子宮脱が2カ月で完治 (一)
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文/中国の大法弟子 澤善

 【明慧日本2015年7月7日】私は71歳です。1996年に修煉に入った古い大法弟子ですが、1999年7.20に迫害が始まってから、恐怖のため一時修煉を中止しました。しかし、2002年に修煉を再開しましたが、他の修煉者とはほとんど連絡することなく、一人で修煉していました。子供たちを手助けし、孫の面倒をずっと見ているだけで、衆生を救い済度することはほとんどしていませんでした。

 2009年、地元の集団学法に参加したことがきっかけで、私は初めてしっかり「三つのこと」をするようになり、本当の意味で修煉を再開しました。私はパソコンとプリンターの操作を覚え、家に小さな資料拠点を作りました。ふだんは同修と一緒に出かけて真相を伝え、師父がおっしゃった三つのことをしっかり行うよう心がけています。その時に、子宮が少し脱出気味になるのに気づきました。しかし、三つのことをする上で、大して影響はありませんでした。

 2010年の暮れ、夫(同修)に突然、深刻な脳血栓の症状が現れ、自力で生活できなくなりました。私は夫の面倒を見るためにたいへん忙しくなり、つい修煉を疎かにしてしまいました。2012年になり、子宮脱の症状がひどくなりました。私は内に向けて自分を探しても、発正念しても、善解しても効果はありませんでした。当時、この関を乗り越えていませんでしたが、今後また努力して補おう、この度はとりあえず手術しようと決めました。私は病院へ行って、医師に会い、翌日入院し、手術することになりました。

 その夜、私は法を学び、正念を発してから子宮に話しかけました。翌朝、不思議なことに子宮は突然お腹の中に戻りました。修煉者には偶然はなく、これは師父から、手術をする必要がないことを私に教えてくださったのではないかと私は悟って、すぐに手術をキャンセルしました。しかし、旧勢力の迫害を徹底的に否定していないため、問題は根本から解決されず、隠れた問題が残りました。

 昨年7月、黄色で中に薄い血の色を帯びた液体が下からたくさん流れ出ました。最初、その液体は良いものではない、きっと師父が私の体を浄化してくださっていると思い、私は怖く思ったりもしませんでした。8月初旬のある日突然、お腹に激痛があり、ついに子宮は完全に脱出して体外に露出しました。握り拳大の肉の卵状で、両腿のつけ根の間に吊るされた状態でした。激しい腹痛で腰を伸ばすことも、座ることも、立つことも、歩くことはなおさらできませんでした。少しでも動くと、なんと腸も体外に引っ張り出されるような感じがしました。私は何もすることができなくなり、こんなに大きい魔難に遭い、本当に打つ手がありません。一昨年にもしも手術で解決していたら、また、三つのことをもっと精進していたらと後悔し、同修Aさんにその気持ちを伝え、交流しました。

 Aさんは私の話を聞いてとても驚いて、涙を流しながら「こんな肝心な節目に、師父はあなたを連れて本当の家に帰らせようとされたのに、あなたは常人の道を選ぼうとしています。それでは、これまでの苦労が全部水の泡になるのではありませんか? あなたは神であり、神への道を歩む大法弟子なのに、どうして常人の病院に行くのですか? 病院であなたの『病気』を治療することができますか?」と言いました。同修の話を聞いて、私は重い金槌で打たれたかのように感じ、自分が間違っていたと分かりました。病院に行かず、心を静めてよく考え、大法弟子らしくこの関を乗り越えようと私は決意しました。

 一、法をよく学び、内に向けて探し、自分を修める

 突然やってきた魔難に直面して、私は先ず法をよく学ぼうと思いました。『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』を開いて、「遠く離れて、皆さんとなかなか会うことができません。しかし、皆さんは私本人に会えないのですが、実は修煉さえすれば、私はあなたの身近にいます。修煉さえすれば、私はあなたに最後まで責任を持つことができ、しかも私は時々刻々皆さんを見守っています」を読んで、私は涙がこぼれました。そうですね、私は一人の修煉者で、修煉の道で出遭った問題をどうして常人の方法で解決しようとするのでしょうか? 体に現われた病業は、明らかに旧勢力による妨害です! それを全面的に否定して、師父が按排された道だけを歩む、と考え方を固めました。そこで、病院で手術をすることをすっかり考えなくなりました。

