情と色欲を取り除いた体験
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012426常人の目には私がやさしくて、賢くて、温和で、かつ伝統的な女性に見え、大多数の人はみなそう思っています。私も人々の中での自分の位置づけにとても満足していて、師父が何回も情と色に関する説法をされた時、ずっとこの類のことは自分と無関係であると思っていました。1年前、私の会社には新しい同僚がひとり入ってきました。常人の目から見ると彼は若くて能力があり、幅広く深い知識を持っており、頭が良くて有能な人でした。彼の到来は私に言い表せない圧力と緊張をもたらしました。後になって、これは旧勢力の按配かもしれないと悟りました。彼は私にとても注目し、少しずつ私も彼に惹きつけられました。それに、彼の家庭生活の不幸に私はますます同情し、互いに機会が見つけて、多く話し合っていました。

 最初は自分を欺き、ただの精神的な友人であり、もしかして縁のある人かも知れず、彼真相をよく知らせるために、按配されているかもしれないと思っていました。少しずつ私の心は動かされて、波瀾を起こしはじめていました。毎日出社すると、彼に行方に気が取られてしまい、心を静めて法を勉強することができませんでした。私はこの状態が恥ずかしいと知っていましたが、一方では言い逃れる口実を探していました。それは行為上で何もしてないということでした。しかし一方では心は悪魔に動かされて、変異した情が野草のように、心の中で狂ったように成長していました。変異した観念に導かれて、私の執着は邪悪により拡大され、私はますます大きく邪魔されてしまい、気が動転しかのようになり、法からますます遠ざかっていて、絶えず深淵に滑っていっていると分かり、心の中は恐怖で満ち、心の底でこれらの変異したものとても名残惜しく思っていました。そのため、私はぬかるみの中に陥っていました。情により起こされた色欲が消え去ることなく、それによって巨大な嫉妬心、闘争心、恨む心等などが生じてきて、周囲とのトラブルが絶えず激しくなり、場合によって夜の時、自分が巨大な何かに覆われていると感じ、そろそろ死ぬような感じがし、私は一生懸命師父に救いを求めました。

 私には何も見ませんが、私は師父が私を救ってくださったと分かっています。場合によって、法をしっかり勉強すると、自分が置かれた危険について冷静に認識でき、ぬかるみから抜け出たように感じましたが、しばらくするとまた下落して深淵に陥りました。心は動かされ、心はえぐられるように感じられ、骨身にこたえる苦しみは言葉では言い表せませんでした。どうしてこうなったのでしょうか? 私は自分の色欲徹底的に取り除いておらず、それによって、旧勢力が按配した要素が絶えず邪魔してきて、魔難が絶えず激しくなり、師父と宇宙の中の正の神も焦るばかりであると意識できました。ある同修が書いた文章を読みました。文章には、こう書いていました。「色欲の問題で間違いを犯した学習者に対して、旧勢力は手を尽くして迫害します。あれらは、ある他の空間では大きな網であり、もっぱらこのような学習者を探しています。に引っかかると、迫害が激しくなります。あれらの口実はでもなく、彼(彼女)らが宇宙の中で最も重い罪を犯し、しかも悔い改めようとしないからということでした」、「最初私はどうしてこのような迫害に対して、私がただ避ける一方で、主動的にあれらを取り除くことができなかったか知りませんでした。後になって一部の神から、私が間違いを改めておらず、公開してもいないので、あれらは迫害する口実があ、しかもますます激しくなる、と告げられました」

 私のこの体験談はとても長い時間をかけてやっとここまで書くことができました。その間、とても多くのことを体験しました。常人の中で、私はずっと自分の文章作成能力がとても高いと思っていましたが、修煉体験を書くどうしてもうまく書くことができませんでした。その原因はどこにあるでしょうか? どうして多くの知識レベルの低い同修がそれほど人を感動させる文章を書けたでしょうか。私は、大法は超常的であり、ありふれた文章の背後に現れているのは実際、同修の次元であり、文字は簡単で質朴であっても、法の偉大さを実証していると悟りました。しかし、私はよく修煉できてないため、常人の中の華麗で中身のない言葉と文章構造いくら修飾しても、浅はかで内包がないと悟りました。ですから、この文章は今日まで書いてやっと少し修煉者の文章らしくなりました。

