——大法の要求に従って大法のことを行う
文/中国遼寧省の大法弟子 心浄
【明慧日本2012年4月24日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私は1996年に大法と巡り合うことのできた大法弟子です。この度、師父によって直接済度される機会を頂き、本当にこの上なく幸運なことだと思います。私は修煉に関して何も知らない人から一人の大法修煉者になりました。個人修煉から法を正す時期の修煉までの15年間、私は様々な方面で生まれ変わり、世界中の全ての言語を尽くしても私の師父に対する感謝の気持ちは表現し切れません。精進し、さらに精進することだけが、師父の要求に従って大法のことを行い、「法を正す時期の大法弟子」の称号で呼ばれる資格があると思います。
第八回大陸大法弟子の修煉交流会を機に、私は師父、そして同修の皆さんに自分の修煉体験を述べてみたいと思います。
一、常人の観念を破り、自分の家で花を咲かせる
1999年7.20、邪党による法輪功への迫害以来、中国大陸の情勢は益々厳しくなりました。大法弟子の北京陳情、法の実証、真相を伝えること、そして衆生を救い済度するなどの事をするにつれて、法を正す勢いが世間で推し進められ、この状況下で、更に多くの事をしなければならなくなってきました。
真相を伝える規模の増大に伴い、より多くの大法弟子は真相を伝える活動に参加するようになり、真相資料が著しく不足するようになりました。資料点の同修達の忙しさを見て、手伝う事の出来ない自分に焦りを感じました。手伝う事が出来ないというより、むしろ自分は自身の観念に阻まれていました。私の家は道路沿いのマンションの一階にあり、主人と私はよく大声で喧嘩するので、近所の人に知られてしまうかもしれないから出来ないと、恐れていました。しかし、その後の出来事で私は大きな衝撃を受けました。私たちの資料点はわりと大きいので、邪悪に注目され、数人の同修が不当に連行されてしまい、残った一人、二人の同修だけで全ての仕事をしなければならないようになりました。私はずっと、同修から資料を受け取るのではなく、自分も他人に与えなければと思い、自分の家で資料点を作り、花を咲かせようと思いました。
以前、私はプリンターを家に持ち帰ろうとしましたが、主人に反対されました。しかし今の状況では、どう考えても待ってはいけないと思い、私はプリンターを持ち帰りました。プリンターが古かった為、家で手入れをしているうちにインクをこぼしてしまいました。私はそれをティッシュで拭き取り、お手洗いに流しました。その直後、お手洗いが詰まってしまいました。主人は怒って大声で叫び、私は心の平然さを保てなくなり、彼の声も更に大きくなりました。最後に、私は心の中で一念を発しました。「この資料点を必ずやります。誰も私のこの決心を動揺させることは出来ません」結果として、主人の怒りもおさまり、その後お手洗いの修理をする際に分かったのですが、私の家と二階の間のお手洗いのパイプが詰まっていたのです。邪悪は私の恐れる心を見抜いて、このような形で私を邪魔したのです。
後に分かったのですが、私の恐れる心と資料点を作る決心がつかなかったことで、動揺する心があったため、邪悪に隙を狙われてしまいました。実際、大法弟子は、何かをしようとする時の一念が非常に大事で、その念さえ正しく、大法に符合すれば必ず成功出来ます。何故なら、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)だからです。
(続く)
(明慧ネット第八回大陸大法弟子修煉体験交流会)