協調の仕事の中で修煉し昇華する
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文/オーストラリアの大法弟子

 【明慧日本2015年10月27日】偉大で慈悲なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは! 

 2012年、ニューヨーク法会に参加しました。師父のたくさんのご加護をいただき、帰国しました。法会の交流の中で、同修との距離に気付き、今後必ずさらに精進し、師父が法を正すことを手伝い、自分の誓約を果たしたいと心に決めました。帰国してまもなく、佛学会の責任者から脱退センターの協調の仕事ができないかと聞かれました。実を言うと、この数年、協調人の仕事はそう簡単な仕事ではないし、各方面の協調の仕事も多く、プレッシャーも大きいことがわかっています。同修間の意見が分かれた時や突然トラブルが起きた時にも、問題を正しく解決しなければなりません。私は自分が内向的で、人とのコミュニケーションを取るのが苦手なため、協調の仕事に向いていないと思い、その仕事を受けませんでした。しかし、神韻のチケット管理の協調の仕事をよくこなしているので、脱退センターの仕事もそう難しくなく、もう一度考え直してほしいと再び言われました。

 2009年から私は、神韻チケット管理グループの協調の仕事をしていました。グループ内の同修は皆、心性をよく守り、たまに技術上の問題でトラブルがありましたが、協調の仕事は全般的に、そう難しいものではありませんでした。しかし脱退センターの仕事は、もっとたくさんの同修に接触しなければならず、もっとたくさんの活動の段取りをしなければなりません。やはりもっと能力のある同修に、この仕事を任せたほうが良いと私は思いました。この念が出た途端に、何か違和感がありました。責任者が私に相談を持ちかけたのは偶然ではなく、ニューヨーク法会に参加した後にある念が頭のなかに浮かんできたことを思い出しました。「更に精進し、師父が法を正すことを手伝い、自分の誓約を必ず果たす」と決心したばかりなのに、断るなんてと後悔しました。私は自分のことを恥ずかしく思い、トラブルや責任から逃れたいということは、師父の慈悲なる済度に申し訳なく、考え直して、脱退センターの協調人の仕事を始めました。

 一、正念をもっていかなる困難にも阻まれず、9つのチャイナタウンを巡り真相を伝え

 もっとたくさんの華僑の人たちに真相を伝え、彼らが済度されるため佛学会の提案のもと、私たちはシドニーにある9つのチャイナタウンで、週末ごとに真相を伝えるリレー活動を行いました。「中国共産党を三退させること」および「生体臓器狩りに反対する署名活動」を行いました。条件が許す限り、天国楽団の演奏も行い、その地区の華僑に「法輪大法の素晴らしさを伝える」と同時に各地区の空間場を整理し、真相を伝える効果を高めました。

 その中でも特に2回の活動を覚えています。その日は朝からずっと雨が降り、まもなく活動開始の時間になるのに、今だ天気が良くなる兆しは見えませんでした。そのため活動をやめる通知を出しました。その直後から、雨がやみ太陽も出てきました。これは自分が真相を伝える意志が堅いかどうかを試す試練であることを、私はまだ悟りませんでした。2回目も同じような事が起きて、一緒に協調の仕事をしてくれる同修に相談し、今後、真相を伝える活動は天気に関わらず、雨風がどんなに強くても行うと決めました。それからは、活動を行う時はいつも良い天気でした。同修たちは強烈な太陽の下でも、冷たい風の中でも、暑さ寒さに耐え、師父が法を正されることを手伝いました。私はその強い精神力にいつも励まされ、勇気をもらいました。

 二、心性を練磨し、癇癪持ちを改めると、皆との協調がうまくいく

 週末の真相活動を三年間、ずっと続けてきたことは容易なことではなく、自分の心性もこの過程の中で、練磨され高めることが出来ました。

 その地区で真相活動を行うのに、前もって該当地区の警察署や市役所に申請を出さなければならず、申請が下りた後は、早く同修に通知を出さなければなりません。一人の申請手続きを担当する同修は、毎回、毎回、申請手続きを先延ばしにするため、私はいつも根気よくその人に電話で催促しました。しかしほとんどの場合、電話に出てもらえず、メールで問い合わせても、すぐには返事をもらえません。いつもぎりぎりで申請が下りるために、活動にも影響がでました。

 私は決めたことをすぐ行う短気な人です。このようなゆっくりとした仕事のやり方に、苛立ちましたが怒ることも出来ず、どうすることも出来ませんでした。しばらくこの心性の練磨が続き、せっかちな性格の大部分が削り取られました。その後からわかったのですが、その同修は2つの仕事を兼務しているため、非常に忙しかったのです。私の毎回の催促について一言も文句を言いませんでした。それに比べ私は、忙しい時別の仕事を催促されたら不服に思います。またもや、心性の試練に直面しました。自分の内に向けて不足を探した時、この事も変わりました。他の同修が申請手続きの仕事の一部を担当するようになり、申請手続きの仕事は順調になりました。

