天地を感動させる勤勉さ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年3月9日】康煕帝(こうきてい、清の第4代皇帝)は7歳の時に皇帝になりました。勉強をする時は、文章を100回読み、100回書き、100回暗記し、それから、次の文章を学びはじめました。本を手から離すことはなかったのです。15歳から政治を行うようになりました。毎朝4時過ぎに起きて早朝の謁見(重要人物との面談)に臨み、午後は官員を接見し、全国の県知事までも全員接見したのです。康熙帝は、自ら各県の詳細な状況を説明できるほど、詳しく知っていました。それを目にした県知事らは驚嘆し、感動して、怠けることなく行政の仕事に励み、民を愛しました。夜になると、康熙帝は上奏文を読んで直したり、指示を書いたりしたそうです。

 ある日、康煕帝は農業を管理する官員に、全国では一人平均、どのくらい耕作しているかと聞いたとき、その官員は一人約260坪だと答えました。康煕帝は「私も働かずしてご飯を食べるわけにはいかない」と言い、260坪の土地に野菜、穀物、水稲を植えました。康熙帝は自ら肥料や水をやり、犂(すき)を使って耕しました。当時、北方での水稲栽培は適していませんでした。なぜなら、水稲は成長期が長いのに、北方では霜が降りない期間が短く、気候が特別よい年でないと、稲の生育は難しかったのです。康熙帝は水田の中で、背が高く、早く成熟する水稲を1本発見して収穫した後、それを保存して翌年の春に単独で植え、繁殖させて増やした種を使って、北方での栽培を奨励しました。その後、北方の食糧生産量は大幅に増加し、庶民は楽しく働き、安心して暮らし、豊かな生活を送ることができるようになりました。

 修煉してから、私はやっと分かりました。康熙帝の勤勉さが天を感動させたから、康乾盛世(こうけんりゅうせい、第4、5、6代に国力が盛んで繁栄した時代)を切り開くことができたのです。大法が人間世界を正す時期は瞬く間に到来します。私たちは決して、安逸の心にとらわれて、幾千万年も待ち望んだ機縁を台無しにしてはいけません。心地よいことは毒薬なのです。私たちは自分の観念を変え、意志を固めて、精進しましょう。世の人々をもっと救い、誓約を実現しましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/3/4/288353.html)
 
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