新しい学習者:真の修煉者になりたい
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文/江蘇省の大法弟子

 【明慧日本2015年8月30日】私は2013年2月から修煉を始めた法輪功学習者で、今年50歳です。修煉している同僚がいましたが、自分も修煉するとは思いもしませんでした。

 2013年のお正月、久しぶりに会った同僚の元気な姿にびっくりして、「私も法輪功を修煉したい」と口から無意識に出てきました。その後、私は本当に大法を修煉し始め、それから修煉を止めようとは、一度も考えませんでした。慈悲なる師父は私を見捨てず、萬古の機縁を下さったのです。

 修煉の中で、私は多くのことを経験し、大法に出会い、修煉出来ることはとても幸運だと思っています。

   真の修煉者として、法を学び、心を修めなければならない

 無神論の教育を受けて来た私は、宗教を信じたことがありませんでした。人生や、社会に対し疑問を持った私は、宗教から答えを探し出そうと仏教や道教の本、そしてキリスト教の聖書も読みました。しかし、そこから納得のいく答えは得られず、修煉とは何かもよく分かりませんでした。

 師父は説法の中で「真の修煉者として」[1] とよく仰っています。このお言葉は私の心に響きました。私も真の修煉者になりたいのです。しかし、どうすれば真の修煉者になれるのでしょうか? 私は学法煉功を真面目にやればいいと思い、修煉以来、毎日5式の功法を煉り、学法もよく行ってきました。よく学んでいたのは『轉法輪』と二人の同修から提供された、わずかな大法の電子書籍でした。

 

 大法の書籍は読めば読むほど好きになりましたが、電子書籍は長く見ると目が痛くなりました。紙ベースの本があればと願っていました。ある日、座禅中に、一念が現れました。ネットからダウンロードし、印刷すればよいのです。同修からもらったネット封鎖を破るソフトを利用し、私は明慧ネットから全ての大法書籍を印刷し、それらを製本してから年代順に整理し、全部読みました。その直後、私はまるで頭の天辺から足のつま先まで、洗われたような気がしました。まだ幾つかの疑問はありましたが、心性を修めることの大事さが分かりました。

真の修煉者として、着実に修煉すべき

 2014年、私は地方にある両親の家でお正月を迎えました。恐れる心があるがために、私は大法の本を持たず、MP3だけを持って行きました。滞在した20日間ほど、私は常人の生活に溺れ、毎日煉功を行い、師父の説法を1日1講のペースで聞きましたが、まるで任務を終えるような感じで、聞いている途中で寝てしまうことも度々ありました。また、昨年末から始めた法の暗記もやめました。帰宅後、自分の修煉状態の悪さに気づきつつも、どうすればよいか分かりませんでした。以前のように法を学んだり、煉功したりしても、修煉当初の勇猛邁進の感覚はなくなりました。

 その間、夢の中で色欲の関を経験しました。最後の時になってやっと、自分が修煉者であることを思い出し、ハッと目が覚めて関を乗り越えなかったことに、後悔しきれませんでした。その後、非常に高い滑り台から急速に滑り落ちてくる夢を見て、私は緊張するどころか、却って楽しく滑り、目が覚めてから又後悔しました。同修Zさんは慰めてくれましたが、私は自問自答しました。「私は本当に修煉者なのですか?」 この時、周囲から次々と知人が、癌になったという情報を聞きました。しかも、私の伝えた真相を聞いて三退する人は、一人もいませんでした。私は自分が良く修煉しなければ、衆生を救えないことを悟りました。

 ある日、同修のXさんがこう言いました。「執着心を取り除く行動をしてこそ、はじめて着実に修煉していると言えます」。私はそれを聞いて、恥ずかしく思いました。例え法理が分かり悟ったとしても、私は着実に取り除く行動をしていませんでした。何故行動しなかったのでしょう? やはり私は真に師父と法を信じておらず、習慣的に自分の観念を持って物事を計っていました。私は早朝の煉功から実行するよう決心しました。

