文/香港の大法弟子
【明慧日本2012年4月11日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私は香港の大法弟子です。法を正す時期の自分の修煉体験を皆さんと分かち合う機会を頂き、師父と同修の皆さんに感謝します。不適切な部分がありましたら、ぜひ慈悲なるご指摘をお願いします。
私は美術の教師でしたが、健康状態があまり思わしくないので、早期退職をしました。1998年に大法に出会い、十数年来の修煉により、私は病が多くひ弱な女性から、自信を持って責任を全うする大法弟子に変わりました。
慈悲を持って衆生を救う
私が法を得て間もなく、邪悪による法輪功への迫害が始まりました。私は参加した初めての法を実証する活動は、新華社通信(後に「中聯弁」に改名)の前でのことでした。香港生まれの私は、自由で心地よい環境の中で育ちました。突然の天地を覆い尽くすような邪悪によるこの迫害を前に、私は戸惑いを覚えました。ただ、私は大法の素晴らしさを知っているので、大法を保護しなければならないと決心しました。
最初の頃、私は多くの苦労を嘗め、多くの関を乗り越えてきました。市民の不理解、家族の圧力を受け、時には野宿もしなければなりませんでしたが、私は大法に対する堅い信念を持って修煉の道を歩んできました。私は時々刻々、師父の「法を良く学ぶ」という教えを銘記し、精神統一して法を学び、一日一講から毎日三講を勉強するようになりました。学法及び煉功の時、私は雑念が少なく、ほぼ入静出来ました。師父の加持の下、私は大法の中で成長してきました。
時間が経つにつれ、私はもっと大きな関に遭遇するようになりました。ある日、煉功点の指導員に毎朝6時に必ず煉功点に着くようにと告げられましたが、私は気にとめませんでした。何故なら、私の家は煉功点から遠く離れ、始発のバスは5時半からしか出ないので、到底6時には煉功が行われる公園に着けないと思いました。しかしその後、何度も指導員に同じことを促され、私はイライラしてきて、他の煉功点に移ろうとも思いました。ある日突然、私は自分が内に向けて探さず、人の事ばかり指摘している事に気付きました。私は本当に朝6時に公園に着けませんか? 香港には夜間バスがあって、道順はあまり良くないですが、着けない訳でもないです。それから、私は毎朝4時頃に起きて、夜間バスに乗って煉功点に行くようにしました。毎朝、朝日を浴びながら煉功を始めるようになってから私は分かりました。これこそが修煉で、いとも簡単な事ですが、私は長い時間と多くの心労を費やし、回り道をしてきた気がしてなりませんでした。師父は同修の口を借りて、私に自我を放下し、次元を高めるように悟らせられたと思います。
同修によく言われるのは、私は法を実証する過程において、自分の所見がなく、いつも他人に追随し、独立性と能動性が足りない事でした。遂に、私には自分を高めるチャンスがやってきました!
