台湾の新しい学習者:揺るぎない心で修煉する
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2015年10月31日】私は2012年の中春の名月のころから修煉を始めた大法弟子です。それ以前は混沌とした世の中に深くはまり込んだ常人でした。幸運にも大法と出会い、師父のご加護の元で成長して行き、徐々に魔性が薄らいで、大学卒業の年に修煉しようと思いました。それまでは宗教についての本を読み、殺生すること、盗むこと、嘘をつくことなどが悪いことだと知っていました。また、末法時期にお釈迦様が世に降りて人を救う事や、心性を修めて末法の時に、お釈迦様の助けとなれるような内容の物語を読みました。自分もこれから良い人になって自分自身を修め、将来そのお釈迦様についていき、自分の力を発揮すると心に決めました。しかし、一体どうすればよいのか分かりませんでした。

 法輪大法に出会う

 心性を修める2カ月間に自分の悪い行為を正し、転んでも立ちあがって間違えたところを改めていくことで、以前と比べて少しずつ良くなっていきました。大法を学んだことで、常人は、生きている中で常に業をつくり、業力からかけ離れることはできないと知りました。修煉する決心があったので、師父と別空間にいる高級な生命が助けてくださったのだと思います。こう思うだけで尽きない感謝と、宇宙の佛法の慈悲と厳粛さを感じます。

 ある日、お風呂の中で、急に母が亡くなったときの悲しみと男女の情による痛み、そして名利などにかかわる生活上の苦痛を思い出し、その場で壁に寄りかかり大声で泣きました。「自分はここにいるべきではない。この俗世にいてはいけない」と思いました。そのとき突如、頭上から「大法を修煉している従姉の家に行きなさい。修煉している従姉の家に早く行きなさい」という声が聞こえました。この声を聞いてすぐに「中春の名月はそこで過ごします」と叔母に電話しました。

 従姉に「私は良い人になりたい」と言ったところ『轉法輪』を薦められたので、その本を一冊もらいました。家に帰り従姉に言われたとおりに、一気に最後まで読み通しました。そして目を閉じて、自分の懺悔を聞いてくださった慈悲なる観音様と佛様に「これから私は法輪大法を修煉します。『修煉は専一でなければならない』[1]と師父は説かれていますので、これから先は他の宗教に関するものには、二度と触れません」とお願いしました。言い終えた途端に、体が回っているのを感じました。目を開けて見ると、本当に回転していたのです。すぐに止まりましたが、このことを通して、師父は自分を見てくださっていると分かりました。

 修煉してから、体に羽が生えたかのように身軽に感じ、10階まで上っても、まるで風に背中を押されているかのようでした。心性を修めていく中で「あなた、法輪功を修煉して変わったわね。本当に優しくなったし、穏やかで、冷静になったわね。」と友達にも褒められました。

内に向けて探さず、一連の苦難と難関をもたらす

 修煉して少し時間が経っていくと、初め頃のように精進しなくなり、頭の中は名利や男女の情、楽をしたいという心理など、取り除かなければならない、多くの常人の心が出てきました。「名利心が重いほど、常人の中で激しく堕ちていきますので、功もそれにつれて堕ちていきます。」[1]と師父は説かれました。心性が堕ちれば、忍耐力もそれに続いて堕ちていきました。

 そして、旧勢力に隙を突かれ、思想業力と恐怖心が加わってきました。思想業力により、修煉の中でしてはいけないことをしてしまい、様々な困難と妨害をもたらしました。師父や同修、そして常人の友達にも迷惑をかけました。当時の自分はとても辛く、苦しかったのです。修煉したい、発正念したい、けれども全身に激痛が走って何もできませんでした。当時、私は塾の先生をし、生徒が来る前に教室で煉功をしていました。「たとえ30分しかできなくても、煉功しなければならない。そのうち良くなっていくから」と自分に言い聞かせました。すると意味もなく、突然、涙が流れ「私は法輪大法を修煉したいです。大法弟子になりたいです」と師父にお願いしました。その私の声を聞いた師父は、同修をつけてくださり、彼の家で2カ月ほど滞在して修煉し、自分を律し、迷いの中からやっと出てこられました。

 師父の慈悲なるご加護のもと、そして同修や友の助けのもとで、やっとこの困難を乗り越えることができました。理性でもって修煉とは一体何かを認識し、しっかりと向き合うことができました。

 観光地こそが、真相を伝える最前線である

 以前、新年の時に家族みんなで阿里山に行って、真相を伝えたという同修の交流を聞いて、これからは私も家で楽しんでいるのではなく、真相を伝えに出かけなければならないと思いました。翌年の大晦日が過ぎ、私は真相を伝えようと阿里山に登りました。その途中で、また突如涙がこぼれました。これを見た同修から「あなたは、ここを関にする誓約をきっと立てたんだよ」と言われました。

 師父の2013年の説法を勉強している時、観光地こそが、真相を伝えることの出来る最前線であることに気づきました。すぐにでも、自分が住んでいる県の観光地に行きたくなりました。同修に連れられて、国立国父記念館に行くことになりました。当時はちょうど、最初の業力を取り除いている時期で、足のかかとがすぐに腫れ上がり、歩くのも困難な状態でした。しかし観光地で真相を伝えられることが嬉しくて、足の痛みをすっかり忘れ、駐車場で走り回りながら、大陸からの観光客に「脱退」を薦めていました。するといつの間にか足の痛みが消え、腫れも収まったので、師父が励ましてくださっていることを知り、もっと頑張ろうと思いました。それからはできる限り「脱退」を薦め、真相を伝えることに全力を注ぎ込んでいます。

