人と顔を合わせて真相を伝えることも続けていますが、どうして私の身に奇跡が起こらないのかと、自分の修煉に疑問を抱えていました。

 どうすれば師父が按排してくださった道を歩むことができるのか、師父が按排してくださった道はいったいどこにあるのかと、私は冷静に自分の修煉を考え、数え切れないほど心の中で自分に問いかけ、「師父、師父!」と呼んでいました。私は心身ともに疲れはて、外に出かけて衆生に真相を伝える時以外、ずっと意気消沈の状態でした。『転法輪』を9回も丸暗記しても、私は自分の問題点を見つけることができませんでした。私は真に修煉する大法弟子になりたかったのです!

 師父の慈悲に感謝します! 師父の按排のおかげで私は答えを見つけることができました。14年来、私は着実に自分を修めていなかったのです! どのように心性を修めるか、どのように執着心を除くのか、どのように自分のすべてを大法に照らせばよいかを、私はずっと分かっていませんでした! 

 それが分かった振り返って過去の自分を思い出すと、本当に悲しくてかわいそうで、また笑いたいのです。ぼんやりと10数年も修煉して、修煉が終わる日に師父について天国に戻ろうと思っていました。毎日作った業はとり除いた業よりも多いのです。例を挙げますと、大法書籍を作る時に師父の写真を随意に本の中に入れる、『オーストラリアの学習者への説法』のビデオを加工する、明慧ネットに載っていない発正念の音楽を広げる、自分が悟ったことを師父からの教えだと嘘をつく、頭の中に偶然に現れた言葉や道理を師父の教えだと思いそれを崇拝して信じる(つまりその言葉や道理を「師父」として尊ぶ、それはきわめて危険なことです)、法理がはっきり分からない、同修のために消耗品を買う時にこっそり自分のポケットにお金を入れる、闘争心、言い争い、嫉妬心、歓喜心、顕示心、尊大、自己満足、他の同修より優れているという思い、自分の評価を高めようとする心、常に自分をアピールしたい心、好奇心、自分と関係ないことでも聞きたい・話したい・分析したい・伝え広げたい心、貪欲、名利心、色欲の心、求める心、私心、濡れ衣を着せられることを恐れる心、思いやりの不足、相手を尊重しない心、自分と異なる意見を聞き入れない心、責任感が薄いところ、「真でない・善でない・忍でない」ところ、師父と大法を尊敬しないところ、などなど。

 本当に師父と大法に申し訳なく、同修にも自分自身にも申し訳なく、自分に期待する衆生にも申し訳ないのです。師父よ、私は間違っていました、これから必ずよく自分を修めて、師父が按排してくださった道を歩みます。

 今、問題に遭うと、私は内に向けて探すことができるようになりました。同修との間に何かトラブルが起きたら、これは自分を高める機会だと思って、『洪吟三』「弁解しない」の「弁解したいほど心が重い」を思い出し、私は弁解を止めて内に向けて自分の執着心を探します。濡れ衣を着せられることを恐れる心、弁解したい心、闘争心、相手に頭を下げない心、悔しいと思う心、不平不満をポロリと話したい心、などなど。すべての執着心を暴露して、それを取り除きます。相手の執着心を見つけたらすぐに「自分も同じような執着を抱えているのではないか」と意識します。執着を一つ一つ除去して、師父が按排してくださる執着心を取り除く機会を大切にして、衆生と同修に対して慈悲心を持ち、真に修める弟子となり、師父について早く天国の家に帰りたいのです!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/18/250704.html)     更新日:2012年3月15日
 
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