二〇〇五年一月、《大紀元時報》の香港版は週間報から日報に変わり、私は金鐘(地名)での日報配りに配置されました。金鐘は香港の中心地域に位置し、また政府機関、立法機関、裁判所、金融機関、そして各国の領事館の所在地でもあります。ここには私だけが配置され、法を実証する責任が重大で、一人だけで全てを担わなければなりませんでした。私は“真、善、忍”の素晴らしさが香港全土に遍く広がる願いを抱き、感謝の気持ちで法を正す新しい日々を迎えました。私がはっきり分かっていることは、この貴重な日々は師父から与えられた向上の日々であり、人を救う日々であり、大法の素晴らしさを人々に見せる日々でもあります。このような日々は千金、万金に価し、宇宙で最も貴重な時間です。
私は自分の考えと思いの一つ一つが法に沿うように、そして自分の全ての言動に善意が満ちているように自分を律しました。通行人の不理解、疑い、そして友好でない態度に、私は彼らへの心からの祝福を持って笑顔で返しました。私は通行人の態度に動揺せず、相手が日報を受け取るかどうかにもかかわらず、発正念をしながら日報を配り、通りかかる全員に挨拶をしました。次第に人々の反応が変わり、私に挨拶を返してくれる人もいれば、日報を受け取る人もいって、チョコレートを渡しながら私を励ましてくれる人もいれば、お正月にお年玉をくれる人さえもいるようになりました。その場所は穏やかな雰囲気に包まれるようになりました。
ある日、一人の警察に身分証を見せるようにと言われ、私は渡しませんでした。彼には、罪を犯していない私の身分証をチェックする権限がないと思ったからです。毎日、この橋を通る一人の西洋人の女性が私たちの言い争いの過程を目にしました。そして翌日、その警察は再び来て私にこう言いました。「もう貴方の身分証をチェックしません。昨日、あの法律業界の女性に訴えられました」またある日、一人の読者が荒々しく私の日報を叩くのを目にした一人の通行人が身を乗り出して、私に言いました。「彼の行為を見ました。彼がまた貴方に被害を与えようとするなら、私は保護してあげますよ」
警察はもう私の友達になりました。ある朝、二人の若い警察は自分たちが間もなく他の地区の当番として異動される事を告げに来て、「もう毎日、雲姉と会えなくなりますね」と言いました。彼らは大法の慈悲により感化され、彼らの分かっている一面が大法に感謝していると思いました。読者だけでなく、周辺のビルの保安員、清掃員も私の友達になりました。雨の日、そして強風の日には、彼らは私が新聞を配るのを手伝い、橋の上で靴を磨くお爺さんも私が留守の際、新聞を見てくれたりもしました。
金鐘での新聞配達の拠点は一つから四つに増え、新聞配達の量も本来の3パックから13パックになりました。
数年来、周辺諸国が中共の行っている法輪功への迫害に加担しているニュースが流れ、金鐘にも沢山の領事館が集中しているので、私はそれらの領事館の前で横断幕を張り、看板を設置したりして、民衆に邪悪の蛮行を暴きました。人を救う心が純粋である時、師父は私に領事館内の人に会う機会を按配してくれます。私は彼らに中共の法輪功への迫害の真相を伝え、善悪を弁別する重要性も訴えました。真相が分かった彼らは、必ず真相資料を本国へ伝えると、自発的に言ってくれました。
台湾の学習者が送還される案件と神韻公演が妨害を受けた案件が審理される過程において、私たちは高等裁判所と最終審議が行われる裁判所の前に行って法を実証しました。とにかく、この香港の中心地域では、人々はずっと大紀元とその他の大法に関する真相資料に触れることが出来ます。数年来、私は絶え間なく、金鐘と中環の両地域で法を実証してきました。これは師父が按配して下さった、人々に慈悲の露を撒く機会です。法を正すことの進展、大法弟子の努力、そして師父の苦心により、益々多くの衆生は真相を知り、彼らは法輪功学習者の平和で、理性的で、弛まぬ努力の中から、法輪功は政治活動を行っているのではなく、真に反迫害をしている事が分かるようになりました。彼らは邪悪の嘘偽りから目覚め、私たちに同情し、そして敬服するようになりました。多くの議員、政府高官、法律業界の人々、そして領事館の職員たちは私たちの忠実な読者になりました。私は一つ一つの大きな天体が救われ、衆生が喜びの声を上げ、万物が蘇る風景が見えるような感じがしました。