 現在私はすでにこの難をほとんど乗り越えてきました。振り返って見ると、冷や汗をかいてしまいます。偉大なる師父に感謝します。この道のりで師父の加護がなかったら、私は更に深く陥ってしまい、更に常人の中での恥辱を造ってしまい、ひいては家庭壊す惨劇を作り、巨大山より大きい、計り知れない業力を作ったかもしれません。それは返しがたい業です。かつて、ある同修は私が死んだ夢を見ました。現実の中、邪悪もを引き締め、恐ろしげに笑いながら、一歩一歩私に近づいてきていました。私は頭から足まで片方の体が麻痺し始めました。この事件の発生は、絶対偶然ではありません。この情と色欲の心はでもなく、私の根本的な執着の一つであり、旧勢力にとって、これは最後の時期に私を駄目にさせる立派な口実でした。師父は数年来、ずっと私を悟らせていましたが、私は悟性があまりにも低く、滑落した基準で自分を測り、自分なりに実際の行動がなかったと思い込んでいたため、邪悪に乗じられる大きな隙に与えてしまいました。

 この方面で漏れがある多くの同修と同じく、私は幼いころから多くの中国国内、海外の文芸作品を読みましたが、その中には人間の情と色欲が満ちていて、心の中で多くの良くない憧れを形成してしまいました。その後、男性のクラスメートをひそか思い、先生と同僚をひそか思い、たとえ自分が好きではない人でも、人に好印象を残そうと思っていたため、多くの思想業力を作ってしまいました。ですから私は夢の中で、いつも自分が部屋の中にいて、四面の窓はすべて全部開いていて、私が急いで閉めようとしても閉められませんでした。また、夢の中で、自分の家のドアをどうしても閉めることができず、場合によってはドアの鍵がなくなっていたり、また外に凶悪な犬が伏せいていたり、また常に夢の中でトイレ見え、それはとても汚いトイレでした。夢から覚めると私は、どうしてこうなっているかと思っていましたが、やっとその原因が分かりました。

 私は恥ずかしくて、同修と交流することができず、私は絶えず師父の説法を読み、明慧編集部の『男女関係と婚姻問題について』と『心を修め、欲を断つ』という小冊子を読み、多くの同修が書いた情と色に関する文章をダウンロードして読み、それを通じて正しくない観念が絶えず正されました。同時に高密度で発正念して、これらの汚いものを根絶しました。場合によっては、無辺な圧力が私を襲ってきていると感じ、心がひどく痛み出し、私は座禅して繰り返し法を正す口訣を念じ、「僕は普通の人ではない。煉功者だ。法輪大法を修煉している僕にはこんなことをしないでほしい」(『転法輪』)と念じました。私はまるで映画の中、断崖の辺まで攻められていて、体が空中にぶら下げられていてただ落ちないように片手だけで一生懸命に断崖をつかんでいて、邪悪の攻撃を迎撃しているように感じました。私は頑張って堅持しました。なぜなら、私は自分が努力して、堅持しなければならず、師父がいらっしゃ法がるから、私は必ず勝利し、この無辺な暗黒から抜け出すことができると知っていたからです。

 この文章を書き始めてから、すでに半年過ぎました。この曲がりくねった道を振り返ると、心の底から偉大な師父に感謝し、私に力をくれた法に感謝し、自らの修煉体験を持って悟性のとても低い私を悟らせてくださった多くの同修に感謝します。師父は「高い次元から見れば、常人は社会の中で、まるで泥んこ遊びをしているようなもので、汚さも知らずに地面で泥まみれに遊んでいるのです」(『転法輪』)と説かれました。現在、振り返ってみると、本当にあまりにも汚いことをしていました。考えたことがあまりにも汚く、私が未練のあった人は常人の中でも良い人の基準に達しておらず、更に修煉者の基準ではなおさらませんでした。しかし、迷いに陥った時はなぜそれほど迷っていたでしょうか? もしいまだにこの類の問題に直面している同修がいらっしゃれば、必ず戒め、再びおろかにならず、師父の期待に背かないでほしいです。師父は私たちを待っております。

 よく書くことができませんでしたが、なんと言っても書くことが大事だと思い、書きました。正しくないところについては、同修らのご叱正を願います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/4/15/255688.html)     更新日:2012年4月27日
 
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