衆生を感動させるには、憐憫を求めてはいけない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012731日】人には魂があり、一つの文章にもその精髄があります。文章の中に素晴らしい思想が入っていなければ、読者の魂の深層にまで届きません。同修たちが迫害についての文章を書くとき、その文章に魂を注ぎ込むことを忘れないでください。私が言いたいのは、大法弟子は衆生を救い済度する高徳な人士であり、決して世人から憐みを受ける対象ではありません。

 いつも次のような文章があります。いつ、どこの大法弟子が迫害され、連行されて、家宅捜索などにより大法弟子と家族がどれほど困っているか、高齢の親、幼い子供の世話ができず、金銭的、肉体的、精神的に追い詰められて途方にくれ、世人に助けを求めているなど。

 常人がこのような文章を読んでどう思うでしょうか? 常人は大法弟子に同情し、助けてあげたいと思うかもしれません。しかし、常人は「法輪功は怖い法輪功を修煉したら自分の人生も台無しになるのではないか」と思ってしまうかもしれません。「邪悪な警官は怖いから、自分は法輪功に近づかないようにしよう」というような考えを抱いてしまえば、「三退」を勧められたときに、どんな気持ちになるでしょうか。心理的に三退を避けるのではありませんか。

 私たちが道徳を高め魂を入れて文章を書くとき、衆生はその文章を読んで感動します。今の世間では道徳が堕落し、自分たちも危険な境地にいます。大法弟子は迫害されていますが、社会の道徳が堕落しないように、世間の人々が落ちないように努力していると衆生は認めます。こうなると、大法弟子は衆生から尊敬され、迫害を受けていることも人々を感動させるのです。世人は、大法弟子を助けることは自分のためになると認識し、邪悪を制止することに手を貸してくれます。さらに、自分がやっていることは光栄なことで、自分も大法弟子のような生命になりたいと思うかもしれません。

 常人が文章を読んで、このような考えを抱くことができれば、私たちが真相を伝え、三退を勧めるとき、彼らは自然受け入れるのです。

 上記の考えを踏まえたうえで、私は迫害文章を書くとき、悪人の邪悪を表現せず、迫害自体の表現を控えています。乞食のように、世人から憐みを求めてはいけません。私たちは師が法を正されることを手伝い、衆生を救い済度するために来たのです。大法弟子は迫害されていますが、私たちは衆生に尊敬されているのです。

 個人的な悟りですが、慈悲をもってご指摘ください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/21/259170.html)
 
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