一を十とし、緩まず努力する
毎日、私は早朝に新聞を配り、お昼に横断幕を張ったり、真相看板を設置したりする以外、人々の家まで新聞と雑誌を配達しました。数年来、同修と私は毎日、立法議会の六十数名の議員に新聞を配達し、彼らの職員達も私たちの新聞が好きで、新聞が配達される際、いつも口にするのは「豊富な朝食が来たよ」でした。私は大法の事をもっと良く行い、もっと心を込めてするようにと、随時に自分を促し、本当に自分の神としての果位を放棄し、その代価として世に下って得た、この法を正す師に手伝う機縁で、悔いのないようにしたいです。
中聯弁(中国政府駐香港特別行政区の連絡弁公室の略称)は邪悪が集中する場所なので、同修達はここで忍耐強く真相を伝え、発正念をしてきました。中聯弁の裏側の道路は狭い上、通行車両も多く、いつも混雑しています。真夏にここで継続的に横断幕を張り、真相を伝えるのは本当につらい事です。路肩に木がなく、太陽の真下でも誰一人愚痴をこぼしませんでした。私たちの真善忍の精神が段々と周囲の環境を変えました。最初、中聯弁と付近の住民は私たちを訴え、通報を受ける度に警察がやって来て、私たちの身分証をチェックしたり、横断幕と看板を奪ったりしました。また、私たちが正門の前で法を実証しようとした際、拘束され、または訴えられた事も度々ありました。今は、もう訴える人もめったになく、警察も私たちを干渉せず、むしろ毎日顔を合わせる友たちとなり、私たちの大紀元の愛読者になりました。
月曜日から金曜日までの間、私は中々時間がなく、週末と祝祭日には必ず中聯弁の正門の前に行って、横断幕を張り、発正念をしてきました。以前の私なら、何をやっても必ず一緒にする仲間を探し、人がすれば自分もついて行くようにしていましたが、今は、何でも自分で判断し、自分で責任を持ってやり遂げるような成熟した大法弟子になりました。私たちの毎日欠かさず法を実証する強い精神が、中聯弁の警備員も感動させました。十数年来、法を実証することにより邪悪が大量に消滅され、衆生は真相が分かり、彼らの善の一面が主導するようになり、彼らには救われる希望が見えてきました。
十年来の自分の修煉の道を振り返り、私は法に対する堅い信念を持った以外何もできず、全ては師父がして下さって、全てが師父に与えて下さったものです。十年の修煉の過程で私が経験してきた出来事の数々は本当に言葉で言い表せないほど辛労が多く、美しいものでした。
修煉の情熱を再燃させる
法を実証することを多く行い、賛美の声を多く耳にするようになってから、私には段々と人心が現れてきました。私の顕示心と歓喜心は非常に強く、以前からずっと意識的に克服するように頑張っていましたが、中々根本から無くせませんでした。自我を放任する過程で、私の利己心も知らず知らずに大きく膨らんできました。これらの利己心は私の同修に対する態度において反映されました。傲慢が自分の謙遜で穏やかな一面にとって代わり、問題に遭遇したら、自己主張をし、自分の意見を他人に押し付け、相手に相談の余地も与えませんでした。違う意見を聞くと、すぐに理由を見つけて人のせいにし、自分が正しく他人が間違っている事を証明したがって、他人を責め、批判し、恨んだりもしました。法を実証する過程で問題に遭遇したら、以前の私なら真っ先に考えるのは、いかに努力して法の要求に応ずるかでしたが、今の自我が膨張していた私が思いつくのは、この事は私の観点に合うかどうか、私の時間的都合に合うかどうかでした。
二ヶ月ほど前のある事件で、私の魔性が暴露されました。
2011年9月、香港に大型台風が上陸し、香港政府は規定により朝五時頃、学校の休校と企業の休業を通知しました。しかし、その前に既に《大紀元時報》の印刷が終わっており、輸送車も既に出発していました。
私は六時近くその通知を知り、真っ先に今日は新聞を配達しなくてもいいと思いました。電話で印刷工場に確認したところ、今日の印刷量は通常の半分の二万部で、各拠点へ送る新聞の量も通常の半分で、港島に向かう車は既に出発しているとのことでした。私はすぐにドライバーさんに電話し、今日、うちの拠点は配送を受け取らないと言いました。