 半年前から、同修のZさんは中国の大法弟子が早朝の3時半頃から一緒に煉功していることを教えてくれて、私にもそうするように勧めました。実際、以前には全くなかったことですが、修煉し始めてから、毎朝3時半ごろに自然に目覚めるようになりました。同修のZさんは師父が私を起こし、煉功をするようにして下さっていると言いましたが、私は信じませんでした。しかも、早朝の煉功で睡眠不足になるのではないかと焦りました。今までの私は朝寝坊に慣れて、少しでも睡眠時間が足りなければ、すぐに体の具合が悪くなります。修煉を始めたばかりの私は、きっと早朝の煉功はできないと勝手に思いました。今、振りかえって見ると、これは師父を信じなかったのではありませんか? 師父が起こして下さったのであれば、私は必ずできるはずです。

 その後、私は出来るだけ早寝早起きし、毎日3時半からの煉功に間に合わなくても、以前より早く起きるようになりました。不思議なことに、睡眠時間を減らしてから体の不具合を感じるどころか、頭がすっきりしてきて、更に元気になりました。そして修煉の幸せを再び感じ、関に遭遇した時、まず師父を思い出すようになりました。今、自分は真に修煉していると実感しています。

    真の修煉者として、常人を超える人になるべき

 その後、仕事が突然忙しくなりました。毎日、早く出勤しなければならないので、私は自然に3時半に起きて煉功するようになりました。繁忙な仕事と緊張はありましたが、私は疲れるどころか、却って元気一杯になって、体は益々軽く感じました。その後に受けたある仕事は、朝早く出かけ、夜遅く帰って来なければならず、私は学法を疎かにし、学法時間は益々短くなって、時には数日に渡り全く学法しないこともありました。

 最近、社内では交代選挙が行われ、どう対処し、いかに複雑な人間関係を処理すべきかを悩みました。また関に遭遇した時、未だに、如何に法理に沿って対処するかも分からない自分を恥ずかしく思いました。その状況下で、様々な問題が相次いで発生しました。私は大法に照らし合わせ、法理の要求通りに実行してみようと試みましたが、この法理を思いついたり、あの法理を思いついたりして、右往左往する中で、不安で一杯でした。

 この時、私は心を静めて内に向けて探しました。今まで問題解決を望み、師父から明確なお答えを得ようとしながら、学法していたことに気づきました。しかも、任務を達成するような気持ちで毎日の学法と煉功を行い、学法を早く終えてからベッドに横たわって、法会の交流文章を聞きたいと思っていました。法の暗記にも難色を示し、いつも理由を見つけては、法を少こしばかり暗記したり、または全く暗記しようとしませんでした。これらの事を認識してから冷汗が出てきました。私は本当に修煉者と言えますか?と自問自答しました。 やはり自分には強い安逸心があることに気づきました。

 私は心を静めて学法しました。『オーストラリア法会での説法』の中で、師父はこう仰いました。「私は皆さんに常人を超える人、更に基準の高い人、つまり更に良い人で道徳が更に高尚な人になって欲しいのです。このようにしてはじめて、修煉して高い次元に達することができます」[2] この部分の法を読み、私はやっと分かりました。真の修煉者は常人を超える人になるべきで、常人の思惟に沿って物事を考えてはなりません。しかし、私は自分が修煉者だと思いながらも、常人の生活を楽しみ、自分を常人同等に思い、常人のトラブルに陥って抜け出せず、尚更法の要求に沿って行動することもできていませんでした。

 修煉以来、ずっと真の修煉者になろうと努力してきたつもりでした。交流文章を書き始めてから気づいたのですが、修煉過程で経験した事は全部書き出すことが不可能なほど多いのです。

 ここで、同修のZさんに感謝の意を伝えたいのです。大法修煉を始めてから、彼女から多くの助けと励ましを頂きました。また、多くの難を乗り越え、今日まで歩み続けてきた同修達にも感謝したいのです。あなたたちの堅持がなければ、私たち新しい法輪功学習者は今日、法を得ることは出来ませんでした。

 最後に、師父の慈悲なる済度に感謝致します。今の私はまだまだ良く修めていませんが、今後の修煉において、着実に向上するよう精進し、皆さんに追いつき、師父について家に帰ります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/7/30/313138.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/8/9/151986.html)
 
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