学法する際に 師を尊敬し法を敬う
■ 印刷版
 

文/北米の大法弟子 心明

 【明慧日本2014年4月12日】1997年、私は幸運なことに法輪功の修煉を始めました。修煉の道で、時にはつまづいたり失敗したりしましたが、師父の慈悲なるご加護の下、しっかり師父について、今日まで歩んできました。

  師父は『轉法輪』で、「法はここまでしかお話しできません。さらに高いものはあなたが自分で修煉して会得しなければなりません」「自分で修煉し、自分で悟 らなければなりません。わたしが全部言ってしまえば、あなたの修煉するものがなくなります」と説かれました。師父はなぜそれ以上おっしゃらなかったのでしょうか。それは私達に悟らせ、私たちに向上させるために残してくださったのだと私は理解しています。

  現代人の座り方は様々です。大法弟子が法を学ぶ時の姿勢もとても気ままで、不真面目です。師父はどうすれば良いかを具体的に明言されておられませんが、『轉法輪』の中で、師父は「その当時学校へ行く人は、みな座禅を重んじ、坐る姿勢にも厳しかったのです。筆を持てば、気を運び、呼吸を整えることを重んじていました。どのような仕事をしても心を浄め、息を調整することを重視し、社会全体がこのような状態にあったのです」とおっしゃいました。

  古代の儒者でさえ、学校で本を読む時、座禅を組み、姿勢にこだわり、「心を浄め、呼吸を整える」のならば、私たちは宇宙の大法を学ぶというこれほど神聖なことをする時(師父はその後『洪吟三』の「天に通ずる路」で如実に「金の書を読む」と表現されました)、当然もっときちんとやらなければならないと私と同修達は思いました。従って、私たちはお互いに励まし合い、個人で、あるいは集団学法をする際に、いつも座禅を組んで姿勢良く座り、そして、宝の本を胸の高さまで持ち上げるようにしています。私たちは心の中に師父に対する敬慕と感謝の気持ちを持って、できるだけ両足を組み、できるだけ長く持続するようにし、法を学ぶ前に手を洗い、心を清め、法を学ぶ時、飲食をしないようしています。

  法を学ぶ時の正しい姿勢は師と法を尊敬することだけではありません。姿勢を正しくすることによって、法を学ぶ時、私達はより集中することができ、眠気や疲れを追い払うことができ、また妨害を軽減あるいは排除することができます。師父が私たちの心をさらに浄化してくださり、私たちにさらに法を学ばせ、法を得させてくださっていると私は悟りました。

 私たちはお互いに励まし合い、この最も基本的な、法を良く学ぶことから、私たちの「師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度する」[1]という神聖な誓約を果たしましょう!

 不適切な所があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「さらなる精進を」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/6/289645.html)
 
関連文章