 毎回真相活動を行う際に、まず横断幕や各種の資料を用意しなければなりません。同修たちは自ら情報の収集や紙面の作成、印刷と配布をするようになり、また一部の同修は横断幕やパネルのデザインもしてくれました。ある同修は真相資料の運搬を手伝い、活動の問題を解決してくれました。この活動に参加する同修は多い時もあれば少ない時もあり、一部の同修は何回か来た後、来なくなりました。これを見て、最初は心のなかで不満に思いました。私は同修が多く来た時は機嫌がよく、少ない時は落ち込みました。徐々にそのことに影響されず、やるべきことを行い、真剣に取り組まなければならないとわかりました。

 師父は「いずれにせよ、大法弟子として、私たちは自ら行うべきことを完成させる必要があります。大法弟子が行なっているこのことは近い将来、本当に起きてしまったなら、そのとき、皆さんはしっかり行わなかったことを後悔するのです。本当に後悔します。当初行うべき多くのことを行わず、あなたが救うべき人を救わなかったなら、それこそ大変な事です。」[1]と説かれました。嬉しいことに数人の同修はいかなる時も長年にわたり、この週末の真相を伝える活動に参加し支持してくれました。私は同修たちの衆生を済度する慈悲の心に励まされ、法に対する確固たる意志に感動し、この協調の仕事を続けて行う原動力になりました。

 三、根気良く真相を伝え、民衆から理解され支持を得た

 私は真相を伝える活動が行われた地域においては、地域の住民の態度や環境が大きく変わることに気付きました。最初のころ、一部の真相が分からず、中国共産党のメディアの宣伝された虚言に害毒された住民たちの私たちに対する態度が、あまりよくありませんでした。ある日の活動のことですが、向かい側の中華料理店の店長らしき人が私たちに大声で罵りながら、私たちを追い出そうとしました。真相の分からない人はまだまだ多くいますが、最近ではこのような面と向かって罵る人はほとんど見られません。毎回の活動の中で脱退してくれる華人が多く、生体臓器狩りに反対する署名も多く集めています。自ら真相を訪ねてくる人、真相が分かってからお礼を言ってくれる人、また良く行っていると褒め、励ましてくれる人や飲み物を買って来てくれる人もいました。

 去年11月頃、中国共産党の高官がシドニーに訪問に来たとき、中国領事館の職員がチャイナタウンの住民を集め、文化大革命時期のように皆赤旗を持ち、まるで赤色の人の海のようでした。一部の団体の人が領事館の職員に唆され、私たちに手を出す人もいました。参加した華人たちは見物に来たに過ぎませんが、まだまだ真相の分からない人たちが多く、私たちが行っていることは不十分だと実感しました。師父は説法の中で「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません。」[1]と説かれました。真相を伝えることにもっともっと力を注ぎ、これらの尊い華人を救い済度しなければならないと思いました。

 四、執着心を取り除いて軽くなり、善意と理性を持てば協調の仕事が順調に行える

 私は1996年10月にシドニーで法を得ました、大法の修煉を初めてから、常人の仕事以外の時間は全て修煉や法を広める活動、人を救い済度することに費やし、この過程の中で自分の心性も練磨されました。

 毎週5日間常人の仕事以外、できる限り真相を伝え、衆生を救い済度するプロジェクトに参加し、同修たちのパソコンの設定、修理など、また天国楽団の中でトランペットも担当しています。日々忙しい中で、どのように時間を有効に利用するかは、私の修煉の一部分になりました。私は長年その日の事は、その日の内に処理する習慣を身につけました。

 遅れたこともありますが、基本的に行うべきことには影響を及ぼさない程度で、同修の間のメールなどの連絡に返信しないことはなく、電話にでないこともありません。計画通り行っている忙しいときに、電話がかかってきたこともあります。電話が長引くと苛立ち、しまいに心性を守りきれず、話す口調も強くなり、そのときの態度に善もなければ、忍もありませんでした。本当に良く修めていない部分が正直に現れてきました。私は不足に気付き、常に自分の一つの考えや一念さえも気を付け、心性を守るべきだと反省しました。

 自分は学法煉功、パソコン修理の手伝い、トランペットの練習などでもう限界で、時間の余裕がないことを同修に愚痴をこぼしたこともありました。協調人にならなかったら、一つや二つのことだけに専念できるのにと思ったこともありました。このような考えは自分が協調人という身分に執着していない、「名」に執着していないように見えます。しかし、執着心があるかどうかは、問題に直面した時に、はじめて自分の心が動じたかどうかでわかることに気付きました。その執着心は内に向かって探すときに見つけることができると思います。

 一つの例を挙げると、去年中国共産党の高官たちがキャンベラに訪問した際に、全国規模で大型の抗議活動を計画しました。シドニーのある同修が大規模なグループ集団学法の後に、今回の活動について自分の意見とアイディアを皆と交流しました。協調人の同修たちが彼の交流内容がとてもよかったと思い、今回の活動の総協調人と決めました。その同修もたくさんの時間や精力を費やし、活動の詳しい段取りをしました。同修たちがそれに従って一体になって、活動が円満に完了し、大成功を収めました。活動完了後、その同修と皆との交流が大変盛り上がったときに、私は突然心の中で何ともいえない寂しさを感じました、そのとき、これは何の心なのか? 嫉妬心なのか? いや違う、私は彼を嫉妬してはいない。私たち協調人は同修の一人一人の能力を充分に利用し、最大の力を発揮させ、師父が法を正すことを手伝う中で、自分の修煉の道を歩めるよう条件を整えてあげるのが私たち協調人の仕事です。この法理は自分には、はっきりとわかっているつもりでした。

