文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2012年3月13日】体験談について、私はしたことが良いか悪いかなどの個人修煉の報告のようなことはしません。私たちは法を正す時期の大法弟子として、無条件に師父の望まれたことを圓容し、従うしかないのです。
法を得て生まれ変わる
私は1998年から修煉を始めた古い大法弟子です。当時の私は、どん底に陥ったかのように、体の調子が極めて悪く、生きるだけで精一杯でした。子供は小さく、夫は外に愛人がいて私を憎み、家族のことにまったく責任を持ちませんでした。家に借金があるため、姑に勧められて家を売りました。売ってからは金を持って姑の家に住みましたが、しばらくして金を使い切ると、罵られて追い払われました。金もなく、家もなく、子供を連れて大変苦しかったのです。
病気があったため、薬をへたに飲むとアレルギーになりました。1986年ごろから私は、いろいろな気功にチャレンジしました。何もわからずに、人のために病気を治してあげたりしたので、自分の体がますます悪くなりました。体重は40キロもなく、採血すら困難でした。1998年、勤め先の会社は火事で全焼し、仕事ができなくなりました。ちょうどその頃、人が座布団を持って煉功に行くのを見て、私も参加しました。それから、運命が変わりました。私は法輪大法の修煉を固く堅持していこうと思いました。
修煉者はかならず学法しなければならない
1999年10月、私は陳情するため上京しました。このため、会社を解雇され、警察に3カ月間監禁されました。2001年元旦、私は再度上京しに行きました。当時検問が厳しくて、車ごとに1人ずつ調べられましたが、私の番が来ると、まるで見えていないかのように通り過ぎることが出来ました。師父のご加護のもとで、私は天安門広場でみごとに「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を開いて世人に見せました。労働教養を受けていた1年間、私は毎日法を暗唱して、邪悪の言うことを聞かないようにしました。他の数人が転向したことにも影響されずに無事に出る事ができました。
出てはきましたが、修煉のことに関して、自分の執着心を探すことが分からなかったため、資料拠点で再度連行され、労働教養3年を科されました。苦しい拷問を受けましたが、師父と大法を信じて、邪悪に抗議しました。私はどこに行っても法を暗唱しており、労働教養所では多くの同修が本を持っていなかったため、私は暗唱して聞かせてあげました。そのため、私は厳しく拷問、虐待されて、1カ月刑期を延長されました。しかし、私の暗唱した法を聞いて、たくさんの同修は法理が分かり、正念が強い一部の人は見事に外に出る事ができました。 修煉者が学法し、法を覚えていれば落ち着くことができます。
真相を伝え、衆生を済度する
最初、同修が真相を伝えるのを私は遠いところから見守るだけで、とても恐れていました。恐怖心が強かったのですが、学法を通じて、大法弟子の使命はここにあると分かりました。その後、次第に同修に協力して真相を伝えるようになりました。真相を伝えることを通じて、私は恐怖心などのたくさんの執着心をなくして、慈悲になり、今は1日に20~30人を「三退」させることもあります。
ある日、私は同修と一緒に、田舎からでてきた6人に会いました。真相を伝えると皆は嬉しそうに私が勧めた名前で全員三退し、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。ある日80歳の老人に真相を伝えると、老人は涙をこぼして、私からもらったDVDを持ったまま、遠くまで見送ってくれました。
大雪の冬、私は同修と一緒に遠くの小麦粉を売る商店に行きました。店主の態度は悪く、外に押し出そうとしました。同修が一足外にでて、一足中に立ったまま30分ほど話しました。最後に、相手は涙を流して、私たちを中に誘い入れ、資料を受け取りました。その日、私は突然わかりました。慈悲に慈悲を重ねることで、衆生はみな救われるのです。
(続く)