明慧法会|修煉を始め、師が法を正す事を手伝う路は素晴らしく美しい(一)
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 文/北京の大法弟子

 【明慧日本2015年8月21日】私は今年72歳です。1995年に法輪功煉功と修煉を始め、現在まで歩んできました。その素晴らしさ、殊勝さ、美しさについては、話は尽きません。以前、座禅をしていた時、左右両側にそれぞれ2人の神が厳かに立たれていました。現在に至るまで、神たちはよく目の前に現れ、時には煉功中に知らず知らずのうちに神たちに触れていて嬉しくなりました。

 (一)修煉を始める不思議さ

 1995年10月4日、この日は私の生命にとって最も重要な一日でした。北京のある公園でいつもと同じように拳術の稽古をしていた時、座禅をしている人たちを見かけました。聞いてみると「法輪功を学んでいます」と言いました。その時、私は法輪功を学んでいる人たちにあこがれを持ちました。「私も学べますか」と聞くと、「学べますよ」と輔導員の人が言いました。他の人が『轉法輪』という一冊の本を貸してくれました。私は夜も眠らずに一日中読みました。「本当に素晴らしい。なんて素晴らしいのだろう。本当に素晴らしい」と心の中で言い続けました。

 煉功を始めて3日目、師父の説法のDVDを見ていた時、突然心臓が痛くなり「持病がまた再発した。どうやって家に帰ればいいのか」と思いましたが、突然良くなって体が軽くなりました。自転車に乗って家に帰る時は、風に吹かれているかのように感じました。私は白い小さな法輪がテレビのスクリーンの上でくるくる回っているのを見ました。

 師父の本を読み、説法のDVDを見ているうちに、自分の一生を回想し、私は地獄から救い上げられたと感じました。何年もの間、長患いをしていました。心臓病、椎間板ヘルニア、高血圧、血色素低値などで、歩いているときよく道に倒れ込んでいました。1993年ごろ、検査で胃の病気が見つかりました。息子は検査結果を待ちながら泣きました。後で知ったのですが、その時の診断は胃がんでした。夫は子供が3歳の時に半身不随になり、1994年にこの世を去りました。20数年間忙しくしながらも、子供の面倒を見てきましたが、家族4人とも病気にかからなかった者はいませんでした(あと1人は杖をついていた母親で、1989年に亡くなりました)

 北京の大きな病院の同仁病院や協和病院や漢方の病院へ何度も奔走したので、病院の医者たちは皆私のことを知っていました。私の4人の実兄たちは私たちを避けました。金も力もない人間を、誰が相手にするでしょうか。世間の冷たさと痛ましさを味わい尽くしました。今、私は修煉を始めてこのことがわかったのです。

 私が煉功を始めた時、師父の法身が私の目の前で5式の功法を教えてくださいました。衝灌(第三功法の動作)の動作を実演してくださり、手をどのように動かせば手を伸ばして緩めた時、その手が自ら漂うように戻るのかを体験させてくださいました。ある時、煉功点での煉功が終わって家に戻ろうと歩いていると、突然目の前に座禅を組んだ大きな佛が現れました。よく見るとそれは師父でした。私がどんなに走っても師父の前にたどり着くことができず、鉄道橋を渡ると、体が沈んだように感じました。周囲のすべてがよく知っている光景に戻り、また俗世間に落ちてしまったかのようでした。 

 またある時、私が煉功点に行くと、目の前に白い玉の大船が現れました。船の上にはたくさんの神仙が座っていました。皆白い服を着ていて、眉と目と鼻がはっきりと見えました。大船は徐々に前に動き始めたので「もっとゆっくり動いてください。待ってください」と大声で叫びましたが、どうしても追いつく事ができませんでした。

 私が最初に煉功した時、座禅すると元神がすぐに出て行きました。私は公園の湖の氷の下にいました。氷に触ってみると、何と氷面は滑らかではなく、尖状の突起がたくさんありました。私が突起の間を歩いていると、魚がそばを泳いでいました。「おお、なんて冷たい。出て行かなければ」と、そこで私はまた戻ってきました。

 座禅の時、私は湖である生物を見ました。それは上半身が魚で、下半身が人間でした。その時、大魚の頭が私たちが煉功している高台に触れそうになりました。人の形をした下半身は湖水から十数メートル以上も伸びていました。またある時、煉功点の修煉者が皆、湖に飛び込みました。湖から出て来ると、丸坊主の和尚になっているのを見ました。その後、師父が『精進要旨』の「明示」という経文を発表されると私の元神は簡単には出て行かなくなりました。

 私が座禅している時、左右両側にそれぞれ2人の神が立っていました。2人は柄のついた大きな刀を持っていて、他の2人は長い矛を持ってその場所に厳かに立っていました。1匹のワニが私の方に近づいてきました。それを見て大きな刀を持った神が大きな刀を振り上げ、ワニを切り刻み、大きな刀の刃の部分ですくいあげ、振り回すと跡形もなくなりました。現在に至るまで、神はよく私の目の前に現れます。ある時煉功中に無意識に神たちに触ってしまい嬉しくなりました。

 私が煉功を始めて1カ月くらいの時ですが煉功点で煉功を終えると、突然下半身不随になって動けなくなりました。やっとのことで立ち上がり歩けるようになりましたが、下半身が思うように動かず病人のような症状でした。そばにいた人は緊張していましたが、ある人は私を見て笑っていたので「笑わないでください。小さな橋を渡ってあなたたちに追いつきますから」と言いました。前方10メートルくらいのところに小さな橋がありました。私は一歩一歩その小さな橋を渡りました、渡り終えたら、また健常者と同じような状態に戻りました。

 ある日私が北京の花市場の煉功点で煉功していた時、座禅を組んでいると師父が来られました。師父は私の前を通り過ぎながら「あなたはどれぐらい長い時間座禅ができますか」とお聞きになりました。「だいたい2時間ぐらいだと思います」と恥ずかしく思いながら言いました。その時、師父の強大な場にぼんやりとして動けなくなりました。その後、師父はアメリカのアトランタへ行かれました。そばには何人かの輔導点の責任者の同修がご一緒しました。今回は他の空間の出来事ではなく、本当の出来事でした。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/15/280497.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/27/143401.html)
 
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