翌日は木曜日で、一週間のうち、最も新聞の配達量が多い日です。中文と英字新聞以外、新紀元雑誌もあり、これらの全てを私一人で一つずつ橋の上に運ばなければなりません。朝の7時、配送車が定時につきました。ドライバーさんは今日の新聞を車から降ろした後、昨日の分の6パックも降ろしました。私は昨日の新聞を見るや否や、かっとなりました。「今日は私の最も忙しい日で、早朝は中文と英字新聞、昼も英字新聞、午後は数十軒の診療所、弁護士事務所にも新聞を送らないといけないのに、さらに昨日の古い新聞? うちの拠点は古い新聞を配達しないから、持って帰って下さい」と私は言いながら、昨日の新聞を車に投げ込みました。ドライバーさんも我慢できず、「配達しないとどうしますか? 要らないなら、勝手に捨てて下さい」と言って、再び新聞を車から降ろしました。「貴方は人の事を全然配慮しませんね! 兎に角いらないから、他の拠点に持って行くか、工場に持ち帰って下さい」と言いながら、私はもう一度新聞を車に放り込みました。車が去った後も、私は怒りながら思いました。「雨が降るって知っていながらこんなに沢山の新聞を刷ってどうしますか! 古い新聞を配達しませんよ! 社長に行って、これからしっかり計画を立ててしてもらわないと…」早朝の新聞配達を終え、私は協調人に電話をかけ、自分の不満をぶつけました。夕方になって、私は印刷工場の社長を訪ねに行きましたが、彼は留守で、暫く待っても帰ってこないので、私は同修に伝言を頼み、最後に「必ずその通り、一文字も抜けずにしっかりと社長に伝えて下さい。」と言い残し、帰りました。
家に帰ってから、私はどう考えても自分が間違っているように感じ、何故そんなに怒ったのか、何が原因で私は理性を失い、不満不平ばかりを言いふらしたのでしょうか? 冷静になって考えたら、私は自分の“自我”が見え、自分が配慮されない事、自分が尊重されない事、自分が利益の損失を被ったことに不満を持っていました。実際、これは小さな出来事でしたが、協調人の立場に立って考えれば自分はどうすべきかが見えてくるはずでした。
この経験を通じて、私は修煉の初期にあった修煉の情熱と状態が消えた事に気づきました。利己心が真我を覆い隠しました。修煉当初、問題に遭遇した際、私は常に自分を法に照らし合わせ、自分の不足を発見する事によって関を乗り越えてきました。
唯の6パックの新聞ですが、金鐘にいる4人の配達員で分け、それぞれが配達の際、読者にいるか要らないかを尋ね、残りを多くの大陸の観光客が訪れる観光スポットに持って行けば簡単に問題を解決出来るはずでした。この世に転生してきた天上の王と主たちは救われる事を待ち望んでいます。師父も再三に、尊い中国人を救うようにと仰っています。私たちは少しの苦労をしてもたいした事ではありません。私たちはまさに法を実証する為に、また人を救うためにこの世に下りてきたのではないでしょうか。この貴重な時間は瞬く間に過ぎ去ってしまいます!
近年、法を実証する事を多く実行する過程で、私は自分の心性ががた落ちしたことに驚きました。同修と常人の賛辞の中で、私の“自我”がはびこり、知らずのうちに自分の名利を追求するようになり、何をやっても自分の要求を満たし、自分の意に沿い、自分の言う通りにしなければ…
この“自我”の増長により、自分を実証する心、自分を保護する心が現れました。根本をたどれば、学法を疎かにし、実修しなかった事に原因がありました。学法は任務の実行となり、心を修めることも表面的なこととなり、最も基本的な顕示心、名、利、歓喜心を修めることも忘れてしまいました! 旧勢力は私のこの隙を狙い、私を駄目にしようとしていました。
修煉当初、私は学法を重視し、学法と煉功の際に集中出来ていましたが、近年、大法の事をするようになってから安逸心、歓喜心などに妨害され、学法を疎かにしました。一時、学法しようとすれば眠くなり、毎日の学法の質と量は確保できず、新経文もめったに読まず、グループ学法にも参加しませんでした。今は自分の学法状態を調整し、毎日必ず『転法輪』の一講を読み、数篇の新経文も読むようにしています。また、毎週火曜日と木曜日にあるグループ学法にも出来るだけ参加するようにしています。
私は必ず着実に自分を修め、修煉の情熱を再燃させたいと思います。
師父に感謝し、皆さんに感謝します!
(二〇一一年アジア法輪大法修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/12/130662.html) 更新日:2012年4月12日