 私は一日に『轉法輪』を一通り全部読むように努力しながら、子宮脱前の自分にどんな人心があったかを探してみました。結局、嫉妬心、闘争心、人に指摘されたくない心などが見つかりました。特に夫に対する恨む心はひどかったのです。夫は意気地がなく、精進もせず、とうとう今の寝たきり状態になり、私の修煉にまで影響したとよく思います。私はやはり夫を病人、自分への負担としてずっと思っていました。そして自分は法理がはっきり分かっていない、内に向けて探すことを重視していないなどの原因もあって、ついに旧勢力に隙に乗じられ、病業の様相を呈したのです。

 学法や発正念をする時、時には腹痛があり、顔中に汗をかいて、学法を続けることも困難です。ある日、私は横たわったまま心の中で『轉法輪』を暗唱していました。しかし、すぐにこんな横たわった姿勢で『轉法輪』を暗唱するのは師父と大法に失礼ではないかと考え、痛みに耐えて体を起こし、座位で法を学び続けました。

 最初の数日、私は大きい声で『轉法輪』を読み、痛みを考えないようにしました。痛みや辛さ、すべてが虚像で、私と何の関係もありません。そのように、私は病気に対する執着を徹底的に放下しました。その後、読む速度を落とし、心を静めて一ページ一ページ、一段落一段落、真剣に読み、ふだんの自分の言行、考え方を法に照らし、法理に叶っていないところがないかを探します。このように学び続けて、2カ月で私は『轉法輪』を30回ほど通読し、師父の各地での説法も一通り読みました。大法に溶け込むような感じがして、頭はますます澄んではっきりしてきました。『轉法輪』の「思想の境地がわずかでも高くなったらその分だけ、自分自身の悪いものも取り除かれたことになります」の通り、次元の昇華に従って私は心身ともに浄化され、病業の現象は次第になくなっていきました。

 二、多く煉功して、体の正しくない状態を変える

 煉功は本体を変えることができます。毎回の煉功は私にとって、忍耐力と意志の強さの試練でもあります。動功は立ってしますが、私が最も苦痛なのは立つことです。第一功法で力を入れて体を引き伸ばすと、腹部が重苦しくなり、激痛も走ります。しかし、どんなことがあっても私は煉功を続けていきたいと思いました。私はT字帯を作って、脱出した子宮を包みました。動功をする時、一つ一つの動作はいずれも激痛を伴います。特に第二功法は立つ時間が長いため、痛みで全身が震え、汗がポタポタと滴り落ちます。私はベッドに体を寄せて少し休憩して、もしくは座ってしばらく休んでから、また煉功を続けました。その時、煉功音楽がとても長いと感じました。

 耳元では「もう煉功を止めて病院に行きましょう。どうしてこんな辛い思いをしないといけないのでしょう」という声もしました。私はその声を否定し、一心不乱に「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」と大きな声で念じました。私は修煉者であり、修煉者が苦しみに耐えることは業力を転化させ、心性を高める良いチャンスではありませんか? 私は師父にご加持をお願いして、痛みがどんどん緩和していきました。これは師父が私のために耐えてくださったのだと分かっていました。

 私を最も苦しめたのは両便の排泄です。下垂した子宮が尿道を圧迫し、遮るため、排尿はとても困難になりました。時にはとても尿意はあるのになかなか排出できなくて、その苦しみで涙が流れます。排便の時も同じく、お腹が激しく痛みました。排泄の回数を減らすため、私は飲食を控えようとしましたが、それはまさに邪悪に協力することになるのではないかと考え、また元通りに食べるようにしました。

 私の顔色が良くないのを見て、煉功に力を入れるようにと、周囲の同修は私と一緒に煉功することを決めました。その日、夕方7時に煉功を始めました。みんなはずっと私を励まし続け、1セット毎に休憩を挟んで、その夜は一睡もしないで動功を4回、静功を2回しました。私は煉功が終わって体がとても軽くなりました。同修たちも「今夜の煉功は、あなたを励ますためにしたのですが、しかし私たちもたいへん向上しました」と感想を言いました。同修たちの正念の加持と激励に私はとても感動しました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/28/300812.html)
 
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