 2014年5月のある日、邪悪な中国共産党の団体が「101」のビルに現れ、師父と大法を罵しっているのを見ました。これは慈悲なる師父と大法が侮辱されている。これを見た私と同修たちは、多くの法輪功学習者たちが大法を守るために「天安門」に行くのと同じことだと認識し、邪悪の団体に真相を伝えるべきだと決心しました。その期間中は、たとえどんなに忙しくても、大法を守るため、必ず毎日「101」のビルに行きました。

 今では、真相を伝えるため毎日観光地に行っています。大法の慈悲の中で、同修たちと共に学法と煉功をし、真相を伝えて衆生を救い、毎日「三つのこと」が出来るという喜びに浸っています。

内に向けて探すことは、万能の鍵であり、救命の法器である

 様々な執着心を取り除かず、自分の執着が見えず、トラブルに遭っても内に向けて探さないだけでなく、逆に、嫉妬心や闘争心で物事を図ってきたため、余計な難を増やし、邪悪に隙を突かれてしまいました。ある時期、本当に辛くて、たくさん師父にご迷惑をおかけしました。それらの事を通じて、師父の慈悲を感じました。たとえ今日、乗り越えられなくても、少し我慢していれば、師父は悪い物を取り除いてくださるのです。ですから、修煉の心を固めれば円満成就できると悟りました。

 トラブルや困難がやって来たとき、内に向けて自分自身の「執着心」を探します。そうすることで自分に向けられたトラブルが一つずつ解かれていき、以前のように苦しむことはなくなりました。たくさんの「苦」は、自分たちが持っている「執着心による苦」であり、執着するから「苦」を感じるということを法理を通じて悟りました。神様は人間の情に囚われたりはしません。

 個人的な悟りですが、内に向けて自分自身を探し、執着心を取り除くことは、修煉者としてやるべき最も正しい方法です。これは神になるための方法で、特別なことなのです。師父や神様は、自分の不足しているところを探している修煉者の心性の上昇を、喜んで見ておられると思います。師父はこのように説かれました「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[1]

 内に向けて探ることに慣れると、自分の思考一つ一つに、どのような執着心があるのかを見つけやすくなり、それを断ち切って、さらに掘り下げていくこともできるようになります。

 揺るぎない心で修煉し、師と法を信じる

 2015年、私はニューヨークの法会に参加し、パレードの時大陸の大法弟子に会いました。彼女は私に大陸での真相を伝えるときの経験や、刑務所の中で受けた電撃の苦痛を、慈悲なる師父が代わりに引き受けてくださったので、今日まで生きてこられたと話してくれました。その時、師父が説かれた「佛はすごい力を持っているではありませんか。一人の佛が手を振れば、全人類の病気が消えてしまいます」を思いだし「もしかすると、師父が手を振れば、すべての邪悪な要素と業力も消滅するのではないか」とずっと考えていました。

 しかし、ネットで見たある文章の中で「人が修煉する時に、他の法門の師父は、その人のためにその場で亡くなったという事例があります。しかし、それと比べ、法輪功の師父は、これほど大勢の弟子がいるのに、すぐに病が消え体が健康になったケースが多く、この師父は、計り知れないほど偉大な神様だ」とその著者は言っていました。

 これを見て、心から師父のご慈悲とご恩に感動し、言葉もありません。神様は常人の代わりに罪を背負っているのに、何の見返りも求めておられません。すべての生命のために、下へ下へと目指し、一層一層転生しても、苦を口にすることもありません。たとえ自分が師父とともに転生しても、自分も済度されている衆生の内の一人なのです。「実際、わたしがあなたに法を得させ、修煉させ、返本帰真させるだけです。あなたの向上したい心だけがほしいのです」[2]と師父は説かれ、又「一人の人間を済度するのはきわめて難しいことで、あなたの考えを直すことも難しく、あなたの身体を調整することもきわめて難しいのです」[1]とも説かれていました。

 師父は我々のためにたくさんの苦を、代わりに引き受けてくださいました。精進しなければ、師父のご恩に申し訳ないと悟りました。今日の修煉の中でどれほど大きなトラブルや矛盾に遭ってもそれは自分の修煉のためであり、我々の威徳を樹立するためなのです。我々が苦しい時、師父も心を痛めておられるのです。ですから必ず堅い志で修煉しなければなりません。常人であるからこそ怨念を持ち、苦を感じるのであって、修煉者は法理を理解し、苦の中でも喜びを感じているのです。

 「揺るぎない心とは何か。動じない心とは何か。どうすれば揺るがず、動じないのか」をよく自分に問いかけます。自分の限られた認識の中で、トラブルが来たときは常に「大法の修煉に専念し、揺るぎない心で心性を守り、堅い志で心性の上昇を必ず目指します」と自分にいつも言い聞かせています。

 最後に、力のある限りどこまでも尽力して、衆生を救い済度するお手伝いをし、みなさんの円満成就をお祈りするとともに、大法弟子みなが、師父とともに元きた家に返ることを心より願っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/28/314755.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/9/10/152464.html)
 
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