 しかし、なぜ寂しく感じるのでしょうか? もっと深く掘り下げてみると、なるほど、その同修が皆に注目され、もともと自分が総協調人だったのに、私は今、皆に軽んじられていると思い、こんなに辛く感じたのは、「名」に対する執着ではないか? 自分は協調人の身分に無頓着だと思っていたのではないのか? この「名」に対する執着心はないとずっと思ってやってきました。人はこの世に生まれてきたときから人心があり、人間が人間である以上、人心を備えており、ただ執着したことや執着の大小は人によって異なるだけで、自分が自覚していなからと言って、人心がないとはいえません。内に向かって探し、常に自分の一つ一つの考えや生じた一念をしっかりわきまえ、動じたその心を捕まえ、それを取り除き、心性を昇華しなければなりません。この執着心を取り除いたあと、心身ともに軽くなり、いい状態が現れ、必要なときに、私は同修にプロジェクターなどを用意し、心から彼のために喜べるようになりました。

 各種の真相を伝える活動の中で、たまに同修に指摘されたり、無遠慮に協調人の私に命令されたこともあり、また最近も一回このような激しい心性の試練に会いました。

 8月の始めに、江沢民について法輪功を迫害した中国共産党の高官のひとりが、二日後にシドニーの市庁で、シドニーの市長とある協定を結ぶ予定だと分かりました。その日の夜、何名かの協調人が緊急会議を開き、この機会を利用してより多くのシドニー市の官員および市民に、その人が犯した罪を公表し、迫害の真相を伝え、迫害に参与した人に自分の罪を自覚させるため、活動を計画しました。夜中遅くまで私は、二日後の緊急活動の通知をみんなに知らせました。思ったとうり翌朝早くから、ある同修から多くの質問のメールが届きました。その内容は、これは佛学会が計画した活動ですか? なぜいつもぎりぎりになってから通知を出すのですか? メディアに通知しましたか? 活動の事前準備や後片付けはきちんと計画しましたか? なぜいつも、社会に抗議団体のイメージを与えるのですか? 真相を伝える形は、このやり方しかないのですか? シドニーの市庁の官員は、どのように私たちをみているのでしょうか?等々の多くの質問のメールが届きました。 

 このたくさんの質問を見て、私は質問ではなく、たくさんの非難を被った気がして、心の中はとても不機嫌でした、これまでこのように責められたこはなく、この同修は一体どう思っているのでしょうか? 私には通知を出す権利はないというのでしょうか? 迫害に直接参与した人に対して抗議するのではなく、食事を御馳走してから、真相を伝えるというのでしょうか? 良いアイディアがあれば出せば良いのに、市庁の官員がどのように私たちをみているのかですって? そのことは真相を知るようになれば、当然私たちに感謝するはずです。しかし、自分の考えを改めてもう一度考え直してみると、自分が間違っていたことに気付きました。

 これは同修に喧嘩していのると同じではないでしょうか? 心の中で数秒間の反応でしたが、私はやはり急にはっと悟りました。

 まず先に自分の心を落ち着かせてから、同修の言葉に傷づいたところは、どこなのかと自分に問いかけました。自分はいつも誠意をもって人と接していて、嘘偽りはしないし、私を良くわかる同修もそれを知っているし、これは誰もが認めていることです。しかし、それがいつの間にか執着になっていたのです。私を非難してはならない、誰もが私を信用してほしい、私はいつもいったん言ったらその通りに実行し、相手のことを気にかけず勝手気ままにふるまい、それはいつのまにか自我に対する執着になっていました。

 執着と分かれば、それを取り除かなければなりません。私は本当にその心を放下した瞬間に全身が軽くなりました。このメールを送ってきた同修は、別に私に対して不満があるのではなく、活動をもっと良く行うために提案しただけです、私の心性を高めるのを手助けしてくれました。私にはその執着心があるから、師父が同修の言葉を借りて、私の心性を高める機会を与えて下さったのです。今回の心性の試練を通じて、師父がいつも他人と話すときは、きつい言葉で人を刺激しないようにと教えてくださったことがわかり、他人が受け入れられるかどうかを考慮しなければならないという法理もよく理解するようになりました。一人の協調人として、心を穏やかに同修の意見を聞き入れてこそ、はじめて協調の仕事をより良くこなすことができます。

 師父の慈悲なる済度に感謝します。また、修煉によって自分を高められ、衆生を救い済度する機会を与えて頂いたことにも感謝します。以上は個人の修煉によって悟ったことですが、不足があれば、同修による慈悲なるご指摘をよろしくお願いいたします。

 師父、ありがとうございます !同修のみなさん、ありがとうございます!

 注:

 [1]:李洪志師父の新経文 『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/9/20/315913.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/9/25/152678.html)
 
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